それは禁忌「背徳の天使」









「教官殿。前から思ってたんだけど、爪長すぎないか?爪切るの、めんどうなのか?」
ライルの機体で、ライルの訓練に付き添っていたティエリアは、急にそう切り出したライルに驚くように、ライルの顔を見上げた。
ライルは、ティエリアの手をとると、その手をじっと見つめた。
女性のように綺麗な手だった。いや、女性でもここまで綺麗な手の持ち主などそうそういないだろう。
白い滑らかな肌に、細い指。爪はまっすぐにのび、綺麗に手入れが行き届いてある。
桜色をした爪を見て、ライルは思った。
ティエリアは無性の中性体であるのだから、別に爪を伸ばしたってどうってことないだろう。
だが、ティエリアは自分を男だと自覚している。
ライルにも、自分を男として扱うようにと強く強調してきた。
ならば、ティエリアは少年である。
少年が、ここまで綺麗に爪を伸ばし、手入れする必要などどこにあるというのか。
「なんなら、ティエリアの爪、俺が切ってやろうか?」
その言葉に、ティエリアが手を引っ込める。
「僕は、このままで構いません」
「だけど、このまえ爪が折れて血が出てただろう。また折れるかもしれないぜ?」
「折れても構いません。また伸ばします」

「誰か、好きな相手でもいるから、お洒落してるのか?刹那とか」
訓練を中止して、コックピットからライルが出てきた。
お揃いのボレロは、色違いだ。
ティエリアの細い腰を引き寄せるライルに、ティエリアは首を振った。
「刹那は、僕の恋人じゃありません。僕の恋人はニールだけです」
「兄さんは、もう死んじまったんだぜ?兄さんのために、今もお洒落してるってのか?」
「違います」
長い爪に口付けられて、ティエリアは戸惑った。
ニールと同じ姿をしたライルの行動に、錯覚を起こしそうになる。
いけない。
彼は、あの人ではないのだ。
錯覚してはいけない。

「離して下さい。また、ビンタされたいのですか?」
その言葉に、ライルが引き寄せていたティエリアの腰から手を離した。
本当に、少年にするには惜しい。女性化が進んでいると聞いている。少女でいいのではないか。
「フェルトが、僕の爪を練習台にして、たまにネイルアートをするんです」
「フェルトか」
蛍光色のピンクの髪の少女を思い出す。
フェルトとティエリアは、意外と仲がいい。
「それだけのために、折れたら痛い爪を伸ばしてるのか?」

ライルから離れ、ティエリアは手を構えた。
そして、ヒュッと風を裂いて、ライルを攻撃した。
その長い爪で。

「うああああ。こええええ!!」

長い爪は、綺麗に手入れが行き届いて、桜色をしていたが、先端は尖っていた。
わざと、尖るように磨いているのだ、ティエリアは。

その爪が、ライルの右目数センチのところで止まっていた。
ティエリアが、攻撃を止めたからである。
普通なら、そのまま勢いは止まることなく、ライルの右目にティエリアのよく磨かれ、尖った爪は突き刺さっただろう。
だが、新人類であるティエリアは神経が優れている。寸分違わず、自分が思い描いたとおり、ティエリアの手はライルの右目から3センチ離れた距離で止まった。
それ以上近づけさせれば、相手が顔を動かして危険であった。

ライルは、ティエリアの爪から逃れるようにのけぞった姿勢を取った後、ゴクリとつばをのんだ。
「立派な、武器ってわけか」
ティエリアは、桜色の爪を撫でた後、手を下ろした。
「僕は、どんなに特訓しても体に筋肉がつくことがありません。出せる力も、無論限界がある。もしも、大の男と喧嘩になったら、普通は勝てないでしょう」
「教官殿が負けるなんて、そんなことないだろうが」
「当たり前です。訓練していますからね。蹴りをメインとした体術を身につけています。だが、もしも足が塞がったり、折れているときは、拳に頼るしかありません。けれど、僕の拳で殴っても、威力はたかが知れている。それなら、引っ掻いたほうがはやい。何より、目を狙いますね、僕なら。この爪で、眼球を突き刺します」
「ひー。こわいこわい」
ライルは首をすくめた。

