ハロの記憶回路









「ティエリア、アソボ、アソボ」
自分の周りを飛び跳ねるオレンジのハロを、ティエリアは鬱陶しそうに見下ろした。
食堂のカウンター席に座って、ティエリアは難しい専門書を読んでいた。
陳腐な恋愛小説などを読むよりは、よほどためになる。
食堂は観葉植物が多めにおいてあり、その緑は目の保養になる。ティエリアは、いつもは自室で本を読んでいるのだが、たまには緑を目に本を読むのもいいかと、あえて食堂を選んだ。
時刻は昼過ぎの3時だ。
こんな時間に、食堂に食事をしにくる者はいない。皆、思い思いの生活をトレミーで過ごしている。
誰もいないシーンと静寂に包まれた食堂は、ティエリアを落ち着かせてくれた。
誰かが雑談しても構わなかったが、誰もいないほうはティエリアにはありがたかった。専門書は難解で、ティエリアの頭脳をもってしても、いっきに読み終えることはできなかった。
宇宙の起源についての専門書であった。そして、銀河や惑星のことなども詳しく書かれていた。
ティエリアは、別にそんなものに興味があったわけではなかったが、暇をつぶすには良かった。地上に降りたときに、「宇宙を創ったのは神ではない」 というそのタイトルに惹かれて、購入したものであった。
ティエリアは無宗教だ。神など信じてはいない。
神を否定する気もなかったが、ティエリアが信じる神はいなかった。

