コポポポ。 カップに、お湯が入れられる。 「はい、どうぞ」 「ありがとう、マリー」 アレルヤは、紅茶を入れてくれたマリーからカップを受け取った。 そして、ふとそのカップを見つめた。 「このカップ、どうしたんだい?マリーのとお揃いみたいだけど」 目の前に座ったマリーの紅茶が入ったカップと、アレルヤが持っているカップはお揃いだった。 ティーセットとして売っている物を、マリーが勝手に買ったとは考えられない。 マリーは、行動するときはたいていがアレルヤと同じで、お揃いのものを買うときは事前に相談するし、どんなものを買うのかも相談で決めていた。 そんなマリーが、お揃いのティーカップを取り出してきたことに驚いた。 「これ、ティエリアさんから貰ったの。まだ使ったこともないから、お揃いにどうだって。悪いから最初は遠慮したんだけど、ティエリアさんに貰ってくれっていわれて貰ってしまったわ。ダメだったかしら?」 「ううん、そんなことないよ、マリー」 アレルヤは、紅茶を一口飲んで考えた。 ティエリアがお揃いのティーセットを持っていたことに、別段驚きはしなかった。 ティエリアもよく、ニールとお揃いの枕やらカップやら、スリッパやらを持っていたりした。 多分、これもそのうちの一つで、未使用のままになって閉まっていたものを、思い出して取り出してきたんだろう。 「ティエリアさんに、あなたにもお揃いのものをあげるべき相手がいるでしょうって言ったら、とても哀しそうな顔をしていたわ。刹那さんとはあんなに仲が良いのに、お揃いのものを使わないなんて、もったいないわ。恋人同士なら、もっと仲良くしてもいいとアレルヤも思わない?」 「ティエリアは・・・・・」 アレルヤは、カップをテーブルに置いた。 「どうしたの、アレルヤ?紅茶、口に合わなかったかしら」 「ううん、そうじゃないんだ、マリー」 「それにしても、ティエリアさんて、本当に綺麗な女性ね。刹那さんととてもお似合いだわ」 アレルヤは、その誤解を解くのは自分の役目であるとはっきり認識した。 そして、ティエリアの悲しい過去を伝えることも。 「マリー。僕のいうことをよく聞いて欲しい」 「なぁに、アレルヤ?」 マリーは、紅茶を飲みながら、穏やかな顔でアレルヤを見ていた。 ごめんね、マリー。 アレルヤは、心の中でマリーに謝った。マリーにも、辛い思いをさせることになるのだ。 「ティエリアと刹那は恋人同士じゃないんだ」 「まぁ。私ったら、早とちりしていたのね。でも、そんな雰囲気があるでしょう、あの二人」 確かに、ティエリアと刹那は仲が良い。刹那は、ニールが空けてしまった穴を埋めるように、ティエリアの傍に寄り添い、時折ティエリアと一緒に眠ったりもしていた。 ライルがやってきて、最初ティエリアと衝突していたのをとめたのも刹那だったし、ティエリアを匿うのも刹那だった。たしかに、始めて見る人の目から見れば、二人は友人というよりも恋人同士に見えるのかもしれない。 だが、それには事情があるのだ。 「マリー。ティエリアには、将来を誓いあったとても仲のいい恋人がいた」 「いた?過去形・・・・まさか」 マリーがカップから手を離して、琥珀の瞳に怯えを混じらせる。 「そう。マリーが考えている通りだよ。ティエリアの恋人は死んだんだ。今から四年前に」 「そんな!!私、ティエリアさんに、刹那さんとの恋、応援してますっていってしまったわ!私、私・・・・!!ティエリアさんの気持ちも考えずに、なんて言葉を言ってしまったの!ティエリアさんを、傷つけてしまったわ!」 マリーが、悲しそうに顔を伏せて、涙を滲ませた。 「じゃあ、このカップ、ティエリアさんが、その恋人の方と使うはずだったもの・・・・ああ!!」 マリーは、涙を零した。 ティエリアがどうして悲しい顔をしたのか、これで全て飲み込めた。 ティエリアは恋人を失っているのに、マリーはアレルヤと仲良く恋人同士として振るまっている。 ティエリアの過去を知らなかったとはいえ、なんてことを言ってしまったんだろう。 「謝らなきゃ、私」 席を立つマリーに、アレルヤがマリーの手を取った。 「落ち着いて、マリー。謝るときは、僕も一緒に行くから。