「ほんと、ティエリア変わったね。なんていうか、優しくなった」 アレルヤを奪還して数日後、すっかり落ち着いたアレルヤが、食堂でティエリアと話していた。 「そんなことはない」 「ううん。絶対変わったよ。なんていうか、内面的に成長したよね。容姿が変わってないのには吃驚したけど」 アレルヤは、出された定食を食べながら、昔ながらのにこやかな笑顔を絶やさない。 ティエリアは、定食は食べ終わったのか、アレルヤに付き合うためだけに食堂にいるようで、足りない栄養面を満たそうと、 カルシウムやら栄養だけが詰まった飲むタイプのゼリーを口にしていた。 「容姿が変わらないのは、LV10以上の機密事項だ。だが、今更隠しても仕方ない。僕の細胞は、年をとりにくいんだ。そういう風にできている」 「へぇ。初めて知った。ティエリアも、僕みたいに身体を無理やり改造させられたりしたの?」 少し聞きにくそうに、アレルヤが声を落とす。 ティエリアの言葉を疑うわけではなかったが、人間が老化しにくいなどありえないことだ。 ただ、まだ少年期のティエリアが4年たった今、昔と変わらないのは、少年の年齢に見えるだけで あって、幼く見えるだけとも捉えられる。刹那があまりにも外見的に、特に身長などが成長していたせいで、ティエリアの外見が変わらないのが不思議に思えるだけだ。 刹那とティエリアは別の固体だ。身長が少年期の頃に止まってしまうのだって、ごく自然のことだ。ただ、男性は女性と比べ20代前半になっても身長が伸びることが あるだけで、ティエリアの固体は身長が止まるタイプなのだと解釈すればそれで納得がいく。 「そうじゃないが。まぁ、似たようなものだ」 ティエリアは、ゼリーを口にしながら、アレルヤの心配そうな表情をよそに、ポケットから薬のシートを取り出した。 「そう。ティエリアも、辛い目に会ってきたんだね。ところで、その薬なに?風邪でもひいたの?」 今度こそ、アレルヤは心配そうにティエリアを見た。 別段、どこか変わったところは見当たらない。 せきもしていないし、熱があるようにも見受けられない。貧血というわけでもなさそうだし、見た限りでは健康体そのものに見えた。 「違う。ただの、足りない栄養を満たすだけのビタミン剤だ」 ティエリアもそう否定した瞬間。 シュン。 音に気づいた二人が、入り口に視線を集める。 入ってきたのは、ライルだった。 「あ、ロックオン。君も、昼食まだなのかい。早く食べないと、あと30分で会議があるよ」 人懐こい笑みを浮かべて、アレルヤが隣に座ったらどうだと、トレイを持ったライルに席を譲った。 アレルヤの誰でも和ませてしまう、不思議な暖かさに、日々重なる訓練に疲れていたライルも明るい表情になる。 隣にいる、ティエリアは半ば無視だ。 拒絶されている相手と、無理やり短期間で仲良くなるのは不可能だ。 ゆっくり時間をかけて、打ち解けていけばいい。むしろ、打ち解けられなくとも、計画になんの支障もないはずだ。無理に仲良く なる必要はない。相手が拒絶するなら、こっちは放っておけばいいのだ。構えば構うほど、相手は拒絶の意思を見せる。だから、 ライルはティエリアと必要以上の会話をせず、また二人きりになることを極力避けていた。 ティエリアもティエリアで、はじめに見せた拒絶の色を濃くしたまま、アレルヤが仲介に入ろうとすると、余計なお世話だと怒り出す始末だ。 そんなこんなで、アレルヤも、ティエリアとライルの仲直りは、自然の成り行きに任せることにしていた。 刹那に相談しても、二人のことは二人の問題なのだから放っておけと言われるだけだった。 ライルは、一応は他の仲間がいる時はティエリアにできるだけ自然体で接するようにしていた。だが、それがぎくしゃくしていて、 見ている側がむず痒くなる。 「ほら、水」 ライルが、シートから薬を数錠取り出したティエリアの前に水の入ったコップを置く。 「ありがとう」 いつもはライルに無返答なティエリアが、珍しく感謝の言葉を素直に口にする。 それに、ライルの少し強張っていた姿勢が柔らかくなった。 「お前さんは、もう食事とったのか?」 「ああ、もう食べ終えた」 少しづつではあるが、会話が始まる。 その空気に、アレルヤは二人が仲良くなってくれることを祈った。自分は邪魔かなと思い、アレルヤは食べ終えたトレイを片手に、 立ち上がった。 