「お、いたいたハロ。こんなとこにいたのか」
食堂の入り口が開いて、ロックオンがやってきた。
「ロックオン。そのAI、うるさいのでもっていってください」
「こんな時間にティエリアが食堂にいるなんて珍しいな」
「僕がどこにいようが、僕の勝手でしょう」
「それはまぁそうだが。なんの本読んでるんだ?」
「宇宙の起源についての専門書です。タイトルは「宇宙を創ったのは神ではない」です。タイトルに惹かれて購入しました」
「ティエリアらしいな」
「どこがですか?」
専門書をいったん閉じて、ロックオンのほうに向き直る。
「いや、神が創ったんじゃないってタイトルで本を選ぶあたりが。ティエリアには信じる神なんていないもんな」
「当たり前です。宇宙育ちの僕には、神などいません」
「俺は、一応カトリック教徒だから、神を信じてるけどな」
アイルランドの宗教圏はカトリック教だ。すぐ隣の国であるイギリスはプロテスタント派で、宗教の違いからテロなどがおこることもあった。そのテロで、ロックオンは家族を失ったのだ。
「ティエリア、タスケテ、タスケテ。ロックオンニ、オカサレル、オカサレル」
ハロが、ロックオンの手から逃れて、ティエリアの膝の上にやってきた。そのAIの言葉に、ティエリアはロックオンを真顔で見つめる。
「あなたは、AIになんて破廉恥な言葉を教えているのですか。ハロを、どうするつもりですか」
「あー、俺じゃないってば。その言葉教えたのは刹那」
「また刹那ですか。刹那は、ハロにろくな言葉を教えませんね。一度、メモリーをいじって、いらない言葉を消してはどうですか」
自分の隣に座るロックオンに、ティエリアは膝の上に乗っていたハロを渡した。
「いや、それはしない。ハロがかわいそうだろ」
「AIなのに?」
「AIでも、生きてるようなもんさ。言葉を教えれば記憶するしな」
「しょせんAIでしょう」
「AIでも、れっきとした俺の相棒なんだぜ?」
ロックオンは、カウンターに置かれていた、ティエリアが飲みかけの液体が入った、コップを手にとって、勝手に中身を飲んだ。
「メロンサイダーか。かわいいな」
一口飲んで、中身を知って、ロックオンが笑う。
「何勝手に人の飲み物飲んでるんですか。第一、かわいいってなんですか」
「いや、メロンサイダーって飲み物を選ぶティエリアがな。普通、読書しながらだったらいつものように紅茶とかだろう。まぁ、ティエリアの紅茶は砂糖が入ってて甘すぎだけどな。ティエリアは甘いの好きだよなぁ。今度、チョコレートケーキでも作ってやろうか?」
カラカラと、コップの中の氷を鳴らすロックオン。
「結構です」
ティエリアは、ふんと一瞥をくれてやった。そして、閉じていた専門書を開け、途中のページからまた読み出す。
ロックオンは、もう一口メロンサイダーを飲んだ。
甘い味は、嫌いではなかった。
「ティエリア」
ロックオンが立ち上がって、ティエリアの読んでいた専門書を奪う。
「何するんですか・・・・・!!」
相手を非難しようとあけられた唇に、ロックオンの唇が重なった。
その甘い味に、ティエリアは脳が解けるような気分を味わった。
「な、甘いだろう?」
「あなたという人は、いきなりなんてことをするんですか。誰かが見ていたら、どうするつもりなんですか」
舌に残るかすかなメロンソーダの味が、ティエリアにはくすぐったかった。
「なーに、別に知られてもどうってことないだろ。ティエリアが無性の中性体で女性化が進んでるってことはみんなが知ってる。別に、男と恋愛をしていても、男性じゃないんだから気味悪がったりするやつはいないだろ」
「だからといって、不謹慎です!」
ティエリアは、ロックオンの手から専門書をひったくると、コップに残っていたメロンソーダを全部飲み干してしまった。
「ティエリア、カンセツキス、カンセツキス」
「ハロ!あなたは、本当にハロにどんなプログラミングを施しているんですか!」
「はははは。人間らしくあるように、プログミングしてるだけだぜ?ティエリア、頬が紅くなってる」
キスをされても平気だったのに、たかが間接キスごときで紅くなるなんて。
一重に、AIのくせに人間くさい言葉を出すAIのせいだ。
「一度、ハロをメンテナンスに出してはどうですか。なんなら、僕がプログラミングしなおしてあげますよ」
けらけら笑うロックオンに、ティエリアは紅くなった頬のまま、脅しをかけてやった。
「それだけは簡便してくれ。ティエリアにプログラミングされたんじゃ、ハロまでツンデレになっちまう」
「誰がツンデレですか!」
「はははは」
「ティエリア、ツンデレ、ツンデレ」
「ハロも、そんな言葉覚えなくていい!」
「ははは。流石は俺の相棒、ティエリアがツンデレだって認めてるぞ」
「ふん」
ティエリアは、専門書を開けるとまた読み始めた。
難解なその内容は、集中してこそ理解できるもので、どうにも読んでいて落ち着かない。
「ティエリアは、お姫様なんだ。それで、俺は王子様だ。分かったか、ハロ?」
「リョウカイ、リョウカイ」
「あなたは、またくだらない言葉をハロに教えて。これだから、ハロはAIでありながらその性格が歪むんですよ」
「ハロは俺の相棒だぜ?性格歪んでなんかいねぇよ」
ロックオンの腕の中から、ハロがピョンと跳ね、地面をゴロゴロ回った。
「ティエリア、オヒメサマ、オヒメサマ。ロックオン、ジジイ、ジジイ」
「あはははは!ほら、言ったとおりだ」
「こら、ハロ!!誰がジジイだ!」
「ロックオン、オコッタ、オコッタ。ハロ、ニゲル、ニゲル」
ピョンピョンと跳ね回るハロを追って、ロックオンが席を立つ。
「こら、待ちやがれー!!プログラミングし直してやる!」
ティエリアは、そんなロックオンとハロの様子を見ながら、また専門書を閉じた。続きは、一人になった時にでも読もう。今は、ロックオンと時間を共有しよう。
「オカサレル、オカサレル。ティエリア、タスケテ、タスケテ」
「残念だったなー。ティエリアは、ハロに味方しないぞ」

「ロックオン、アイシテル、アイシテル。ダイスキ、ダイスキ」 「!」
ティエリアが顔を上げた。
ハロを捕まえたロックオンが、ティエリアの言葉を覚えてしまったハロを撫でた。
「こいつ、お前の言葉まで覚えちまったみたいだ」
ティエリアは、ふるふると震えた後、ロックオンとハロに向かって叫んだ。

「万死に値します!!」