ティエリアの長く伸ばされ、手入れのいきとどいた桜色の爪は、れっきとした凶器の一つなのだ。
「実際に、4年間の間に、連邦軍に捕まりそうになった時がありました。銃は弾丸がつき、相手も弾を撃ちつくした。相手は殴りかかってきました。僕は蹴りで相手の鳩尾を蹴った後、両目をこの右手で突き刺して眼球を潰しました」
「相手は、一人だったのか?」
「いいえ。複数でした。銃を避けながら逃げて、サバイバルナイフを口にくわえました。そして、建物の構造を利用して、相手の死角をついて、躊躇いもなく喉をかき切りました。返り血を浴びることもありませんでしたよ。四人殺したら、流石に尻尾を巻いて逃げていきました」
その光景が目に浮かんでくるようで、ライルはおののいた。
この美しい天使は、堕天使だ。
美しい薔薇には棘があるという。
まさにその通りだ。
美しい顔をしたまま、顔色一つ変えずに、ティエリエは人の命を奪うのだろう。
目的のためなら、時には非情になれるのだろうか。
「人を自分の手で殺して、お前さんは泣いただろう?」

ビクリと、ティエリアの体が強張った。
なぜ知っているのだとばかりに、不思議そうにライルを見上げる。
「お前さんは、優しい子だ。人を自分の手で殺して、平気でいられるはずがない」
「あなたには分かりません。あの頃は、僕はクルーの皆を守る義務があった。僕が捕まってしまえば、クルーの全員が捕まってしまう場面でした。だから、僕はあえて殺人を犯し、目の前で残忍に殺すことで、連邦政府の軍人を撤退させました。殺した相手の拳銃を奪い、戦った。僕しか、クルーの皆を守れる者はいなかった。皆の命が守れるなら、僕は殺人だって平気でします」
そういうティエリアの体が、小刻みに震えていた。
当時のことを思い出しているのだろう。
「僕の手は、とっくの昔に血まみれなんですよ」
そっと、ライルがティエリアの両目を閉じさせるように覆い、自分のほうに引き寄せた。
「辛かったんだな。苦しかったんだな」
「僕は平気です。イオリアが作った新人類だ。殺人くらい、平気です」
「なら、なんでそんな哀しそうな顔してるんだ?なんで震えてるんだ」
「僕は・・・・・・」
包み込まれる体温は、ニールそっくりであった。
錯覚を起こしそうになる。
「あなたは、ニールじゃない」
「甘えとけ。錯覚をたまにしても、兄貴は怒らないさ。あんたに手を出してるわけでもないんだし」
「・・・・・」
ティエリアが沈黙した。
そして、長い爪がライルの背中に食い込んだ。
「ロックオン」
ティエリアが呼ぶロックオンは、きっとニールのことだろう。
分かっていながら、ライルは辛かった。

この天使は、ニールだけを愛して、決して自分を振り返ってくれない。
ライルに、ニールを求めることさえしない。

「ロックオン、僕は自分の手で殺人を犯しました。残忍に人を殺しました。それでも、あなたは許してくれますか?」
縋りついてくる細い体は、滑らかなラインを描いていて、決して男性のものではなかった。
「ああ、許すさ。ガンダムマイスター全員が、人を殺してる。それが、ガンダムの手であるか、生身の手であるか、その違いだけだ」
「ロックオン、僕を許してください。僕は血まみれです」
「ティエリアは綺麗なままだ。血なんて、洗えば落とせるさ」
「・・・・・・ロックオン。愛しています」
「ああ。俺も、愛してるぜ」
いけないと分かっていた。
この天使は、兄のものなのだ。
手を出してはいけない、禁忌の天使なのだ。
分かっていながら、ライルは、自分の行動を止めることができなかった。
気づけば、ティエリアの紅い唇に自分の唇を重ねていた。
ティエリアは、抵抗しない。
触れるだけの口付けをした後、ティエリアはくず折れた。その細い体を支えるように、抱きかかえあげる。
すでに、意識はなかった。

