いつも、一緒だよ」 「そうだね」 手を繋いで歩いていくカップルを、彼は何の表情も浮かべぬ白皙の顔で見つめていた。 懐かしい。 遥かなる昔、彼もこうして、愛しい人を愛を誓い、そして手を繋いで町を歩いたものだ。一緒に暮らして、寝て、食べて、笑って、時には怒って喧嘩して、また仲直りして。 トレミーと呼ばれた宇宙戦艦の、閉鎖的な空間の中で、あるいは地上、地球の嫌いな重力の上で。 嗚呼、懐かしいね。 「愛してるわ」 「俺もだよ」 キスをする、名も知らぬカップルを見つめていると、目から水が溢れてきた。 「何、これ?」 目から溢れる水って、なんだろう。 名前を忘れてしまった。 確か…なんといっただろう。 ティア? 英語ではそうだった。日本語ではなんといったかな。 そうだ。 涙。 ナ・ミ・ダ。 瞳から溢れ落ちるそれを、彼は拭うことも忘れたまま、ただ時間が過ぎ去るのを忘れて町の中で立ち尽くしていた。 行きかう人は、彼の美貌に酔いしれ、彼が泣いているのにびっくりして、けれど声をかけることもできずに過ぎ去っていく。 白いケープを風に翻させて、綺麗に編みこんだ長い紫紺の髪も風に靡かせて、彼は動くこともなく町の一箇所で、凍りついたように。 時を止めてしまった体は、17歳の姿のまま彼を、人形のように美しい容姿を全く色あせることなく、この世界に留めていた。 その彼とシンメトリーを描く、同じ紫紺の髪をくるくるといろんな方向にはねさせた、黒いケープを羽織った少年が近づいてくる。 「行こうよ。ねぇ、ティエリア」 一緒に時を止めてしまった、双子の片割れ。 イノベイターという、人間の上位種にあたる彼らは、不老不死に近い。 病気はするが、けれども不老だ。不死ではないだろうが。 怪我だってするし、その体の構造は驚くほど人間に近いけれど、性別というものさえあやふやだ。 「リジェネ、僕は何をしていたんだろうか?」 「さぁ?」 リジェネと呼ばれた少年は、男性としてのカテゴリに位置している。だけど、ティエリアと呼ばれた彼は完全に中性で、少年にも少女にもなりきれない不完全でいて、それでいて完璧な存在であった。 イノベイターを天使のようにと夢見た、イオリアの傑作品。 その科学者の名前も、歴史の影に埋もれてもう数百年経った。 「何故、僕は泣いているんだろう?」 「どうしたの。悲しいの?」 リジェネという名の、ティエリアとシンメトリーを描く双子の少年は、ティエリアの頬をその白い手で挟みこむ。 「分からない。涙が、止まらないんだ」 もう何十年も泣くことさえなかったのに。 何故、こんなにも悲しいのだろうか。 「彼を思い出していたの?」 「彼?」 リジェネの少し冷えた声音に、ティエリアは首を傾げた。 誰のことだろう。 ティエリアの世界にはもうリジェネしか存在しなくて、刹那もいたけれど何十年か前に死去してしまった。 残された二人は、シンメトリーを描きながらただ無意味に世界を生き続ける。 いつもは宇宙で、トレミーという名の宇宙シップで暮らしている彼ら。 時折、食料を買出したり、気分転換にこうして地上に降りてくる。 「名前を。忘れて、しまった」 ティエリアは、愕然とリジェネに抱きしめられながら、目を見開く。 愛しい、誰よりも愛しいその人の名を。もう何十年前、何百年前に忘れてしまったのだろうか。 生きるために、いや生き残るために、イノベイターの脳が彼から余分な記憶を削除してしまった。ティエリアは、生き続ける、いや彷徨い続ける人形だ、今となっては。 「教えて欲しい?彼の名を」 こくこくと、ティエリアはうなずく。 「教えて、リジェネ。僕が愛した人は、なんて名前だったろうか?」 リジェネは悲しそうに、シンメトリーを描く少女とも少年ともつかぬ、長い長い紫紺の髪をもった片割れを見た。 