とにかく、事情を君にも把握しておいて欲しいんだ」 「分かったわ、アレルヤ」 アレルヤの手で涙を拭われ、マリーも落ち着いた様子だった。 「ティエリアはね、普通じゃないんだ。イオリアが作り出した人工的生命体なんだ。そして、男でもなければ女でもない」 「男でも女でもない?」 「そう。ティエリアはね、無性の中性体なんだ。マリーが思っているように、女の子じゃないんだよ」 「無性!そんなことって、ありえるの?」 「詳しくは僕も分からない。ティエリアが説明してくれないからね。彼が・・・・ああ、一応、ティエリアは自分を男だと自覚しているから、みんなティエリアのことは男性として扱っているんだ。それで、彼が自分から話そうとしない限り、ティエリアの体のことについて聞くのはタブーになっているんだ」 「そうだったの。じゃあ、刹那さんとは?」 「刹那は。刹那は、優しいよ。本当に、優しい。僕じゃできなかったことを、刹那はしてくれている。刹那は、ティエリアが失ってしまった恋人・・・・ニールっていうんだけど、彼の穴を補っているんだ。ティエリアは、その存在のせいか、たまに情緒不安定になる時があるんだ。ニールを失ってしまったせいもある。それを、刹那はティエリアの隣にいることで、ティエリアが強くいられるように支えているんだ。一度聞いたことがあるけど、刹那はティエリアに求められたからそうしていると言っていた。彼も、ティエリアに求められることで自分の存在意義を新しく見つけたといっていた。ティエリアと刹那は恋人同士じゃない。だからといって、ただの友人同士でもない。なんというのか、複雑なんだよ。だから、恋人同士に見えてしまってもおかしくはないよ」 「ティエリアさん・・・・・・」 マリーは、絶世の美貌をもった少女・・・いや少年のことを思った。少女といってもいいし、少年といってもいいだろう。どちらでもないということは、どちらでも表現できるということにもなる。 「ニールはね。本当に、かっこよくて頼りがいがあっていい人だったよ。今のロックオンの双子の兄にあたる人なんだ」 「双子!じゃあ、ティエリアさんは動揺したのではないかしら?」 アレルヤは頷いた。 「うん。すごく、動揺してた。最初は受け入れられなくて、ぶつかってばかりで、しまいには無視して。でも、時間が経って、二人とも分かり合えたよ」 「そう。良かったわ」 「ティエリアはね、決してロックオン・・・・本名はライルっていうんだけど、ライルにニールの姿を求めないんだ。 錯覚はするとティエリアも言ってたよ。でも、決して求めないとも言っていた。ニールを失った今、もう誰も愛さないんだって」 「そんな。誰も愛さないだなんて、哀しすぎるわ」 「うん。でも、これはティエリアの問題だから。ティエリアは、ライルにニールの姿を求めずに、代わりに刹那に傍にいてくれるように求めたんだ。決して誰も愛さないと誓った限り、ティエリアは刹那を愛することはないだろうね」 「そんな。それじゃあ、刹那さんが可哀想だわ」 「うん。これも、また複雑なんだ。刹那は、ティエリアに愛を求めてるわけじゃないから。寄り添いあう比翼の鳥みたいなかんじなのかな?刹那は刹那で、大切な女性が存在するし」 「本当に、複雑なのね」 「うん。僕は、ただ黙ってティエリアを見守っているしかできないんだ。そんな自分が歯がゆいよ」 「アレルヤ」 「だから。ティエリアのことは、できる限り大切に扱いたいんだ。マリーも、そうしてくれないかい」 「勿論よ。ティエリアさんのこと、大分分かった気がするわ。とても意思が強そうなのに、どこか脆そうにみえた理由がはっきりとしたわ」 マリーは、紅茶を飲み終えると、今度こそ立ち上がった。 アレルヤも立ち上がる。 「私、ティエリアさんに謝罪してくるわ。アレルヤもついてきてくれるのよね?」 「うん。一緒に行こう」 こうして、二人はティエリアの元に謝罪にいった。 「ということで、本当にごめんなさい、ティエリアさん!」 編んだ銀色の髪が、謝る形に合わせて跳ねた。 「マリーのこと、許してやってくれないかな」 アレルヤも、マリーの傍に寄り添って謝罪する。 それに、ティエリアは石榴の瞳を一度閉じて、ため息をついた。 