ティエリアは、時折意識を飛ばした。それは、ロックオンに関係することがほとんどだった。
まるで、自己防衛機能が働くかのように、辛すぎて壊れそうになると、眠りについた。
いつ壊れるかも分からない天使は、それでも人間であろうと強く振舞う。その反動は大きい。
長い睫だなぁと、ライルはティエリアの眠った顔を見ていた。
そして、ティエリアの体を抱きかかえながら、自分の部屋に向かう。その軽い体重に驚きながら。

ティエリアの部屋はいつもロックがされてあって、その暗号を知っているのはティエリアの他に刹那だけである。
刹那に、このことを話したら、きっと凄く怒られるだろう。
だから、あえて自分の部屋を選んだ。
ティエリアが気づいた時、戸惑うのは分かっていたが。

ティエリアをベッドに横たえると、30分もしないうちにティエリアは気がついた。
そして起き上がり、見慣れない部屋を見回す。
そして、傍に座っていたライルを確認して、ティエリアは切なそうな表情をした。
「また、僕は意識を失ったんですね。ごめんなさい。あなたに、迷惑をかけてしまいました」
ティエリアは気づいていなかった。いつもはライルのことを君と呼び、あなたと呼ぶのはニールだけであった。
「構わないさ」
サラリと髪を撫でるライルの手にされるがままになっている、ティエリア。
「ティエリア?」
「ライル、あなたに、ニールを重ねてしまってすみません。いけないと分かっているです。でも、重なってしまう」
ライルは、もう止まらないとこまできていた。
もう後戻りはできない。
後戻りする気もなかった。
「ティエリア。俺は、お前のことが好きだ」
「ライル・・・・」
石榴の瞳が、驚いたように見開かれる。
ティエリアの髪に、ライルは口付けした。ティエリアは、抵抗しない。
「食っちまうような真似はしない。ただ、刹那の傍にばっかりいずに、もっと俺を頼ってくれないか」
「僕は、ニールを愛しています。ニールのものです。もう、誰も愛さないと決めたんです」
「そんなの、分からないだろう?なぁ、ティエリア。なんで、いつもみたいにビンタしないんだ。抵抗しないんだ」
「僕は・・・・僕を、迷わせないで下さい。誘惑しないで下さい」
ライルに、ニールを重ねてしまう。

癒えることのない傷口がは、いつも涙を溢れさせている。
その涙を、止めるような真似はしないでくれ。
どうか。どうか。
止めるのは、簡単なのだ。
重ねてしまえば、簡単に癒えることのない傷口は、少しづつ塞がっていくだろう。
だが、それではだめなのだ。
ニールだけを愛すると決めたのだ。傷口は、永遠に開いたままでなければならない。
彼を裏切ることはできない。
それは、背徳だ。最大の罪だ。

「僕は、ニールだけを愛しています。もう、他の誰も愛しません」
「こんなに傷ついているのに、その傷口を癒すこともしないのか?誰も愛さないなんて、悲しいことを言わないでくれ」
「それは、僕が決めたことですから。ニールを失った日に、誓ったんです」
「ティエリア。愛してる」
「冗談は、止めてください」
ライルが、ティエリアの手をとって、優しく口付けした。
「好きだ」
「僕は、愛していません」
「俺のことは嫌いか?どうせなら、きっぱりと拒絶してくれよ。その方が、おれもふっきれる。こんな気持ちになったのは始めてなんだ」
「あなたのことは、嫌いではありません」
ティエリアの手が伸びて、自分の髪を梳くライルの手に重ねられる。

やべぇ。
まじで、やべぇ。

「きっぱり拒絶してくれよ。なぁ」
「ライル・・・・・」
「好きなんだ。どうしようもないくらい。でも、あんたは誰も愛さないんだろう?だったら、俺みたいな狼はきっぱり拒絶しろよ。なぁ」
「僕は、僕は・・・・・」
石榴の瞳が、金色に輝いた。その輝きは、いつにもなく迷いに溢れていた。

迷っている。
もう少し押せば、手に落ちるだろうか?

