愛を唄う・終曲









「ロックオン!ロックオン!!」
ティエリアは、叫んでいた。
自分を庇ってロックオンは右目を負傷した。そして、アリーに銃を向け、ロックオンは家族の仇を討つために宇宙に呑まれていった。
石榴の瞳に大粒の涙が溢れ、止まることなく流れ続けた。
ティエリアはヴァーチェを操縦して、ロックオンの姿を探した。
宇宙は果てしなくどこまでも続いており、星の光が瞬いていた。ロックオンの姿は、どこにもなかった。ただ、永遠まで続く宇宙の海が 広がっているだけだ。
「こんなの嘘だ。うわああああああああああ」
ヴァーチェが、宇宙の虚空をひらひらと漂う何かを見つけた。
ティエリアはコックピットを開き、それを掴んだ。
ティエリアは、それを掴むと、すぐにコックピットに戻り、ヴァーチェを発進させた。
もしかしたら、ロックオンはデュナメスに乗っているかもしれない。そんな淡い期待を持って、ティエリアはトレミーに戻った。
パイロットスーツのまま、デュナメスの機体のコックピットを開ける。
中は無人だった。
「ロックオン、ロックオン」
ロックオンのAIが、彼の名を呼んでいた。
ティエリアはハロを抱き上げると、絶叫した。
「あああああああああああああああ!!!」
涙が次々と溢れ、ティエリアの頬を濡らした。
「あなたは、どうして!僕を一人にしないと約束したのに!!」
ティエリアは、ノーマルスーツの上から、結婚まで誓い合ったあの日のことを思い出していた。
白い砂浜が眩しかった。

ティエリアが、宇宙で見つけたものは、あの日誓い合うように右手首に巻きつけた、ティエリアの目のガーネットの宝石をあしらった リボンだった。
ティエリアは、そのリボンを大切に持っていた。同じように、ロックオンも大切に持っていてくれた。
そんな彼が、戦場にまでそのリボンを持っていったことに、彼の覚悟を思い知らされた。
「あなたは嘘つきだ。こんなにもあなたを愛しているのに、僕にこのまま一人朽ちていけというのか」
それなら、いっそ、あなたの元へ逝こう。
リボンを右手首に巻きつけて、ティエリアは泣きながら唄を歌った。
かの時代の、歌姫の愛を唄う唄。
綺麗な女性ソプラノが、デュナメスのコックピットに流れていた。
あの日、ロックオンに歌って聞かせた。ロックオンはその唄を気に入ってくれて、時折せがまれて、ロックオンに唄って聞かせた。
愛の唄の内容に、天使を置いて人間は先に天に召されてしまう歌詞があった。今まさに、ロックオンはティエリアを置いて、 天に昇ってしまった。
その魂は、唄のように自分の元に戻ってくることはない。
「ティエリア、アイシテル。ティエリア、アイシテル」
腕の中で、ハロが機械独特の音声をたてた。
ティエリアはぎゅっと、ハロを抱きしめた。そして、温もりを求めるかのように、ロックオンのコックピットに縋りついた。
「ジ…ジ…」
「ハロ?」
涙に塗れた瞳で、ティリアは腕の中のハロを見つめた。
ハロは、セットされていたタイマーの時間がやってきて、ピョンと飛び跳ねた。
「ハロ、メッセージ。ハロ、メッセージ。ツタエル、ツタエル。ロックオンノコトバ、ロックオンノコトバ。ハロ、タクサレタ、ハロ、タクサレタ」
「メッセージ?」
ロックオンは、あらかじめハロにタイマーをしかけていた。そして、ハロのAIの他の機能を利用して、言葉を録音していた。
「ハロ、ハナス。ハロ、ハナス。ティエリア、ティエリア」
ティエリアは、ぎゅっとガーネットつきのリボンを握った。対になっているリボンは、自分の部屋に置いてある。取りに行きたかったが、 涙が止まらない。しばらくデュナメスのコックピットから動けそうになかった。
ミス・スメラギから緊急収集がかかっているが、いつものティエリアならロックオンのことさえ後回しにして、ガンダムマイスターとして一番最初に 足を向けていただろう。
だが、今はどうでもいい。
ロックオンを失ったことが、まだ信じられないのだ。
振り返れば、いつものクールな顔で、デュナメスのコックピットに現れる気がした。
「ロックオン、ロックオン、ロックオン」
ティエリアは夢中で、彼の名を呼び続けた。
返事などこないことは分かっていた。それでも呼ばずにはいられなかった。