「何を言っているのかと思えば。別に、気になんてしていない。謝ることはない」 「でも・・・・・」 「マリーさん。あなたは、アレルヤと幸せになってください。僕はもう、誰も愛しません」 「そんな。ティエリアさん、誰も愛さないなんて哀しすぎるわ」 琥珀の瞳が、本当に哀しそうな色を灯す。 ティエリアは、絶世の美貌を曇らせることもなく、むしろ凛とした美しささえ湛えていた。 「僕は、新しく愛さないといっただけです。今でも、ニールのことを愛しているんですよ。ずっと、彼だけを、今も、そしてこれからも愛しています」 ティエリアは、懐から裸の宝石を取り出した。 「これは、ニールが僕の誕生日にくれたものです。僕の瞳が、ガーネットの色をしているからと、わざわざ取り寄せてまで買ってくれたものです」 いつの日か、誕生日にケースに入れて、贈られたガーネットをティエリアは取り出した。 後になって、そのガーネットがわざわざ輸出国から取り寄せてくれたものだと、ティエリアは知った。 「ティエリアさん」 「僕は、不幸ではありません。今でも、彼の愛に包まれています」 「ティエリアさん!!」 マリーは、ついに泣き出して、その細い肢体に抱きついた。 アレルヤは困った顔になったが、二人を引き離すことはしなかった。 「マリーさん。どうか、アレルヤと幸せになってください。アレルヤを、幸せにしてあげてください。僕からのお願いです」 「ティエリアさん!こんなにも傷ついているのに、あなたはニールさんの愛に包まれているんですね。アレルヤのことは、任せてください。絶対に、幸せにしてみせます」 「と、いうことだよ、アレルヤ。マリーさんを不幸にしたら、許さない」 キラリと、石榴の瞳が輝いた。 それにたじたじになって、アレルヤは大きく頷いた。 「も、勿論だよ、ティエリア。マリーは絶対、僕が幸せにしてみせる」 じー。 じーー。 じーーー。 じっと三人を見つめてくる視線に、三人はそちらの方を向いた。 「刹那」 「刹那さん」 「刹那・・・・」 マリーは、アレルヤの隣に戻っていた。 そして、刹那はこちらにやってくると、ティエリアを抱き寄せた。 「刹那?」 「マリー・パーファシー。ティエリア・アーデは渡さない」 昔は刹那の方が背が低かったのに、老いることのないティエリアの体はもう7年も変わることがない。21歳になった刹那は、今ではティエリアよりも身長が上だった。 「あの、私、ティエリアさんを取るような真似はしません。私にはアレルヤがいますから」 「そうだよ、刹那。何いってるのさ」 「なら、いい。ティエリアは、誰のものでもない。誰のものにもならない。俺が見張っている限り、誰にも手出しさせない」 強い真紅の瞳で、刹那はティエリアの細い腰を抱き寄せた。 ティエリアは、そんな刹那のされるがままにされた後、刹那の漆黒の髪に顔を埋めた。 それに、マリーがアレルヤに耳打ちする。 「ねぇ、アレルヤ。本当に、刹那さんとティエリアさんは恋人同士じゃないのかしら?少なくとも、刹那さんはティエリアさんのことが好きみたいだけど」 「うーん、どうだろうね。ティエリアも刹那のこと好きみたいだし。うーん。分からないなぁ」 アレルヤも、マリーに耳打ちをしながら、腕を組んだ。 「聞こえているぞ、アレルヤ・ハプティズム」 刹那が、ティエリアから眼鏡を奪いながら、口を開いた。 「刹那。眼鏡を返してくれないか」 「度は入っていないだろう」 「だが、僕には眼鏡が必要だ。・・・・・刹那?」 ごそごそと、刹那がティエリアの首元を探っていた。 「刹那さん、だめですよ、そういうことは二人きりのときじゃないと!」 マリーが紅くなって、二人の様子を、それでも目を離すことができずに見ている。 絶世の美貌を持つ少年と、野性的な鋭さのある見目のいいかっこいい青年が絡んでいる姿が、たまらないらしい。 真っ赤になって、ドキドキと見守っている。のぼせてしまいそうだ。 アレルヤは、見慣れているので、別段何も感じない。 「ちゃんと、してくれていたのか」 刹那が探していたのは、プラチナのチェーンにさげられた、十字架を象ったペンダントだった。十字架に挟まっている石はピジョン・ブラッドの最高級のルビーである。