あなたの傍にU









「おっと、気をつけろよ」
ティエリアはつまずいた瞬間、ロックオンに身を支えられた。
「これだから、地上は嫌いなんです」
何もない平らな地面で、ティエリアはつまづいた。
無重力環境になれた彼には、重力のある地上の環境は居づらかった。トレミーでは地面をトンと蹴れば、 体はふわりと浮かんで前に前進した。しかし、地上では地面を蹴ってもつまづくだけだった。

ロックオンの故郷のアイルランドにやってきた。
ロックオンとティエリアは、与えられた2週間の休暇を、ロックオンの故郷で過ごすことが決まっていた。
彼の家は、割とこじんまりとしていて、それでも失ってしまった家族の人数が住むには十分な広さがあった。
都市からわりとはなれた田舎のほうに、ロックオンの家はあった。
移動手段は車かバスだ。ロックオンは自分の車で、ティエリアと共に故郷の家を訪れた。
時折ハウスキーパーが手入れをしているとロックオンがいった通り、今では誰も住んでいないその家は綺麗に整えられ、人が 生活している匂いさえ漂わせていなかった。
ロックオンは、家に向かう途中に大量の食料を買い込んだ。
家には、食物など置いていない。2週間を過ごすためには、それなりの量の食物が必要だった。
他にも、生活に必要と思われるものはたくさん購入した。
それらを広げて分け、必要な場所に置くことで、生活臭の漂っていなかった家に、確かに人が住んでいる証が生まれた。
「それは台所に置いといてくれ」
ロックオンの手から荷物を受け取って、ティエリアは彼の言われたとおりに荷物を置いた。
「それにしても、じゃがいもが好きですね、あなたは。少し買いすぎではありませんか?」
食料の大半を占めるじゃがいもの量に、最初ティエリアは開いた口が塞がらなかった。
いくらロックオンの好物がじゃがいもとはいえ、限度というものがあるだろう。
「なーに、多いにこしたことはないさ。それに残ればトレミーに持って帰ればいい」
明らかに、2週間分の食料の分にしては多いじゃがいもを見ながら、ティエリアはため息をついた。
買い込んだ食糧を車に詰め込むだけでも精一杯だったのだ。それを、手でもってトレミーに帰還するなど考えただけで億劫だった。
「流石に、1回じゃ2週間分の生活に必要なものは買い揃えられないからな。ティエリア、また買い物にいくぞ」
「またですか」
ティエリアが辟易となった。
買い物という行為を楽しむ趣味はティエリアにはなかった。ものを選ぶだけでも面倒くさい。
「お前さんの服も買わんとな。いくら着替えを持ってきてるとはいえ、毎日同じ格好じゃあな」
「僕は、この服装でかまいません。別に、同じ格好だからといって何か問題がおこるわけでもないでしょう」
ティエリアは、ロックオンの好意を一蹴したが、ロックオンはかまわずティエリアの服を買うことを決めたようだった。
「2週間も家にいてばかりじゃつまらんから、アイルランドをいろいろ案内して回ろうと思ってさ。それに、俺もティエリアの違う服装が見たい」
「あなたの我侭のために、僕は服を買わされるわけですか」
「まぁ似たようなもんだ。あんまり文句ばっかりたれてると、女物の服をかって着さすぞ」
ロックオンの翠の瞳が、悪戯に輝いた。
それにティエリアが小さな悲鳴をあげた。
「止めてください!女装なんて、考えただけでも身震いがする」
「でもこの間、視察のために女装したじゃないか。似合ってたぜ」
「あれは任務のために、仕方なくしたまでです。そうでなければ、誰があんな格好など」
ティエリアは、以前ロックオンと武力介入する国の財政会のメンバーが集うパーティーに、視察のために潜入したことがあった。
ロックオンのパートナーとして、ティエリアは出席した。
まだ若いティエリアの、絶世の美貌と可憐なドレス姿に、言い寄ろうする男性が多かったためである。
そのため、個別で視察を行うはずであったのだが、急遽パートナーとして二人一組で行動を共にした。
任務のための女装は、ティエリアには頗る似合っていた。
ロックオンでさえ舌を巻いたほどだ。