「ジ…ジジ…」
オレンジ色のハロが、狭いコックピットを跳ねたかと思うと、ティエリアの腕の中に戻ってきた。
「ジ…ジジ…あー、あー、聞こえるか?」
ノイズまじりの音声は、ロックオンの声だった。
「聞こえます」
ティエリアは、ロックオンの姿を探した。
まだ気が動転していて、彼の死を受け止められないでいた。
「いない。あなたが、いない」
ティエリアは、また涙を溢れさせた。透明な軌跡を描いて、雫はコックピットの席に吸い込まれた。
「ジ…ジジ…あーもう、調子わりぃな。この機能、本当に使えるのかぁ?」
ハロが、録音された音を再生する。
「使えるかどうかなんて知りません」
ロックオンがいないのに、ティエリアは答えていた。そうしていたかった。
「あーこら、ハロ逃げんな。ジジ……ブツッ」
そこで、一旦再生は止まった。だが、すぐに再開される。
「あー、あー。お、調子いいみたいだ。これなら大丈夫かな。なぁ、聞こえているか、ティエリア。俺は、ティエリアのために ハロに言葉を残してる」
「!」
ティエリアは、再生されるロックオンの言葉を一つも聞き漏らすまいと、必死になってハロが出す音声を拾った。
「ティエリア、この戦いが終わったら、俺の故郷のアイルランドで一緒に暮らそう。一緒に、二人で家族になろう。結婚しよう。あー、言ってて自分でも恥ずかしくなってきた」
「ロックオン…」
「一緒に、暮らそうぜ?この戦いが、いつ終わるかなんて分からないけど、約束だ。ティエリアの傍にずっといるよ。愛してるぜ。誰よりも、 ただティエリアだけを愛してる。もしも…もしも、俺が死んでしまったとしても、ティエリアは生きてくれ。俺の分まで、幸せになれ。 俺は生き残るつもりだけどな。でも、もしものことがあったら、ごめんな。お前を置き去りにしていく俺を許してくれ。もしも死んでも、おれはずっとティエリアの 傍にいるさ。ティエリアがいつも歌ってくれた唄の歌詞みたいに、魂になってティエリアの傍にいる。お前の心の中で、俺はずっと 生きていく」
ロックオンの綺麗な声に、ティエリアは石榴の瞳を金色に輝かせた。
髪を振り乱して、ティエリアは泣き叫んだ。
「うわあああああああああ!ロックオン、ロックオン!!こんなの嘘だ、嘘だああああああ!!!」
どんなに拒否しても、現実は変わらなかった。
「何度でも繰り返すさ。好きだ。ティエリア、愛してる。ティエリア、お前だけだ。ティエリアだけを、永遠に愛してる。たとえこの体が朽ちても、愛の唄のように、俺の愛は変わらない。 ティエリアの唄、大好きだぜ。また歌ってくれよな?……っと、出撃命令だ。じゃ、また後でな、ティエリア」
ロックオンは、きっと今回の出撃よりも前にこの音声を録音していたのだろう。そうでなければ、また後で、などという言葉は残さず、遺言になっていたはずだ。
ロックオンは、出撃した時にはもう死を覚悟していた。アリーを殺せるなら、その体が朽ち果てても構わないと思った。ティエリアを残したくはなかったが、 ロックオンにも譲れないものがある。ロックオンは、家族の仇をうつためだけに生きてきた。そのためにCBに入ったのだ。
そこでティエリアと出会い、将来を誓い合う中になるとは思いもしなかったけれど。

