拒否








「邪魔だ。そこをどいてもらおうか」

ただすれ違いそうになっただけで、通路は端が空いているというのに、ティエリアのツンケンした態度と言葉にライルはむっとなった。
何も言わず、端を通り過ぎればそれで十分だろうに。

何かにつけて、このティエリアという名の少女とも少年ともつかぬ容姿をもつ美人は、強く当たってくる。
アイルランドから、このプトレマイオス2号にきてまだ1週間もたっていない。
ライルという名を捨て、兄と同じコードネームを持つようになった。ロックオン・ストラトス。それが今の名前だった。
ガンダムマイスターとしての。

操縦の仕方やら飛行訓練やら射撃訓練に、その他機密事項をたくさく記憶しなければいけないし、やることはたくさんある。
トラブルもこれから幾度も発生していくだろうし、全てを円満にするためにも、これから長い時間を一緒に過ごしていく仲間というものと仲良くやっていくにこしたことはない。
それなのに、この少年はどうだろうか。
刹那という中東出身の青年とはもうある程度会話をし、人物の大体の輪郭は掴んだ。
りんごと牛乳がすきな、どこか子供じみた部分をもつ、何を考えているのか分からない…それが、ライルの受け取り方だった。けれど、マイスターとしてどこかカリスマ的な魅力をもつ、確実な腕を持つ仲間。
もう一人は、まだ子供だった。
17かそこらの年齢にみえて、はじめは女性と勘違いした。プトレマイオスの女性陣はどちらかというと巨乳の傾向があるため、胸のなさに少し驚いた。失礼ではあるが、かなり貧乳の背の高いモデルみたいな女性。それが 初めて会った時のティエリアの印象だった。
きつめの美貌は、神が創造した奇跡のようで。男性がもつ容姿にしてはあまりにも華やかすぎたし、華奢な体つきには筋肉というものが見えず、モデル顔まけのスリムな肉体はどちらかというと男性というより、女性だとライルは判断した。
ガンダムマイスターとしての訓練を受けていれば自然と筋肉はつくもので、その肢体はゴツゴツとした曲線はなく、どちらかというと滑らかなものと受け取れる。
まだ子供の域にある女性のガンダムマイスター。
自然と、容姿のせいもあったが、保護欲というものが沸いてくる。女性であるならいっそう、仲良くなりたいと思った。
ライルは胸のあるなし、容姿の良し悪しに関わらず、女性には優しく接する男性だった。
それが尚更いけなかった。
刹那に渡された資料に目を通してはいたが、マイスターに関してはぱらぱらと見ただけで、パソコンでティエリアの姿が映し出された瞬間にライルはすでに、彼を女性であると判断していたのだ。ピンク色の女性が好みそうな色のカーディガンを着たその姿が、ティエリアを女性だと思わせることを助長していた。 そしてその容姿が、とても自分の好みの部類に入るのだとも自覚した。 性別の欄なんて、無論目を通しているはずがない。見た目で分かればそれでいいのだから、その必要性など皆無だったのだ。