中央には、少し大きめのスタールビーが嵌められていた。 アレルヤとマリーは、二人とは少し離れたところでこそこそと会話を開始した。 「ちょっと、アレルヤ、あれ見て!最高級のスタールビーよ。周りに嵌められている石も最高級のピジョン・ブラッド、鳩の血の色とされる真紅のルビーだわ。一体、いくらするのかしら」 「そんなこと、僕に聞かれてもわからないよ」 「刹那から貰ったものだ。ちゃんと、大切にいつも身につけている。僕は、刹那のピジョン・ブラッドの真紅の瞳が好きだ。この石も、同じ色をしている」 「だから、買って渡した」 「マリナ・イスマイール姫にはこんなことをしていないのに、何故僕ににだけ?」 石榴の瞳が、不思議そうに刹那を見上げる。 二人は、完全にアレルヤとマリーの存在を忘れ、二人だけの世界に入っていた。 「マリナに宝石を買ってしまえば、彼女はそれをお金に買えて他人に渡してしまうだろう。だから、高級なものは贈らない」 「なるほど。確かに、あのお姫様ならしかねないな」 「ちょっと、アレルヤ、贈り物をするなんて意味深じゃないかしら。とても怪しいわ」 「刹那の贈り物は、ろくなものがないのが当たり前なのに。あんな高価なものをティエリアに贈っていたなんて」 「ティエリア・アーデ。歌声が聞きたい」 驚くほど優しい表情になっている刹那に、同じようにとても穏やかな顔になっているティエリアが笑った。 「刹那も、僕の歌声が好きだな。ニールも好きだった」 「ティエリア・アーデの歌声は、誰をも魅了する」 「では、刹那の部屋で。刹那の部屋はなぜか、防音が一番優れているからな」 「遥かなる歌姫の唄がいい」 「分かった」 二人は、並んで歩み出した。 本当に、恋人同士のようであった。 だが、少し違う雰囲気がある。そう、いつも隣に寄り添い合うのが当たり前だという空気を備えながらも、そこに 愛というものが感じられない。 それで、いいのだ。 刹那と、ティエリアは。 ティエリアにはニールがいて、刹那にはマリナがいる。その上での二人は、お互いが会いたい相手に会えない。それを分かち合うかのようであった。 「ティエリアさんの唄って、私も聞いてみたいわ」 ティエリアと刹那の後をふらふら追おうとするマリーを、がしっとアレルヤの手が阻んだ。 「だめだよ。二人は、そってしておいてあげよう?二人は、互いが互いを必要とする存在なんだ。僕も一度、ティエリアの歌声を聞いたことはあったけど、ぞくりとするほどに綺麗だった。まるでオーロラみたいに」 「ますます聞きたいわ」 「だめだったら、マリー。今度、お願いしてみるから。だから、今は二人をそっとしておいてあげよう。二人は、二人で穏やかな時間を過ごしたいんだ」 その言葉に、マリーがはっとなった。 「私ったら。いけないわ。そうよね、二人の邪魔をしてはいけないわ」 「分かってくれて嬉しいよ、マリー」 「私たちも、二人の時間を過ごしましょう?」 マリーが、琥珀の瞳を煌かせてアレルヤの手をとって駆け出した。 「待ってよ、マリー!!」 そんな様子を、遠巻きに、去っていく二人が振り返る。 「仲がいいな、あの二人は」 「恋人同士だしね」 ティエリアが、紫紺の髪をかきあげた。 「僕は、今でもニールのことを愛している。でも、刹那のことも好きだ。でも、愛じゃない」 「俺も、ティエリアのことが好きだ。だが、愛してはいない」 二人は顔を見合わせた。 同じ赤なのに、その瞳はピジョン・ブラッドのルビーと、ガーネットである。 「僕たちの間に、愛なんていらない」 「ああ。愛なんて不要だ」 「互いが互いを利用しあう。ある意味、共存関係なのかな」 「そうだな。あ、あの二人、あんなとこでキスしてる。俺なんて、マリナと離れ離れなのに・・・・」 「刹那、置いてくよ」 ティエリアが笑った。 愛し合う微笑ましいアレルヤとマリーに向けられたものなのか、刹那に向けられたものなのか。 それは、誰にも分からなかった。 やがて、刹那の部屋から、遥かなる歌姫の歌声が聞こえてきた。 それを聞けるのは、今のところは刹那だけの特権である。 二人の奇妙な共存関係は、愛を育むことなく、続いていた。 |