いけない。
この天使は、兄貴のものなんだ。誰のものにももうならないんだ。

「僕は、あなたを愛せません。でも、あなたを嫌いにもなれません」

その言葉に、ライルも覚悟を決めた。
ライルはわざとティエリアを傷つけ、自分にニールを重ねることがないように、行動を起こした。
ティエリアをベッドの上に組み敷いた。
「ライル」
驚いた顔で、ティエリアが金色の瞳で自分を見上げてくる。
その瞳に口付けして、ティエリアからする甘い花の香りを気にしながら、桜色の唇に唇を重ねる。
深くは口付けしない。唇を重ねるだけだ。
「ライ・・・ル・・・・」
ティエリアの長く尖った凶器となる爪が、自分を引っ掻くものだと思っていた。
だが、ティエリアはシーツを掴んでいる。
ライルは、ティエリアの手首を捕らえた。
そして、ティエリアが着ていたポレロを脱がした。
服の下に手を入れられて、ビクリとティエリアの肢体が強張った。
「拒絶しろよ。俺を蹴り飛ばせ」
だが、ティエリアはシーツをぎゅっと握ったまま、金色の瞳を泳がせている。
ライルは、閉じられていたティエリアの足を足で割った。
それに、はじめてティエリアが怯えの色を見せた。

もう少しだ。
もう少しで、この天使は自分を張り倒す。
そして、ライルを拒絶するはずだ。自分を嫌うはずだ。
最初の頃のように、極端な拒絶でなくとも、少なくともライルを嫌うはずである。嫌いでないからという、かすかな望みさえ、摘み取ってくれるはずである。
そうなれば、この恋心も終わりだ。それでいいのだ。はじめから、手に入るものではないのだから。

「あ、やぁ」
上の服を、わざと音が鳴るように裂いた。
ティエリアはベストを着ていた。
ライルは、構わずそのベストも裂いた。
「あ。見ないでっ」
ティエリアが、羞恥の色を見せて、自分の顔の上で腕を交差した。
「・・・・・・・」
裂いたベストの間から、病的なまでに白い肌が露になる。
僅かに膨らんだ胸が、裂いたベストの間からかすかに見えた。
本当に。本当に、まるで少女ではないか、これでは。
女性になり始めて、止まってしまった少女の体。ライルには、そう見えた。
ライルの手が、自然と止まった。
もともと、ティエリアを汚そうとしてやっている行為ではなかった。
拒絶されるためにしていたのだ。
その手が止まる。
「お前さん、これ・・・・」
ライルの言葉が詰まる。なんといえばいいのだろう。
「お前さん、女の子なのか、やっぱり」
「違う・・・・・」
ティエリアがゆるゆると首を振った。
ライルは、それ以上続けることができなくて、シーツでティエリアの体を包み込んだ。
「ライル?」
ティエリアの怯えた声が、少し高くなった。
「なんで、俺を拒絶しないんだ。いつもみたいに張り倒せばいいだろう!お前さんは、なんで・・・・!」