一通り荷物を片付け、食料を貯蔵庫と冷蔵庫に放り込んだロックオンは、ソファーベットに座って、わりと寛いでいる様子のティエリアを見た。
「まぁ、とにかくおれも自分の服買うしな。ティエリアのことだから、服なんて選ぶこともしないだろうから、俺が適当に見繕ってもいいな?」
「ご自由に。あなたのセンスは悪くありませんから。女性ものでなければ、構いません」
「買い物にはティエリアもついてくるんだぞ。サイズとかの問題があるからな」
「それくらい分かっています」
ティエリアは、トレミーから持ち込んだ私物の中から、小説を出してそれを読み始めていた。
ロックオンと時間を共有しているとはいえ、べたべたする気はティエリアにはなかった。
暇な時間をどう扱うのも、結局はティエリアの自由だ。
ロックオンの傍にいるととても安心はしたが、ロックオンの実家だからといって特別何かをする必要もないとティエリアは思っていた。
「全く、本当にわかってんのかぁ?」
ロックオンが、自分を無視して小説を読むティエリアの行動に、彼らしいとは思いつつも少し哀しい気がした。
せっかく実家につれてきたのだから、もっと楽しんでほしかった。
けれど、ティエリアの顔には楽しいという言葉の文字すら浮かんでいないように見える。

「後悔してるか?俺の家で2週間滞在すること」
「いいえ。ここはあなたが生まれた家だ。そんな場所であなたと時間を共有できることに感謝しています」
ティエリアが、小説で顔を隠した。
それに、ロックンが笑い声をあげる。
「照れるなら、隠さずに堂々としてろ。ここには俺以外いないんだから」
「返してください!」
ロックオンに小説を取り上げられて、ティエリアは少し紅くなった頬を隠すことができずにロックオンの背中を叩いた。
「あなたという人は!意地が悪い」
「いててて。簡便」
ロックオンが、ティエリアに小説を返す。
そして、ティエリアはソファーベッドの上にあったクッションに、顔を埋めた。
緊張する様子もないティエリアに、ロックオンは苦笑すると、同じソファーベッドに腰掛けた。
「夕食はシチューでいいか?あとポテトグラタンと」
「どれもこれも、どうせじゃがいもまみれなんでしょう?好きにしてください」
「料理、手伝ってくれるよな?」
「それくらいしか、僕にはできませんから。居候の身になるんですし。ただし、料理の腕はきかないでくださいね」
もそりと、顔をあげたティエリアは、ロックオンの翠の瞳を見つめた。
ティエリアは料理が得意ではなかった。できないわけでもないが、本を見ながらでないと無理だし、調味料に到っては数ミリグラムまできちんと計らないと気がすまない。
やや乱れた紫紺の髪を、ロックオンはくしゃりと撫でた。
「本当は、一緒にいてくれるだけで十分だ」
「恥ずかしいことを、さらりと口に出しますね」
そして、ティエリアはクッションを抱くと、ロックオンの肩に頭を寄せた。
サラリと、乾いた音とたてて紫紺の髪が零れ落ちる。
「生活臭はしないはずなのに、どうしてでしょうね。この家は、かすかにあなたの匂いがする。あなたが生まれて、育っていったせいでしょうか」
ティエリアの高くもなく低くもない声は、声変わりする前の少年の声のようであった。
綺麗なボーイソプラノを耳にしながら、ロックオンはティエリアの肩に手を回した。
「ティエリアこそ、恥ずかしいこと口に出してるぞ」
「そうですか?でも、この家にいるとなんだかとても安心します」
「来て良かっただろ?」
「そうですね。それに、あなたが傍にいてくれる」
ティエリアは石榴の瞳を数回瞬かせた後、目を瞑った。
「寝るなよ。買い物、この後に行くんだから」
「寝ませんよ。ただ、しばらくこのままで居たいです」
ロックオンは、ティエリアを支えたまま同じように目を閉じた。
この家に一人でいるときは、家族のことを思い出して時折とても辛かった。
だが、今は隣にいるやや低めの体温をしたティエリアのお陰で、まるで昔に還ったかのように、懐かしさに包まれた。


「一緒にいてくれて、ありがとうな」
ロックオンの言葉に、目を瞑ったままのティエリアが微笑みを刻んだ。
「なら、僕はあなたの生まれた家に誘ってくれてありがとうというべきでしょうか」