愛を唄う・後編









「はぁ。疲れた」
椰子の木に凭れて、ティエリアは息をついた。
刹那から着せられたパーカーは、去り際に落としていった。
「大丈夫かい、お嬢さん」
「ロ……あ、いえ、大丈夫です」
思わずロックオンと叫びそうになって、ティエリアは慌てた。
腰のホルダーに手がいきそうになっているのも、癖のようなものだ。こんな場所に敵はいないとは分かっていても、驚くとつい 銃に手がいってしまう。
「いい加減、芝居やめたらどうだ。ティエリア」
「あなたは、気づいてて!」
「アレルヤと刹那は気づいてなかったみたいだけどな」
「その格好、よく似合ってるぜ。かわいいな」
カーっと、ティエリアは紅潮した。
「違うんです!これは、他に着る服がなかったから、王留美から渡された物を着ただけで、別に着たかったわけじゃないんです!」
「あのまま、別荘に閉じこもってるって選択肢もあっただろう?」
「それは!あなたが、来いといったから、こんな格好してまで来たんです!」
「へぇ。じゃあ、俺のためにその服着てくれたみたいに思ってもいいのか?」
「あなたが悪いんでしょう!ろくな服なかったじゃないですか!しかも水着なんて!褌とか着ぐるみとか、僕をばかにしてるんですか!?」
「俺はてっきり、いつもの格好でやってくるものだと思ってたんだがな」
じっと自分をみつめてくる翠の瞳に、耐え切れなくなってティエリアは顔を伏せた。
「あんまりじろじろ見ないで下さい。どうせ似合わないんですから」
「いいや、すごい似合ってるぜ?」
「僕は女の子じゃありません。それなのに、こんな格好、可笑しいと笑えばいいでしょう」
「別に、女装してるわけじゃないだろう」
「似たようなものです。女性化した中性体なんて。気持ち悪いでしょう?」
自分を卑下するティエリアの手をとって、ロックオンは抱き寄せた。
「お前さんは、お前さんだ。性別なんて気にしてない」
「僕は。僕は、あなたのような強い男に生まれたかった!!」
「俺は、ティエリアには悪いけど今のティエリアが大好きだ。少しずつ、俺のせいで女の子になっていくティエリアが好きだ」
ロックオンの言葉に怒るでもなく、その腕の中で、ティエリアは静かに体重を預けた。
ツインテールの髪が、ロックオンの頬を撫でた。
「あなたが望むなら、僕は女の子でもいい。でも、僕の体に性別ははっきりと現れない。女の子になれない」
「それでもいいさ。俺はティエリアの傍にいられるだけでいいんだ」
「あなたは、無慈悲に優しい。それが僕を苦しめる」
「ティエリアは、人間で、そして無性の中性体。それでいいじゃないか」
「あなたのせいで、女性化が進んでますけどね」
「責任はとるさ」
「どうやって?」
「そうだな。結婚でもするか?」
リンと、ティエリアの首のチョーカーの鈴が鳴った。