「あなたが、泣いているから」

いつの間には、ライルは涙を零していた。
「俺・・・・なんで泣いて・・・・」
「あなたが傷ついている。僕のせいで、あなたが傷ついている。あなたが、最初から僕にこんな真似をしても、途中で止めることは分かっていました。あなたは、優しい人だから」
ふわりと、組み敷かれたままだったティエリアが手を伸ばして、シーツの上の自分の胸にライルの頭を乗せた。
「聞こえますか。僕の鼓動です」
「ああ。トクントクンって、脈うってる」
「僕のせいで、傷つかないでください。僕のためなんかに、泣かないで下さい」
「お前さんは、優しいな。本当に、天使みたいだ」
ライルは、ティエリアの心臓の鼓動を聞きながら、目を閉じた。
涙は、ティエリアの手によって拭われている。
「僕のせいで、誰かが傷つくことに僕が耐えられません。どうか、泣かないで。本当は優しいライル」
「お前さんに、無体な真似をした俺を、優しいっていうのか、それでも?」
「あなたは、僕に、自分を嫌わせるためにわざとこんな真似をしたのでしょう」
優しく撫でるティエリアの手は、どこまでも慈悲深かった。
「お前さんには、かなわないな。俺の行動まで、お見通しかよ」
「本当は優しいライル。あなたに、ニールを重ねてしまうことのある僕の罪を、許してください」
「優しいティエリア。好きだ」
「ライル・・・・」
「愛している。ティエリアが好きだ。愛されなくてもいい。愛してる」
「それでは、あなたが傷つくだけなのに。あなたは不器用ですね。もっと素敵な人が、このトレミーには一杯いるのに。どうして、こんな中途半端な僕を選んでしまったんですか」
「それは、きっと、兄貴があんたを愛していたからだ。半身である俺まで、あんたを愛しちまった。禁忌だな、これは」
「禁忌ですね」
互いの瞳を見つめあった後、ライルはティエリアの横に寝転んだ。
ティエリアは、裂かれてしまった衣服をかき集めるように、シーツを脱いでポレロを羽織った。鎖骨の部分まで下の衣服は完全に裂かれ、ベストも裂かれている。かろうじで、胸を隠す程度の布地が残っているか残っていないかだ。ポレロで胸は隠れたが、それでも完全なものではない。
ティエリアは、ライルのシーツを裂いて、胸にきつく巻きつけた。平らになるように。
「なんで、隠すんだ?お前さんは、女の子だろうに。別に、胸を隠す必要なんてないだろう」
「僕は、データ上男性となっています。それに、僕も男性でありたい。男性ホルモン治療を受けましたが、体調が悪くなるだけで、胸は元に戻りませんでした。一度女性化が進行すると、ゆるやかに続きます。手術で胸を切除しようかと思いましたが、ニールに昔その話を出して、強く拒絶されたのを思い出して、踏みとどまりました。自然のままであるのが好ましいと、ドクターも言っていました。女性化が進んでいるとはいえ、僕が無性であることに変わりありません。僕は、女の子にはなれません」
「そうか」
「がっかりしましたか?」
「いいや、安心した。ティエリアは、今のままでいいと俺も思う」
「おかしな人ですね。女の子がすきなんじゃないんですか?」
「女の子が好きなんじゃなくって、ティエリアが好きなんだ。女性化していくティエリアだって好きだし、それを隠すティエリアも好きだ。男の子であろうとするティエリアだって好きだ。ティエリアという存在が好きなんだ」
ティエリアは、哀しそうに微笑した。
「あなたは、兄であるニールと同じ言葉を言うんですね。性別に拘らず、僕という存在が好きだと、ニールもよく言っていました」
「悲しいこと思い出させてごめんな」
手を伸ばしてすくっても、指の間からサラサラと紫紺の髪は滑り落ちていく。
「背徳であるのは分かっています。罪であるのは分かっています。でも、少しだけあなたのことが好きになりました」
好きになることと、愛することはまた違う。
刹那を好きになり、愛していないように。
けれど、そんな状態はライルには残酷だろう。
「そうか。こんな酷い俺なのに、少しは進歩したのか」
「あなたは、酷くなんてありません。優しいです」
「でも、ティエリアに」
ティエリアは、自分から、ライルの唇を奪った。
「!!」
ライルが瞠目する。
「禁忌の味がします。僕からするのは、これで最初で最後になることを願っています」
「じゃあ、俺からするのは問題ないのか?」
「だめです。禁忌を許す時間は終わりました」
ティエリアは、ライルのクローゼットを開けると、中身を吟味する。そして、私服のセーターを取り出して、それを着た。
「ぶかぶかですね。仕方ありません」
その少しおぼつかない足取りに、心配になってライルが声を上げる。
「部屋まで、送っていこうか?」
「刹那に殺されてもいいのなら」
ライルの訓練が終わった後は、刹那の銃の腕を見る約束をしていた。時間的に、それをすっかり破ってしまったことになる。
ティエリアの部屋の暗号は知っていても、刹那はライルの部屋の暗号までは知らないはずだ。
多分、部屋の外で待っているだろう。トレミー中を探し回って姿が見つからないとすれば、残るは最後に接触したライルの部屋にくるだろう。
セーターを着たとはいえ、ぶかぶかなその服からのぞくのは、裂かれた衣服である。
明らかに、ライルがしたであろう行為に、刹那は許さないだろう。殴るだけではすまないかもしれない。刹那は、ティエリアをずっと守っていた。それなのに、こんなの目にあわせた人物がいれば、それがCB関係者でなければ撃ち殺すであろう、刹那は。それほど、ティエリアの身を案じてくれているのである。
「同意の上であったということにします。そうでもなければ、刹那はあなたを許しませんから」
ライルを連れてきたのは刹那である。ある意味、刹那には責任がある。
自分の大切な友人を、未遂であるとはいえ汚す行為を、刹那は決して許しはしないだろう。刹那は特に、ティエリアが汚されることを恐れている。