ティエリアは、呆然と虚空を見ていた。
紅をはいたかのような、紅い唇が、音を紡ぎだす。
それは、ロックオンへの鎮魂歌、レクイエムだった。
ティエリアは、ロックオンが好きだといってくれた、かの歌姫の唄を歌っていた。
どこまでも透明に澄んだ声が、女性のソプラノの音域に達し、ソプラノを維持したままティエリアは歌った。
ハロをぎゅっと抱きしめる。
「ティエリア、ナイテル。ティエリア、ナイテル」
涙が、ハロの上で跳ねた。
「ティエリア、カナシイ?ティエリア、カナシイ?」
右手首に巻きつけたリボンを解いて、ティエリアはそれに口付けた。
ロックオンに口付けするように。
「あなたを残して、どうやって幸せになれというんですが。あなたは身勝手だ。僕の幸せは、あなたがいるからこそ成り立って いるのに」
金色の瞳が、太陽のコロナのように鮮烈な色を灯し、石榴の色が混じっていく。
「あなたと一緒に暮らしたかった。結婚はどうでもいいんです。ただ、傍にいたかった。あなたの傍で、あなたの笑顔を見て、あなたの体温を感じていたかった。 それさえ、今は許されない。もう、あなたはこの世界のどこにもいないんですね。僕を一人置き去りにしないと約束したのに、あなたはその約束を反故して しまった。けれど、僕はあなたの行為を許します。あなたが選んだ道だから。僕より家族の仇を取ったあなたを、僕は恨みません。 あなたを恨むことなんて、どうすればできるでしょう」
あんなにも、たくさんの幸せをくれた彼を、どうすれば恨むことができるというのだ。
ティエリアは、ロックオンのお陰で人間になれた。人間を愛することなんて、愚かだと思っていたティエリアは、人間を愛した。 そして、人間になった。
もう、イオリアが作り上げた新人類の人形なんかじゃない。れっきとした、一人の人間だ。鼓動を刻み、吐息をする一人の人間だ。
「あなたは、無慈悲に残酷だ。こんな結末を僕に用意するなんて。僕に、あなたなしで生きろというのですか。あなたなしで、どうやって幸せになれと いうんですか」
「ティエリア、ティエリア。ロックオン、イナイ、ロックオン、イナイ」
「ハロも、あなたの姿を探していますよ。あなたの魂を、僕は感じられない。僕はあなたの元に逝きます。あなたと一緒にいたいから」
ティエリアは、涙を拭い去って、ハロを片手に持ってデュナメスから降りた。
「待っていてください。僕も、あなたの元へいきます。あなたを一人にはしない」
ティエリアは、計画遂行のための生を破棄した。
ただ、愛しいロックオンの傍にいきたかった。
あの人の魂の傍にありたかった。


ティエリアは戦場を駆け抜ける。
壮絶な戦いの中、ティエリアは負傷し、ロックオンの幻影を見ていた。
「ああ。これで、やっとあなたの元に逝ける。少し時間がかかってしまいました」
ロックオンの幻影に向けて、ティエリアは手を伸ばした。
ロックオンの幻影は、しっかりとティエリアの手を握ってくれた。そして、ティエリアがノーマルスーツの下、右手首に 巻いた2つのガーネットつきのリボンを撫でる。
「あなたを愛しています。僕は、あなたのお陰で人間になれた。あの唄のように、僕は人間になれた。けれど、あの唄のように あなたの魂は僕の傍にはない。僕は天使じゃないから、あなたの魂がみれない。語りかけれない」
ロックオンは、ふわりとティエリアを包み込んだ。
エメラルド色が溢れ、世界が沈んでいく。
ゴホリ。
尋常ではない量の血を吐いた。おそらく、折れた肋骨が肺に突き刺さったのだろう。
ヒューヒューと、喉がなった。
「愛して…います。あなただけを…ずっと、ずっと…」
ヴァーチェは大破し、宇宙を漂っていた。
あの日、将来を交し合った南の島の日の出来事を思い出す。
どうしてだろうか。他にも思い出はたくさんあったのに、あの日のことを鮮明に思い出していた。
震える指で、ティエリアはノーマルスーツの下に巻いたままのリボンを撫でる。
視界が暗転した。
ティエリアの意識は落ちていく。
果てしない暗黒の闇に。
するりと、ロックオンの手がティエリアの体を受け止めた。今まさに抜け出そうとする魂に、ロックオンは 首を振った。
(お前は連れて行けない。お前は生きるんだ。俺の分まで。お前を守ったことを、こんな形で台無しにするつもりか? ティエリア、お前は生きろ。俺の分まで、生きろ。愛している)
(あなたは、なんて優しくて残酷なんだ。僕にあなたなしで生きろというのか。待ってください、ロックオン!)
ロックオンの魂は、エメラルド色の光を溢れさせて、凛とした音を立ててティエリアの中に吸い込まれた。
(俺は、いつもお前の傍にいる。お前を見守っている。お前の中で生きている。だから生きろ、ティエリア。生きてくれ)
ティエリアの魂は震えた。
確かな温もりを、内側に感じたのだ。
ティエリアの魂は、天に昇る階段を降り始めた。少しづつ、地上に向かって歩いていく。
(そうだ、それでいいんだ)
(あなたが傍にいるからです。僕は一人じゃないんですね)
(そうさ。いつでも、俺はティエリアの傍にいた。今もこれからもずっと)









