ティエリアは、永久的にヴェーダを失ってしまった。 ヴェーダとリンクできなくなったティエリア。 それは、さながら羽をもがれた天使。 翼を失った天使は泣いた。 半身ともいえる存在だったヴェーダ。ティエリアにとっては、唯一の神のような存在。 何度リンクを試みようとも、けれどそれは叶わず、ティエリアは涙を零した。 ヴェーダに、見捨てられた。 「ああ、ヴェーダ。僕はどうすれば」 今まで、ヴェーダの指示で動いてきた。何か問題があれば、すぐにヴェーダに報告した。暗いコンピューター制御室にこもれば、ヴェーダは、母のようにティエリアを包み込んでくれた。 誰よりも優しいヴェーダ。まるで、聖母のような。 ヴェーダとリンクできなくなったティエリアは、精神的にとても脆くなっていた。 いつものような、ツンケンした態度は見当たらず、終始暗い顔で絶世の美貌を曇らせる。 時々、目を瞑っては、ヴェーダと繰り返す。そして、涙を滲ませる。 それでも、ガンダムマイスターだ。誰にも気づかれないようにと、ティエリアは気を配っていた。 けれど、仲間は知っていた。涙を零す場面を、何度も目撃される。 刹那とアレルヤは、ティエリアのヴェーダを失った痛みに同情はしたものの、彼を救えないでいた。 大丈夫かと聞けば、当たり前だろうと返される。 泣き明かした赤い目で食堂に現れたティエリアに、アレルヤは心配して、泣いていたの?と問いかけると、 ティエリアは、強く否定した。 そして、また一人になる。 まるで、自分の心の中にぽっかりと大きな空洞があいてしまったかのようだ。虚無。心の中にあった芯が崩れ、灰燼となっていく。 ティエリアは、一人ぼっちになってしまったと思い込んでいた。ガンダムマイスターという仲間がいるのに、ヴェーダに固執しすぎていた。 ヴェーダを失ったことは、本当に大きな痛手だった。 その日も、ヴェーダと呟いて、自室で泣いていた。 そして、精神的に大きく不安になっていた部分を補うことができずに、軽い欝状態に陥っていたティエリアは、不眠症になってしまう。 彼は、眠れない毎日を過ごした。 度重なる戦闘と訓練の毎日に、ティエリアは日に日にやつれていく。 ドクター.モレノから睡眠導入剤を処方されるが、ティリアは結局飲むことを避けていた。処方された薬は、眠りが取れるようにと少し強めのものだった。それを飲めば睡眠は取れるだろうが、ティリアは 頑なに飲むことを拒んだ。 いつ戦闘になるかも分からないのだ。睡眠薬で眠りについてしまった肉体は、起きようとしても簡単には覚醒しない。飲みなれない者が服用すれば、 眠気で足元がふらつき、立っていることさえままならない。12時間以上も寝てしまうことだって、稀なことではない。 服用の注意事項としても、眠気等が現れるため、危険を伴う作業は避けるという必須事項がある。 ガンダムを操るのは、まさに危険そのものだ。戦闘行為など、自殺行為に等しい。 そのせいで、ティエリアは自然に眠りにつくことに身体をまかせていた。けれど、何十時間たっても眠ることはできず、ついには強い眠気だけが訪れる。目を瞑ってしまえば すぐ夢の世界に入りそうなのに、寝ることができない。 3日かけての睡眠時間は、僅か4時間にも満たない。 そんな毎日を送るティエリアは、眠気と戦っていた。ふらつこうとする足元をなんとか踏みとどめ、必要な時は血が滲むまで自分の腕に爪を食い込ませて、その痛みで無理やり覚醒を続ける。 幸か不幸か、モレノに不眠症と診断されてから、まだ戦闘はなかった。 スメラギ氏に、風邪をひいたと嘘をいって、ついには訓練を辞退して、自室にこもった。 そんなティエリアを救ったのは、ロックオンだった。 「眠るまで、ずっと傍にいてやるさ」 そう言って、ロックオンはティエリアの部屋で、半ば同居生活をはじめる。 