刹那の目の前で、一度ティエリアは敵の兵士に汚されかけたことがある。しかも相手は複数であった。
昔、まだ本格的に武力介入を開始する前、ある国の武装勢力を排除せよとのミッションが下ったことがあった。
まだ、刹那は14あたりで、本当に、子供であった。
そのミッッションは、一応は成功に終わったが、癒えない傷を残した。計画の途中で敵側の兵士に計画が漏れたのでのある。
アレルヤは行方不明となり、ロックオンは撃たれ、同じように行方不明となった。刹那とティエリアは敵の手に落ちてしまった。
銃を取り上げられ、刹那は叫ぶしかなかった。
ティエリアを、兵士たちが取り囲み、暴れるその四肢を押さえて、襲い掛かったのである。
兵士たちは、卑下た笑い声を上げながら、ティエリアを嬲るように肌に刃物で傷をつけ、その髪を切った。そして、仲間である刹那の前で、切った髪をハラリと落とし、血に塗れたナイフをなめ取った。
ティエリアは、涙を浮かべて、刹那に助けを求めた。
だが、刹那は兵士たちに押さえられて、身動きがとることができない。刹那は絶叫した。
ティエリアは、目を見開いて、恐怖に震えていた。まさか、無性であるとはいえ、男性として生まれたはずの自分が、性欲の対象になるなど思ってもみなかったのである。
兵士の一人が裸になった。そして、欲望を殊更強調するように、ティエリアの目の前に立つ。
兵士の一人が、こいつは処女だと叫び、それに他の兵士たちが狂喜乱舞した。
裂かれる衣服。露になる肌。雪のように真っ白な肌に、兵士たちの欲望がみなぎる。
ティエリアは叫んだ。刹那の名を。
兵士たちは、ティエリアと刹那は恋人同士であると思ったようであった。
ティエリアとロックオンはまだ恋人同士ではなく、その体も女性化は進んではいなかった。
兵士の一人が、衣服を裂いて露になった上半身に、首を傾げた。ティエリアの見た目は17歳前後である。その年齢であれば、胸は僅かであっても膨らんでいてもおかしくはない。
だが、ティエリアの胸は平らだった。
男なのかと、兵士がティエリアの髪を掴んだ。髪が抜け落ちるほどに、強く掴まれた。
兵士の一人が、ティエリアの下肢を弄り、そこに男性がもつべき象徴がないのを確認して、こいつは男じゃない、やっぱり女だと叫んだ。それにしては胸がないと、一人の兵士が叫ぶ。
ティエリアの美貌が、血に彩られ、恐怖に歪む。
兵士が、この際どちらでもいいと言い出した。これだけの美人はそうはいない、犯してしまえと叫んだ。
それに、周りの兵士が残酷な笑い声をあげた。
止める者は誰もいなかった。むしろ煽る者ばかりだ。参加しない者は、見物を決め込んだようで、ドカリとその場に座り込んだ。ただ、刹那にだけははっきり見えるように、その場所を空けて。
鋭いナイフが、ティエリアの胸を、鎖骨を、首筋を傷つける。
複数の男の手が、ティエリアの上半身を這った。頬を舐められ、ティエリアは泣き叫んだ。
もっと泣き叫べと、兵士たちが笑う。
刹那は、唇を噛み切って、その様子を腸が煮えくり返る様子で見ていた。目をそむけることも閉じることも許されなかった。
ティエリアは、ロックオンとアレルヤの名前も口にした。だが、這い回る兵士たちの手は止まらない。
切り刻まれた下肢を包む衣服に、男の手が伸び、ティエリアは涙を零した。そして、刹那に謝った。耐えられない、ごめんないさいと。
刹那は喉が枯れるほどに絶叫した。
ティエリアは、舌を噛み切った。
だが、すんでのところで、ロックオンの銃声が響き、ティエリアは舌を噛み切りきることはなかった。
