それは、まるでキャンバス。 自由に絵がかけるキャンバス。 そこに描かれているのは、真紅の瞳でじっとティエリアを見つめる刹那と、石榴色の瞳で刹那を見つめるティエリア。 手を握り合って、笑っている。 そこに愛は、あくまでも存在しない。 愛を描くことのないキャンバス。 それが、二人。 長い長い会議の後、解散という形になった。 それぞれ自由時間を満喫すべく、各自の部屋に戻っていく。 「けほっ」 しゃべりすぎたティエリアは、酷い喉の渇きに壁に手を当てる。 そういえば、おとついあたりからほとんど水分を口にしていなかった。 自然と、汗として水分は逃げていってしまう。それはイノベーターであるティエリアとて同じことだった。 「刹・・・」 名前を呼ぼうとして、すぐ傍にいつもいる存在がいないのに気づいて身を震わせた。 カタカタカタ。 小刻みに震える体を、落ち着かせようと深呼吸する。 完全な脱水症状だ。体温が上昇していくのを、他人事のように感じていた。 普通の人間の脱水症状とは違う症状を、人間ではないイノベーターのティエリアは引き起こす。 失念していた。 水の補給を怠るなんて、なんたる失態か。 声が、声にならない。 会議室にはもう誰もいない。 どうしようか。 このまま倒れるのか、無様に。 くず折れていくティエリアの体を、戻ってきた刹那がしっかり支えていた。 スポーツドリンクを口に含むと、そのままティエリアに口移しで飲ませる。 「う・・・・」 意識を失いそうになっていたティエリアは、水分が僅かであっても分け与えられたことにより、意識を朦朧としながらも戻す。 「飲めるか?」 ペットボトルを渡されたが、首を振る。 すると、刹那は何度も中身を口にしては、口移しでティエリアに飲ませた。 体中に、失われていた水分が少しづつ戻ってくる。 「飲めるか?」 再度、刹那は聞いた。 ティエリアはしっかりと覚醒した意識で、頷いた。 そのまま、ペットボトルの中身を全て飲み干してしまう。 二本目のペットボトルが渡される。その中身も全て飲み干してしまった。 この前の戦闘で傷を負っており、痛みが酷いために一時的に痛覚に関する神経を遮断していた。 それに響いて、喉の渇きも感じることがなかった。 「昨日から、水をほとんど飲んでいないので気になっていた。痛覚を遮断しているな。鎮痛剤を用意してある。遮断を解除しろ」 有無をいわせぬ強い口調。 ティエリアは、刹那に支えられながら、遮断していた痛覚に対する神経を解放する。 綺麗に弧を描いた眉が、動く。 化粧もしていないのに、まるで氷の華のような、あるいは大輪の薔薇のようなその美しさは色褪せることもなく、雪の結晶のように儚さを保ちながらも、萎れることもなく凛と強く輝き続けている。 桜色の唇は、本当に紅をはいたように紅く紅く、雪よりも白い肌は白磁のようである。 ティエリアは、自分の痛みに関しては一切泣かない。それは刹那も同じだったが、ティエリアの場合見ていて痛々しいくらいに、限界まで我慢する。 痛覚に対する神経が鈍いせいか、重症を負いながらも戦いぬく。 石榴色の瞳が、大きく見開かれる。 唇を噛み切るティエリアに、刹那は自分の手を噛ませた。 「い・・・ああああ」 ティエリアは内臓を傷つけていた。肋骨も折っている。 本来ならば、治療カプセルで昏々と眠り続けているはずだった。 それなのに、何事もなかったかのように振舞う。 他のメンバーが軽い怪我で済んだこともあり、誰もティエリアが重症であるなどと気づいてはいない。 ドクターだけが、固く口止めをされながらもそれを知っていた。 ティエリアは、刹那の手に荒々しく噛み付く。 その痛みは、ティエリアの痛みだ。刹那は思う。 そのまま、血管に注入式の鎮痛剤をティエリアに投与する。 「このくらいの、ことで」 「そこまでにしておけ。いくら治癒スピードが人の数倍も速いからといって、今回は重症すぎだ」 「気づいて、いたのか」 「この俺が、気づかないと思うか?」 「そうだな。刹那には、気づかれるな」 氷の華のような笑みを浮かべる。 冷たい、けれど刹那にだけは暖かい微笑を。 「治療カプセルいきだな、今回は」 「それは、嫌だ・・・・」 「安心しろ。ずっと、傍についているから」 「本当だな?」 石榴の瞳が、数回瞬かれる。 綺麗なガーネット色の瞳で、刹那のピジョン・ブラッドのルビーの瞳を見つめる。 「俺が嘘をついたことがあるか?」 「いいや、ない」 一人で歩こうとするティエリアを、さも当たり前のように刹那が抱きかかえる。 「傷むだろう。無理はするな」 「分かった」 ティエリアは、刹那には甘える。 他の誰にも甘えるような行動はとらない、豹のような孤高さと優雅さを保っているのに、刹那の前だけだと子兎のようにかわいくなる。 それが、刹那には愛しかった。 ティエリアは刹那を選び、刹那もまたティエリアを選ぶ。 比翼の鳥。 見えない翼を背に、寄り添いあう。 きっと、翼があるとしたら、ティエリアは氷の翼で、刹那は燃え上がる炎の翼だろう。 対極に位置しながらも、お互いを包みあう。 他の誰から見ても、そんな二人の関係は理解不能だろう。 ティエリアがいるから、傍に刹那がいる。刹那がいるから、その傍にティエリアがいる。 軽いティエリアの体重を抱き上げる。ティエリアはいつものことなので慣れている。刹那の首に腕を回す。 「2キロ、体重が落ちたな」 「君は人間体重計か」 「治療カプセルで怪我を治したら、肉中心のメニューを食わせる。覚悟していろ」 「肉は、あまり好きではない・・・」 心底いやそうに、ティエリアが天井を仰ぐ。 「そんなんだから、いつまでもたっても昔のような理想体重に戻らないんだ。ロックオンがいた頃は、無理やりティエリアも食べていたしな」 「懐かしいな」 刹那が医務室に向かってティエリアを運ぶ。 「あの頃に戻りたいか?」 「できるなら、戻りたい。だけど」 「なんだ?」 「今は刹那がいるので、それほど戻りたいとも思わなくなった」 その言葉に、刹那がティエリアの桜色の唇に口付ける。 「愛の告白か?」 「くくく、これが愛の告白になるなら、僕はクルー全員に愛を告白していることになる」 「だろうな」 他愛もない会話をしながら、そのままティエリアは重症であることを理由に治療カプセルに入れられた。 刹那は、ティエリアに約束したとおりに、目覚めるまでの数日間、ずっと治療カプセルの傍にいて離れなかった。 それは、まるでキャンバス。 自由に絵がかけるキャンバス。 そこに描かれているのは、真紅の瞳でじっとティエリアを見つめる刹那と、石榴色の瞳で刹那を見つめるティエリア。 手を握り合って、笑っている。 そこに愛は、あくまでも存在しない。 愛を描くことのないキャンバス。 それが、二人。 |