「僕、歯磨いてくるね」 仲良くなってくれる絶好の機会だと、嬉しそうに去っていくアレルヤに、ティエリアが声を漏らす。 「あ……」 いなくならないで。一人にしないで。まだ、彼と同じ姿をしたロックオン・ストラトスという人物と接するにはとても不安がある。 ティエリアの心の叫びが聞こえないアレルヤの姿は、遠ざかっていく。 視線で助けを求めるティエリアの石榴の瞳に、ライルがため息をついた。 「なぁ。少しでいいから、も少し仲良くならないか。初対面の時のことは、すごく反省したし、ずっと前に謝っただろ? あれから、何度も謝ったじゃないか。俺が兄さんじゃないのが不満なのは分かるが、俺だって辛いんだ」 定食にスプーンを入れて食べ始める。 「ああ……」 ティエリアは、どこか呆けたように、ただ頷くだけだった。 その視線の中に、ライルはいない。 映っているはずなのに、映していない。 ティエリアの手は、シートから数錠どころではなく、ほぼ全部の薬を出していた。 そして、ライルに見られる前にと、薬を無造作に掴んで、水と共に飲み始めた。薬の数を間違っているのに、気づいていない。シートから、ほぼ全部の薬を取り出してしまって いるのに、ティエリアは気付いていなかった。 ただ、隣で声をかけてくるライルが早く去ってくれることを祈っていた。 「そんなに飲んでどうするんだぁ?ビタミン剤好きなのはいいけど、飲みすぎじゃ……」 ライルの言葉が止まる。 いつも彼が飲んでいるビタミン剤のシートじゃない。 薬局で売っている他のビタミン剤のシートとも違う。 何を飲んでいるんだ。 「あ」 ティエリアの手から、シートを取り上げ、裏面を見る。表面には何も書いていなかったが、裏面には書いているはずだ。 普通の薬は大抵そうだ。 「おい!!」 ライルの声が強張った。 彼が飲んでいたのは、精神安定剤だった。 それも、効き目はとてもよいが、過剰に摂取すると頭痛や吐き気を催す副作用が現れる。強い酒と一緒に飲むと、幻覚が見えるものとして、 ソフトドラッグの一種にもなっているものだった。 医師の処方なしで手に入るものではない。 1錠や2錠ならいい。 けれど、隣の少年はいくつの薬を飲んだ?ほぼ全部じゃないのか? 「お前、このバカ!今すぐ吐き出せ」 ライルは乱暴にティエリアから残り僅かとなった薬を取り上げた。 「何をする!!」 ティエリアが、悲鳴をあげる。 「いいからこっちこい!水飲んで全部はきだせ!」 乱暴にティエリアの細い体を引き寄せて、嫌がる彼に水を飲ませ、洗面所まで引っ張っていった。 「離せ!」 「うるさい!」 逃げ出そうとするのを懸命に拒み、力ずくで吐かせた。 ティエリアの飲んだ安定剤は、他の副作用として心臓に負担をかけるものとしても有名だった。 「う、ぐ……」 涙目になった美貌が歪み、ジャージャーと流れていく水と一緒に、苦しげに彼は胃の中のものを戻した。 唾液まじりの嘔吐物に、定食のものらしきものは見受けられず、胃液とゼリーらしきものが混じったもののなかに、 溶けかけた安定剤が混じっている。 「飯も食べてないのか」 苦しげにむせるティエリアの背中を撫でながら、呆れた声を出す。 ゼリーだけで摂取できる栄養は限られている。食物をちゃんととらねば、そのうちに参ってしまう。 「苦しいか。恨んでもいいから。後で俺を蹴飛ばしてくれて構わないから」 邪魔な眼鏡をとって、胃の内容物で汚れてしまった床に、ティエリアが蹲らないように抱き寄せる。 「ゲホッ、ゲホッ」 苦しげにむせる少年の背中を撫でて、嘔吐感が収まるのを待つ。 刹那のせいで身につけるようになったハンカチを取り出して、生理的に流れる涙をふき取った。 汚いとかそういう倫理観はなかった。ただ、薬が溶け終える前に吐かせなければと必死だった。 医務室にいっても、ドクターは今でかけていて、胃洗浄を受けれるとは思えなかったし。 「大丈夫か?」 やっと落ち着いたかに見えた時、ひくりと彼の喉が鳴った。 ハッ。 ハッ…ハッ…。呼吸が、途中で止まる。 「くそっ」 過呼吸に苦しむティエリアに、ライルは涙を零した。 こうまで、苦しむ必要がどこにある。 例え兄貴のことが関係していたとしても、どうして気付いてやれなかった。精神的に、ここまで追い詰めていたなんて。 