「かわいそうな、ティエリア。削除したのに、まだ引きずっているんだね。名を与えれば思い出すから、ずっと教えなかったけれど。いいよ、教えてあげる」 こくこくと、無言で頷くティエリア。 早く、早く。 教えて欲しい。 その名を。 「ロックオン・・・・ニールと、いうんだよ。君が愛した人間の名前は」 ぱちんと、ティエリアの中で何かが弾けた。 とたんに、世界が色づいた。 色鮮やかに花開く世界に、ティエリアは言葉をまた失くした。 「僕は、こんな大切なことを忘れて・・・・」 嗚咽が、もれる。 涙が溢れ出して止まらない。 待って、待って、待って。 おいていかないで! おいて、いかないで!! ティエリアは、記憶の中の、その緩やかにカーブを描く茶色の髪に、翠の瞳をした優しそうな青年の幻影を追うように、走り出す。 ティエリアは、リジェネを突き放すと走り出した。行くあてなんてないのに。 走って走って走って。 肺が呼吸の限界を告げて、そして気づくと何処かで見た墓地にきていた。 「ああ、そうか」 彼は、この墓地に眠っているんだ。 久しぶりに訪れたここは、アイルランド。 本当の彼は、宇宙で眠りについているだろうけれど、きっと魂は家族の墓のあるここ、ディランディ家に戻ったに違いない。 「ああ、僕は。あなたを、愛して。失って。それから・・・・・」 今はもう廃れた墓地を彷徨い歩き、ディランディと書かれた墓標を見つけて、ティエリアはそのガーネット色の緋色の瞳を見開き、そして金色に色を変えて、それから頭に手をあてた。 「あなたを愛していたのに。なぜ。どうして。―――忘れることなんで、できるはずがないのに。どうして、忘れていたんだろうか。愚かだな、僕は」 慟哭した。 「うわああああああああああ!ニール!!愛していたんだ!どうしようもないくらいに!!」 地面を、手で叩いて。 何度も、何度も、何度も。 血が滲むくらいに。 綺麗に結われた紫紺の髪が、汚れ、白いケープも泥でまみれていく。 真っ白なティエリアは、汚れていくことで彼を思い出していく。 心の中に浸透していく、悲哀。 「愛して、いたんです・・・」 顔を手で覆って、泣き続けた。 もう何百年前のことだろう。彼と一緒に、生きると誓い、このアイルランドの彼の生家によく遊びにきたのは。もう、下手すると千年くらい前のことかもしれない。 「あなたの元に、いつかいけると信じていたのに。未だに彷徨っている、僕は」 黒いケープが、ふわりとティエリアを包み込んだ。 「お願いだから、僕を一人にしないで・・・・」 リジェネは泣いていた。ティエリアと同じように。 二人はシンメトリーを描きながら、涙がつきるまで泣き続けた。 リジェネがいるから、ティエリアは死ねない。ティエリアがいるから、リジェネは死ねない。 答えは見つからない。 こんなに生きているというのに。 世界は平和で満ち溢れているというのに。 そもそも、何を求めていたのかさえ闇の中。 「いつか、あなたの元へいきたい」 ティエリアは、そう呟いて、リジェネに抱きしめられながら、最後の涙を流した。 それは地面にポチャンと音をたてて波紋を広げたあと、吸い込まれて消えてしまった。 遠い世界で。僕らは、迷子になっている。 もう、この世界には僕らだけ。 それ以外、意味なんてないんだ。 ニール。あなたの意味さえ、もう忘れてしまいそうなほど生きて、生きて。 また明日も、多分同じように朝日をみて夕日をみて、そして夜を迎えるのだろう。 怯える子羊のように、シンメトリーを描く、幼さをどこか残した二人は、立ち上がって宇宙で還っていくのだった。 そう、世界を見守り続けるために。イオリアが託した運命を執行し続けるために。 ヴェーダと、共に。 |