「冗談は止めて下さい」
「いいや?俺は本気だぜ」
「ロック……」
名前を呼ぼうとして、唇で塞がれた。
頬や額にキスを受けたことは何度もある、唇にキスされたことも始めてではないが、深い口づけをされたのは始めてだった。
「ん……」
優しいキスを受けて、ティエリアの腕がロックオンの首に回される。求めるように、ティエリアは自分からも口付けした。
「本当に、女性化進んでるんだな。胸がある」
キャミソールの上から、本来ならば平らであるはずの胸を撫でられて、ティエリアは戸惑った。
「いつもは、ベストを着てますから」
小さく膨らんだ胸を押しつぶす形になるが、ティエリアには構わなかった。女になる必要はないのだ。男であるほうが、戦闘でも有利である。
だが、ロックオンが求めるなら、このまま自然に女性化していくのを止めずに、女の子になるのもいいかもしれない。
「小さいな」
「あ、だめっ」
キャミソールの中に手が進入して、膨らみ始めたばかりの小さな胸を包み込んだ。
「ブラジャーとか、やっぱつけないよなぁ?」
「誰がつけるものですか…」
首筋を強く吸われ、鎖骨に痕を残された。
「あっ」
やわやわと胸を揉まれ、手が露出した太ももを撫でる。
ティエリアは、立っていることができずに、へたりこんだ。
細い腰を引き寄せられ、背骨にそって手がラインを描く。
そのまま、草むらに押し倒される。
ティエリアは、ロックオンを見上げていた。怖かったが、涙は出なかった。
ロックオンは、ティエリアの頬を包みこむと、深く口付けした。
「んー」
舌をからめとられ、ティエリアはどうすればいいのか分からなかった。
ただ、目の前のロックオンに縋りついた。
糸を引いて、ロックオンの舌が戻っていく。ティエリアは、唾液を呑み込みきれずに、溢れさせた。
それを、ロックオンの手が拭ってくれた。
「よっこいせ」
ロックオンが、足を開いた形で座った。押し倒されていたティエリアは、座りながら抱き寄せられる格好となった。
ツインテールのリボンが解かれ、ヘッドフリルが取られる。
さらさらと零れ落ちていく髪を、ロックオンは梳いていた。
キャミソールの細い肩の部分を落とされて、ティエリアは覚悟を決めた。
だが、ロックオンはキャミソールを脱がさなかった。
細い両肩を撫で、痕を残すと、右肩に歯をたてた。
「いたいです」
お返しとばかりに、ロックオンの腕に噛み付いた。
「あんだけきつく結ってたのに、全然あとが残ってないなぁ。ティエリアの髪はサラサラのままだ」
ツインテールを解いたけれど、髪はティエリアの肩に落ちるだけで、結っていた証は残らなかった。
ティエリアは、背伸びして自分からロックオンの唇に唇を重ねた。
拙い行為に、ロックオンが苦笑する。
「僕は、あなたになら全てを捧げてもいい」
自分からキャミソールの肩を落とし、脱いだ。
ティエリアは震えていた。涙も浮かべていた。
ロックオンは、ティエリアの脱いだキャミソールを元に戻し、自分が着ていたパーカーを羽織らせた。
そして、涙を吸い上げる。
「ロックオン?」
「怖いんだろう?無理すんな」
「でも、これではあなたが」
あなたが、辛いだけではないのか。
ティエリアは男性ではない。性欲というものは皆無だったが、ロックオンはれっきとした男性だ。
その対象とされたことに、ティエリアは驚きはしなかった。ロックオンが好きだった。ロックオンも自分を好きでいてくれる。
ならば、その対象とされてごく自然のことだった。
だが、ロックオンは穏やかだった。
「俺は、性欲の対象でティエリアを選んだんじゃない。こんなことがしたくてティエリアを好きになったんじゃねぇよ」
「じゃあ、どうしてこんな行為を」
「ごめん。俺も男だからなぁ。好きな相手が求めてくれれば、したくなっちまう。聖人君子じゃないからな」
翠の瞳が、本当にすまなさそうな色を点し、ロックオンは頭を下げた。
「ほんとにごめん。怖い思いさせちまって」
「いいえ。あなたになら、僕は何をされても構いません」
思考さえも、女性化が進んでいるのだろうか。男性としての自我を持つティエリアは、自分の言動に内心驚きながらも、偽りたくはなかった。
「だーかーらー。そういう煽るようなこと言うなって。大切にしたいんだから」
「あなたは、プラトニックラブでも平気だと?」
「ああ。俺は、平気だ。ティエリアを汚すような真似はしたくない」
「でも、十分僕は汚された気はしますが」
「責任は取る。恋人になろう」
「恋人、ですか」
「そうだ。結婚前提で」
「結婚」
「二人で、いずれ家庭をもとう。子供なんてできなくていいし、体の関係なんてなくてもいい」
「あなたは、ずるい」
僕が言いたくても言えない言葉を、平気で口にするから。
ティエリアは、ロックオンにガーネットがあしらわれたリボンをさしだした。
「誓ってください。決して、僕を一人にしないと」
そう言って、ティエリアはリボンを右手首に結んだ。
「結婚なんてどうでもいいです。ただ、僕を一人、置き去りにしないとだけ誓ってください」
ロックオンは、ティエリアの手からリボンを受け取って、右手首に結んだ。
「誓う。決して、お前を一人にはしない。ずっと、傍にいる」
カチンと、ガーネット同士がぶつかり合い、硬質な音を立てた。
リンと、ティエリアの首のチョーカーが嬉しげな音を立てる。
「それから、こういうことは外ではしないでくださいね」
「今更だな」
「今更ですね」
二人並んで、立ち上がった。手を結びあって、別荘まで歩いた。
アレルヤと刹那のことは後回しだ。今は、二人きりでいたかった。