ティエリアは目を開けた。
夢を見ていたらしい。ロックオンの夢を見ていた。
ティエリアは寝台から起き上がると、軽く伸びをした。そして、サラリと髪をはらってから、ロックオンの私物に溢れた自分の部屋を見回した。
「今だって、こんなに愛していますよ」
着ているパジャマだって、ロックオンのものだ。サイズは合わなかったが、そんなことはどうでも良かった。
ティエリアは、折り曲げたパジャマの裾を引きずって、裸足でベッドから降りた。
そして、ロックオンの手袋をしまっている大事な場所から、思い出したかのように、ガーネットつきのリボンを二つ取り出した。
それを、ティエリアは右手首と左手首に巻きつけた。
それに、大事そうにキスをする。
誓いの証だ。
ティエリアは、声が漏れるかもしれないということも忘れ、唄を歌った。
愛の唄を。
女性のソプラノが唇から滑りだし、太陽の光に照らされた下限の月のような美しい音色を刻む。
部屋の窓から見える広大な宇宙を、ティエリアは見ていた。
今も、この宇宙のどこかをロックオンは漂っているのだろう。
レクイエムを捧げるように、ティエリアの歌声が響く。
遠く遠く、あなたに届くようにと。
ティエリアは、唄を歌い終わった後、涙を零した。
「分かってはいても、辛いんです。あなたが僕の隣にいない。どこを探しても、あなたはいない。僕の中で生きていると分かっていても、 辛いんです」
リンと、音をたてて涙は波状の雫となって消えた。
ティエリアは目を瞑る。
エメラルド色の光に包まれて、静かに内側に在るはずの魂に語りかけた。
「あなたの言葉を、僕は守ります。僕は生きます。幸せにはなれないけれど、僕は生きます。あなたが守ってくれた命だ。あなたの分まで、 僕は生きて、そしてあなたがなしえなかった夢の続きを引継ぎます。この世界から、戦争の根絶を。誰もが笑って、誰かを愛し合えるように。 僕は生きます。でも、もう誰も愛しません。あなたしか、僕は愛せない。今でも、愛しています、ロックオン」

エメラルドの光が、ティエリアの言葉を受けて輝いた気がした。
だが、エメラルドの光は目に見えない。
それでも、エメラルドの光はいつもティエリアを照らしていた。その傍で、ずっとずっと。
ティエリアには見えないけれど、気づいてもらえないけれど、その存在をそっと守るようにずっと輝いていた。
天国の階段を蹴って、エメラルドの光はティエリアの傍で煌いていた。
エメラルドの光が、愛の唄を歌うように弾き、そして消えた。ティエリアの内側に。

愛の唄は、いつまでも流れている。
ずっとずっと、きっと永遠に。