おかえり








ノーマルスーツからユニフォームに着替えていくアレルヤの上半身を、ティエリアは見てしまった。
何も、見るつもりで見たわけではなかった。たまたま視界に入っただけだった。
けれど、ティエリアは息を呑んだ。
鍛え上げられた肉体に浮かぶ、明らかな拷問の後を。
それは、意識しなければ分からなかったかもしれない。かすかな、皮膚に残った傷跡だった。
けれど、人としての視力を遥かに凌駕したティエリアの両目は、見逃さない。眼鏡をかけているのは、見えすぎる世界を 人並みに落とすためと、太陽光にも人工光にも弱い眼球を保護するためであった。

アレルヤの肌には、蚯蚓腫れのような引きつった傷跡がいくつも残されていた。
火傷で負ったと思われる痕も見えた。
医療行為は必要最低限の知識しか持ち合わせていないティエリアであったが、戦闘で負った傷跡と、そうでない傷跡の区別くらいは できた。それに、戦闘行為で負った傷跡は、皮膚にその痕を残さないレベルにまで、完璧に治療される。
そして、アレルヤが連邦政府に捕まり、4年間もの間拘束生活を余儀なくされていたことを思い出す。
考えれば、案外容易なことだったのだ。
ソレスタルビーイングの、しかもガンダムのパイトロットが敵に捕まって、どんな目に合わされるかということくらい。

拷問と、尋問。
ティリアの脳に、二つの言葉が浮かんでは沈んでいく。

アレルヤの肌は、ティエリアのように際立った白さはない。けれど、日に焼けていないせいもあり、人種の中でありがちな肌にして は白いほうだ。
それが、残された傷跡と他の何もない肌との区別をより一層明確なものにしていて、見ているだけでも痛かった。
どんな拷問を受ければ、あんな惨い傷跡ができあがるのだろう。


刹那とライルはすでに着替え終わり、室内を後にしている。
残されているのは、アレルヤとティエリアだけだった。
ティエリアはいつも、最後に着替える。3人全員が着替え終わったのを確認してから、いつもやっとノーマルスーツを脱ぐ。
ティエリアは、自分が本当は男性ではないということを隠していた。
無性の中性体は、身体の作りこそ男性ではないが、無論女性でもない。男性のように平らな胸。けれど、その身体が描く曲線は男性の ものにしてはあまりにも滑らか過ぎて、未成熟な女性を思わせる。
他人に肌を見られるのが嫌な理由もあった。
そんなこともあり、ティエリアはいつも最後に着替えていた。


「ど、どうしたの、ティエリア!?」
自分の目の前で、急に涙を零し始めた絶世の美貌に、アレルヤが声をあげた。
すでに服は着替え終わり、ティエリアだけがノーマルスーツの姿のまま立ちつくしている。
そのティエリアが、声を立てずに泣いている。
アレルヤは慌てた。
「どうしたの。お腹でも痛いの?どこか、体調でも悪いの?」
相手の涙の真意を知ろうと、必死になる。
ティリエリアを気遣って、アレルヤは困惑したまま、ティエリアの細い手を取った。
氷のように冷たい体温に、驚く。
ティリエアの体温は、人がもつにしてはあまりにも冷たすぎた。平均体温が人よりも低く、彼が人間ではないということを 静かに物語っているようでもあった。
ふるふると、震えるティエリアは、アレルヤの言葉に首を横に振った。

「僕は、愚かだ。君が受けた仕打ちを、気づかずにいるなんて!」
その言葉に、おろおろとしていたアレルヤが、固まった。
傷跡を、見られた。

「どんなに、痛かっただろう。どんなに、苦しかっただろう」
涙を零すティエリア。
アレルヤは、思った。自分のせいで泣いているのもあるが、それよりも自分の代わりに泣いてくれているのだと。
「泣き止んで、ティエリア。僕が受けたものは、僕が犯した罪への報いなんだ。ティエリアが泣くことなんて何もないんだよ」
優しくティエリアを包み込む。
普段あまりティエリアの体に触ったことのないアレルヤは、その細さに驚いた。
「僕は、君を4年間も助けられずにいた。いっそ、罵ってくれれば、どんなに楽だろうか」
「だから、これは報いなんだよ。僕が殺してしまった人たちへの、僕が犯した罪への報い」
「そんなことはあるものか。アレルヤ・ハプティズム。君は、優しすぎる」
「優しいのは、ティエリアのほうだよ。僕の代わりに、泣いてくれている。本当に、変わったね」
ティエリアの涙を拭き取って、アレルヤは、ほら大丈夫だからと、くるっとまわってみせた。
そんなアレルヤの姿に、ティエリアは声を落としまま続ける。
「僕は、弱くなった」
「それは違うよ。ティエリアは、成長したんだ」
「成長?」
「そう。人間として、精神がね。弱くなったんじゃない。人間らしくなったんだ」
「僕は……」
俯くティエリアに、アレルヤは懐かしそうに天井を仰いだ。
「ロックオンのお陰だね」
アレルヤのいうロックオンは、ライル・ディランディのことではなく、彼の双子の兄であるニール・ディランディのことだ。
もう、いなくなってしまったけれど。
「ロックオン・ストラトスの…」

しばらくの間、懐かしそうにロックオンのことを想った。
そして、ティエリアが問いかけてくるままに、4年間に何があったのかを包み隠さずに話した。
泣かないって、約束だよ?
最初にそう交わしたのに、アレルヤが予想通り拷問と尋問を受けていたことを聞いて、ショックを隠しきれずにティエリアは 涙を浮かべる。
「もう、だから泣かないでってば。僕はもう、平気なんだから。ティエリアは、ちゃんと僕を助けにきてくれたじゃない。それだけで、僕は十分だよ」


「アレルヤ・ハプティズム」
「なんだい?」
全てを話して、落ち着いた様子のティエリアに、アレルヤは安堵のため息を漏らす。
「皮膚再生治療を受けるべきだ」
「そんな、大げさな」
「大げさじゃない。その痕がある限り、僕は何度だって言う」
「僕にとっては、報いの証だと思ってたんだけどね。それで、ティエリアの気が済むなら、その治療受けるよ」
「ありがとう」
コツンと、ティエリアの頭がアレルヤの肩に押し当てられた。

本当に、変わったね、ティエリア。
そんなことを思いながら、アレルヤは皮膚再生治療というものはどういうものだろうと、思案する。

「礼を言うのは僕のほうだよ。ありがとう、ティエリア」
「アレルヤ・ハプティズム」
「何度だって言うよ?助けてくれて、本当にありがとう。僕の代わりに涙を流してくれて、ありがとう。それから…」
「それから?」

とびきりの笑顔で、アレルヤは微笑んだ。
「本当に、今度こそただいま」
「……おかえり。アレルヤ・ハプティズム」

そして、ノーマルスーツのままのティエリアの姿に気づいたアレルヤは促した。
「ほら、ティエリアもちゃんと着替えて。肌を見られたくないのは知っているから、僕は退散するから」
ティエリアのために、部屋を出て行こうとするアレルヤの手を取って、最後にティエリアはつけ加えた。
「おかえりなさい。生きていてくれて、本当にありがとう」



本当に、おかえり。
生きていてくれて、ありがとう。