だが、その唇からは鮮血がとめどなく溢れてくる。
ロックオンは、その場にいた兵士全員を射殺した。助け出された刹那は、血を吐くティエリアの傍に駆け寄ると、涙を流した。自分の力がないばかりに、仲間であるティエリアは最高の恐怖を味わい、自分から自分の命を絶とうとまでしたのだ。
ロックオンも驚愕していた。まさか、ティエリアがそんな目にあうとは思ってもいなかったのである。
アレルヤはすでに救出され、ロックオンの手によってティエリアは応急処置がなされ、一命を取り留めた。
だが、数日間は生死の境をさまよった。
ロックオンもアレルヤも刹那も、ティエリアの容態をしきりに気にして、カプセルに入ったティエリアに声をかけた。
なんとか傷が癒え、カプセルから出ることのできたティエリアに、兵士たちに陵辱されかかった記憶は全くなかった。
ドクター・モレノが詳しい精神解析をしたが、自己防衛本能が働き、その部分だけ記憶が抜け落ちたものと診断した。ティエリアがもしもその記憶を覚えていれば、ガンダムマイスターとして再び復帰することもできなっただろう。ロックオンもアレルヤも、今回の出来事はなかったことにすることに決めた。
だが、まだ14かの刹那には、忘れることができなかった。
しきりにティエリアに謝り、ティエリアの傍で行動した。ティエリアに触れる者は、たとえロックオンやアレルヤであろうと許さなかった。
そんな刹那を、ドクター・モレノは仕方なくカプセルに入れ、ティエリアに起きたことは夢であると信じ込ませた。
それでも、しばらくはティエリアの傍で、ティエリアを守るように付き従い、触れる者がいれば牙をむき出した。
やがて、刹那も落ち着いた。
ティエリアが記憶を取り戻し、パニックになることは一度もなかった。
舌を噛み切ったことさえ、すでに傷がいえているので知らなかったのだ。
そんな刹那は、19になった時、内戦がたえないある国で、ティエリアにおこった出来事は夢でなく戦場で起きた、全て現実であるということを思い出した。
内戦で混乱したその国では、女性が兵士に無差別に殺され、目の前で犯されていた。
それを目の当たりにしてしまった刹那は、内戦に加わっていた兵士のほとんどを殺害した。そして、ティエリアに起こった出来事を思い出して、ティエリアを守ることができなかった自分を恥じた。

ティエリアと再びめぐり合った今、刹那はティエリアの存在を守るようにその傍らに存在する。
ライルの行動が刹那にばれてしまえば、刹那は銃を持ち出すかもしれない。
それほど、刹那は恐れているのだ。ティエリアが汚されてしまうことを。

「二度と、こんな真似しないと約束する。無理強いは絶対にしない」
ライルは、ティエリアと約束した。
そして、ティエリアはライルの部屋を出た。
そこには、予想通り刹那が待っていた。
刹那は、ティエリアの姿を見て息を呑んだ。そして、ライルがしたのかと質問してきた。
ティエリアは、自分が誘ったのだと、刹那に寂しく笑った。
刹那は納得がいかなかったようであったが、未遂で終わったというので、ライルに事の真相を追究しないとティエリアが願ったのでそう約束した。


「禁忌の天使か・・・・」
ライルは、ベッドに寝転がり、自分がしてしまった行動を反省しながら、ティエリアの衣服の切れ端をつまみあげた。
好きだといった言葉は偽りではない。
いつか、兄の手からティエリアを奪ってみせると、ライルは強く決意した。
たとえ、それが禁忌であるとしても。