どうして、もっと早くに気付いてやれなかった。精神安定剤を飲まなければ平静でいられなくなっていたなんて。そんなものを飲ませる原因になっていたなんて。 ハッ…。 荒いティエリアの息が、平常に戻るのをじっと待つ。 発作に苦しむティエリアと同じくらい、ライルも苦しかった。 「ティエリア」 腕の中にすっぽりと納まってしまう体を抱きしめて、ライルは涙を零しながらごめんなと呟いた。 「ティエリア、俺を見ろ。もうどこにもいかないから、ちゃんと傍にいるから。ちゃんと呼吸するんだ……そう、そうだ」 ティエリアの髪を撫でる。サラサラと音を立てる紫紺の髪は、とても手触りが良かった。 涙に歪み、助けを求めるティエリアの手を握り締める。 「ロック…オン・ストラトス」 「大丈夫だ。俺はここにいる。お前の傍にいる。今度は消えたりしないから、苦しむな」 髪を撫で、涙を拭き取り、抱きしめる。 ジャー、ジャー。 水の流れる音がうるさかった。 冷たい体温。 着ていた制服の上着を脱いで、ティエリアの肩にかけた。 「消えたり、しない?」 溢れる涙を何度も拭ってやる。 ティエリアの意識は半ば朦朧としていた。自分が何を口走っているのか理解していないだろう。 「ティエリア」 名前を呼んでやると、ティエリアの爪が背中に食い込んだ。 初めてあったときに割れた爪は、まだ割れたままだ。 「何度でもいうさ。お前の傍にいる。絶対に、消えたりしない。お前を守るよ」 「僕は、弱くない」 「いいから、目を閉じてろ」 子供をあやすように。 いつの間にか意識を失ったティエリアの身体を抱きかかえ、ライルは思った。 この傷ついた魂が安らぐのなら、その時だけ兄の身代わりでも、いいかもしれないと。 ティエリアの身体を抱きかかえて、彼の部屋に向かう途中で刹那とすれ違った。 「どうしたんだ」 「あー。話せば長くなるけど、早くこいつをベッドで眠らせてやりたいから今度で」 ライルのティエリアを見る優しい眼差しに、刹那は驚いた。 先刻など、言い争いをしていたではないか。それなのに。 そして、全てを悟る。 「ティエリア・アーデは強い。だが、人間誰しも弱い部分がある。ロックオン・ストラトスという人物について、彼は脆い。それだけ、ニール・ディランディは慕われ、想われていた」 「兄貴が慕われていたのは嫌でも分かるさ」 「……あんたの兄が死んで、4年もの間ずっと孤独だったところへ、同じ声、同じ容姿のあんたが現れたんだ。強く振舞っても、無理が生じる。俺からも頼む。ティエリア・アーデに、優しく接してやってくれ」 思いかげない刹那の言葉に、ライルが顔をあげる。 ティエリアの部屋は、もうすぐそこだった。 「なぁ、刹那。身代わりでもいいって思う俺をどう見る?」 「人の生き方はそれぞれだ。別に、普通だろう」 「そうか。お前さんも優しいんだな」 ティエリアの肩にかけた自分の上着をとって、ティエリアの自室に入る。ロックは解除されたままだ。 必要最低限のものがそろっただけの殺風景な部屋。 ライルはベッドにティエリアを寝かせてやると、その上から自分の上着をかけた。 そして、ベッド際に椅子を寄せると腰掛けて、冷たいティエリアの手を取る。 「ロックオン・ストラトスとティエリア・アーデは、体調不良のため会議を欠席するとスメラギ・李・ノリエガに報告しておく」 行動の顛末を見守って、刹那はティエリアの部屋を出た。 会議はそれほど重要なものではないので、後ほど書類に纏められたものに目を通せばいいだろう。 「あれ、刹那、ロックオンとティエリアは?」 「眠り姫と王子の邪魔をする者は、アレルヤ、例えお前でも許さない」 「え!?」 刹那は、スメラギ・李・ノリエガにきちんと報告した後、二人の溝がこれでなくなると、肩の重荷が少しとれた気持ちがした。 刹那には分かっていた。自分やアレルヤではティエリアを救うことができないと。 彼にしか、それはできない。 少しだけ哀しい気もしたが、彼が自分を犠牲にしてくれることに感謝しなければならない。 人は、誰しも弱い部分を持っている。 一人では、生きていけない。 どんなに強がっても、一人では生きていけないのだ。 何故なら、生きているから。 生きているからこそ、誰かと関わることなしではいられない。 人とは、弱い生き物だ。ガンダムマイスターとて、それは例外ではない。 |