ヴェーダがいなくなり、一人になったティエリアを、言葉や態度で優しく包み込む。胃に優しいものを調理して食べさせ、 身体がリラックスできるような音楽を探してはかけ、本を読んでは聞かせ、自分の昔を語らい。 目が冴えた時には、コンピューターを片手にネットに潜らせたり、少しだけ身体を動かせたり。 ティエリアの死んだ目に、少しづつ輝きが戻ってきていた。 1日1時間にも満たなかった睡眠時間は、3時間と増えて、大分身体が楽になった。 それでも、ロックオンは、ティエリアと一緒にいてくれた。 変わらずに、自分が眠りに落ちるまで、隣にいてくれる。同じベッドで眠り、その暖かな体温に、ティエリアが安堵のため息をもらす。 ロックオンの献身的な介護のお陰か、ティエリアは1日に5時間以上の睡眠をとれるようになり、なんとか不眠症の症状を脱した。 薬に頼らずに治るのは、本当に珍しいことであった。 お前は、一人じゃないから。俺が、傍にいるから。 ロックオンの優しい声は、今日も変わらない。 「今日は、ラプンツェルの話をしてやろう」 就寝時間に、ベッドに横になったティリアの傍で、ロックオンは語った。 ティエリアが眠るまで、ロックオンは傍にいてくれた。そして、ティエリアが眠りにつくと、やっと自室に戻って彼も眠りについた。 「ラプンツェルを?」 ティエリアが、首を傾げる。 題名で聞いたことはあるし、詳細ではないが、大まかなストーリーだって知っている。 けれど、ロックオンが聞かせてくれる物語は、奇想天外なものだった。 「そこで、ラプンツェルは酒をラッパ飲みしてこう言うんだ。男なら、この塔から紐なしバンジージャンプをしてみせろって。紐なしバンジージャンプができたら、鞭で 今日もビシバシしてあげるってな」 「なんですか、それは」 ティエリアが、小さな笑い声をあげる。 ロックオンがティエリアに聞かせる物語は、ロックオンだけの物語だった。彼が、自分なりにアレンジして、勝手に大幅にストーリー内容を変えてしまったもの。それは、 もはや童話ではなく、ただの喜劇か笑い話でしかなかった。 「ロックオン・ストラトス。そろそろ、眠いです」 「そうかそうか。じゃあ、今日はここまでだな。また、明日続きしてやるからな。今日は、ゆっくりお休み。良い夢を見ろよ」 ティエリアの紫紺の髪をすくいあげて、額におやすみのキスをする。 「おやすみ、ティエリア」 「おやすみなさい」 目を閉じる白皙の美貌が、ゆっくりと眠りについていく。 完全に眠るまで、ロックオンは椅子に座ったまま、ティエリアの顔を見ていた。 睫長いなぁ…。うーん、やっぱりかわいい。 無性であるとは知っていても、眠る姿は女性に見える。ピンクの少し大きめなパジャマに身を包んだ身体は、不眠症のせいで少し肉を落としていた。 今度、また栄養のあるものを食べさせてあげよう。 音もたてずに寝息をたてるティエリアの姿を確認して、安堵のため息をもらす。今日も、ちゃんと寝てくれた。 そして、言葉通り眠るまでティエリアの傍にいたロックオンは、立ち上がって、欠伸をした。 昔話ばかり聞かせては、飽きがくる。ロックオンが聞かせるアレンジ童話は、聞かせる前日にロックオンが作ったものだった。 自分のプライベートや眠る時間を犠牲にしてできる代物だった。 ティエリアが、思いの他喜んで聴いてくれるので、ロックオンも足りない頭をひねって、一つの創作文学をつくりあげる。 面倒な作業だったが、苦にはならなかった。 それを聞いて、ティエリアがちゃんと眠りについてくれるなら、それだけでロックオンも幸せだった。 天使の寝顔。 翼のない天使が、夢の中でまどろんでいる。 「さーて、俺も寝るかー」 大きく伸びをして、ロックオンはティエリアを振り返る。 翼のない天使に、布団をちゃんとかぶせてやってから、彼はティエリアの部屋を後にした。 |