ティエリアは、その澄んだボーイソプラノで、唄を歌った。
「お、ティエリア、唄なんて歌えるんだ。しかもすげーうまいな」
どこかの国の、愛を語る唄だった。どこの国の唄かは忘れた。
多分、イオリアが生きていた時代の歌姫が歌っていた唄だ。
イオリアに作られた特別な声帯を持つティエリアは、歌うことが好きだった。決して人前では歌ったりしなかったが、一人のとき口ずさむくらいはよくした。
その歌唱力が、かの時代の歌姫のように優れているのは、イオリアに作られたせいだろう。
だが、ティエリアには今はそれが嬉しかった。
ロックオンの耳に聴かせることができるのだから。美しい歌声は、ボーイソプラノと女性のソプラノの音域にまで及んだ。
「まるで歌姫だな」
ロックオンは、素直にそう賛美する。
ティエリアは歌い続けた。
唄の内容は簡単なものだった。
ある人間が一人の天使に恋をして、破滅を神に言い渡された。それでもその人間は、一人の天使を愛し続けた。天使もまた、その人間を愛した。 純白の翼を背に、天使は人間と二人、愛し合った。だが、やがて別れがくる。その人間が、天使を置いて天に召されてしまうのだ。 嘆いた天使は、神にお願いをする。神は、天使から純白の翼をもぎ、天界から追放する変わりに、その人間の魂を天使の元に還してあげた。魂だけとなった人間を、翼を失った天使は愛した。やがて、翼を失った天使は、その魂のお陰で人間になった。元天使である人間を、人々は優しく包みこみ、皆が皆愛を歌いだした。神様はそれを見て、人の愛するという素晴らしさに涙した。愛の歌声は 全てを包み、神も、天使も、人間も分け隔てなく愛を誓い合い、唄を歌う。
ティエリアのどこまでも澄んだ歌声は、風に乗って草原を走り砂浜を滑り、海に流れた。


南の島にいる間中、二人はリボンをつけたままだった。
それに、アレルヤ、刹那は首を傾げたものの、事情を聞くような野暮なことはしなかった。
「約束ですよ。僕を一人置き去りにはしないで下さいね」
「何度でもいうさ。置き去りになんてしない。ずっと傍にいる」







宇宙の星が漂う中、ロックオンは夢を見ていた。
いつか、結婚しようと誓い合ったあの日の夢を。
決して、一人にはしないと誓ったあの少女の瞳は、ガーネットの明るい紅だった。
天使だった。
傍にいるだけで、癒してくれる無性の天使。天使は綺麗な澄んだ歌声を持っていた。切ない愛の唄をよく唄って聞かせてくれた。
その天使は、まるで歌姫だった。
けれど、ロックオンのせいで、無性の天使は少女になってしまった。
少女は、それでも構わないと、無くした翼でロックオンを包み込んだ。
ノーマルスーツの懐から、ロックオンはあの日誓い合った時に右手に結んだリボンを取り出した。
視界が暗転する。
ごほっ。
ロックオンは血を大量に吐いた。致命傷だった。もう助からないと分かっていた。
アリーに銃を向けた時点で、そうなることは分かっていた。
リボンを、血にまみれた視界の中、ゆっくりと右手首に巻いた。
あの少女の名前は、なんだったろう。
いつも、自分の傍で笑って、怒って、泣いて。
ガーネットの瞳をした、紫紺の髪の絶世の美貌を持った、天使のような少女。俺だけの歌姫。

「約束ですよ。僕を一人置き去りにはしないで下さいね」

白い砂浜が眩しかった。
あの日、あの少女と恋人同士になる誓いをして、いずれ結婚するとまで誓った。
あの少女も、右手首にリボンを巻いていた。
名前。
なんていっただろう。

ロックオンの体が、闇に落ちていく。

ロックオンは、天使の歌姫の名前を思い出した。
何回も、その名前を呼んだのだ。
そして、抱きしめた。

「ティエリア」

言葉に出すと、一緒に血を吐いた。
吐き出す血の量は多くなるだけで、視界はまた暗転する。
ロックオンは、涙を浮かべた。
ガーネットのリボンが、音もなくはらりとロックオンの右手から外れ、宇宙を漂っていく。

「約束、守れなくてごめんな。愛してるよ、ティエリア。愛して……ずっと…お前…だけを……愛……」
言葉は、闇に呑み込まれた。
ロックオンの体は落ちていく。
その意識も、落ちていく。
どこまでも、果てしなく深い闇に。


(ティエリア。ごめんな。約束守れなくて。お前を一人にしてしまって。愛してるよ、ティエリア。ずっと、お前だけを愛して いるよ。ずっと。ずっと。たとえ、この命が果てても)






              愛を唄う the end.
                 thank you for you.