「画面で見るより、実物のほうがやっぱ美人だな。女なのにガンダムマイスターだなんて優秀なんだな。でもきついだろ?何かあったら俺に言えよ。ちゃんと守ってやるから」
その言葉に、目の前の少女は顔を紅潮させた。
ライルは、それが恥ずかしさからくるもの…つまりは好意的に捉えてもらったのだと勘違いした。
刹那が止めるより先に、英語圏内ではありがちのあいさつのキスをする。
積極的に出たほうが、こういう過酷な状況にある女性には、初対面では大きな印象を与えれると思った。
頬だけでなく額にもにキスをすると、目の前の華奢な体が震えた。
その瞳が石榴色から金色へと変わり、大きく振り上げられた手がライルの頬を張った。
しかも、一度ではなく往復だ。
パン、パン。
乾いた音を立てて、艦内は静まり返った。
「初対面の相手の性別を間違えた上、ナイト気取りか?しかもセクハラつきとは。僕はガンダムマイスターとして新しい仲間が、優秀であってくれればと期待していたが、大きく外れたようだな。 見た目だけで相手を判断するなど、万死に値する。ここが地上なら、銃の一発でもお見舞いしてやりたい気分だ。不愉快極まりない」
舌打ちをする声音は、高くもなく低くもない。
ライルが受けた平手打ちはかなりのダメージで、口の中を切った。錆びた鉄の味より、相手の反応に驚愕した。
今まで初対面の相手に、こんな手ひどい仕打ちを受けたことがなかったからだ。それから、その言葉の内容から彼が女性ではなく、男性であるということを思い知らされた。
「刹那・F・セイセイ、本当に彼をガンダムマイスターにするのか。僕は反対だ」
ティエリアは固まったままのライルを無視して、刹那に歩みよる。
キスされた頬と額を、汚らわしいものを拭い去るように、何度も服の裾でゴシゴシと力の加減もなく拭うティエリアの細い手首を捉えて、刹那が首を振った。
「彼以外にはあり得ない。他に、候補者はいない。擦りすぎだ、皮膚が赤くなっている」
「よりにもよって、あの人の片割れがこんな人物だったなんて!……ああ刹那・F・セイエイ。大丈夫だ。僕は、大丈夫だ。大丈夫」
ポケットから渡された刹那のハンカチを片手にした、ティエリアの体が震えている。
今にも涙を零しそうな美貌が、きつく自分の左肩に爪を立てる。
はたから見ても、泣くのを我慢している。
「悪かったよ。でも、そんな言い方ないだろう。俺と兄貴は違うんだ」
ライルが、あまりの相手の拒絶に眉根を寄せた。
パキっ。
綺麗に伸ばされた爪が割れる音がして、ライルはティエリアの腕を掴んだ。
「おい、爪割れてるっ。血が出てる」
深い拒絶。
ティエリアはライルの手をすぐに払い、刹那に手を伸ばす。
「ロックオン・ストラトス。すまないが、彼は調子が悪いようだ。医務室まで連れて行くから、あんたは自室で待機していてくれ。自室までは、他のクルーが案内してくれるだろう」
ティエリアの伸ばされた手を取って、刹那はライルにもハンカチを渡した。
張られた頬は赤くなり、切れた唇からは血が流れている。ライルは素直にそれをうけとって、唇の血を拭った。
まだ何かいいたげなライルを無視し、刹那はティエリアが壊れてしまうより先に、彼の肩に手をかけて耳元で囁いた。
「ティエリア・アーデ、しっかりしろ。あのロックオン・ストラトスに、彼を重ねるな」
ティエリアは刹那に全てを任せ、刹那と共に宙を翔けた。
一人残されたライルは、こんななことでこれから上手くやっていけるのかと、ため息をついた。刹那はともかく、あのティエリアという少年に早速嫌われた。
性別を間違えたせいもあるだろうが、兄と比べられたことにライル自身も傷ついた。
軽すぎた自分の行動を恥じた。
だが、いくらなんでもあそこまで拒絶されるものだろうか?
今にも泣きそうな美貌を思い出す。
ライルの顔を見て、泣き出しそうになるのは、完全にライルにニールを重ねている証だ。
兄は死んだと聞かされた。実感はあまりなかったが、ちゃんと受け入れた。自分だって片割れの兄が死んで哀しいのは当たり前のことなのだ。俺だって、泣きたい。
ライルは血の滲んだ刹那のハンカチを握り締め、宇宙が見える窓に歩み寄った。
「なぁ、兄貴。あんたは、ここでどんな風に生活して、どんな風にあいつらに接してたんだ?ちゃんと上手くいってたのかよ」
一癖も二癖もありそうな仲間と、これからうまくやっていけるだろうか。

「刹那・F・セイエイ。僕はもう大丈夫だ。心配をかけてすまない。以後、このようなことにならないように自重する」
医務室の前で、刹那から簡単に治療を受けたティエリアが、心配そうな顔のままの刹那に返す。
「あの人は、彼じゃないんだ。受け入れれば、簡単なことだ」
「あんたが受け入れるには、辛過ぎるんじゃないのか。なんなら、鎮静剤でも打っていくか?」
「必要ない。そこまで弱くなりたくない。現実逃避をしても、なんにもならない」
「そうか。泣きたくなったら、呼べ。傍にいてやることぐらいは俺にもできる」
ティエリアは強く否定した。
「泣くものか。泣いてたまるものか」
「そうか。では、また後で」
「世話をかけた」
ティエリアは自室に帰り、神様の悪戯がくれた、あの日の奇跡に拾ったニールの手袋を抱きしめる。
ベッドに蹲り、あなたは私の心の中に生きているのだと、目を瞑る。
涙は流さない。もう、流さないと決めた。刹那だっている。アレルヤだって、絶対に生きている。

新しいロックオン・ストラトスとガンダムマイスターとの生活は、波乱から始まった。