空の旅人









空の旅人。

そんなタイトルの小説を、ティエリアは読んでいた。
ある地域の、魔力がとても強い森に住む人がやがて翼をもち、その翼は空を飛ぶことができる。人は空の旅人となり、いろんな場所を旅する。
天使ではなく、翼が生えた人。
他の人種と同じあるはずの人は、翼が生えておらず、翼が生えた人は「空の旅人」と呼ばれ、敬愛された。
水色の美しく長い髪と、赤い瞳をもった空の旅人は、数がとても少なく、寿命はとても長い。
その容姿はとても美しく、男女ともに華奢で、男性でさえ女性に負けないくらいの美貌を持っていた。
だが、空の旅人は繁殖能力に乏しく、子供を産むことはほとんどなかった。
空の旅人は、類まれなる歌姫であったり、踊りの達人であったり、あるいは笛やハープの名手であった。
特に、歌姫と呼ばれたある空の旅人は、女でありながら女ではなく、男でもなかった。
男として生まれたはずなのに、体に女の機能が備わっていたのだ。その歌姫は、自ら女であるということを隠し、そして男になれるという一族に伝わる秘薬を飲んだ。
女であった歌姫は、女としての機能を失った。だが、男にもなれなかった。
歌姫は、秘薬を勝手に飲んでしまった罪で、一族を追放された。
そして、仕方なく人間社会で生きはじめるが、空の旅人であるが故に、人は畏怖と尊敬の眼差しで空の旅人と接し、神の御子として祭り上げた。
やがて時はたち、空の旅人はある人間と出会う。
狩りの名手で、銃の腕がとても素晴らしい一人の青年だった。
茶色の髪にエメラルドの瞳をした青年は、空の旅人に恋して、神の御子であった空の旅人を攫ってしまう。
そして、空の旅人もまた、自分を一人の人間として扱ってくれる青年に恋をして、歌を歌う。
やがて、誰もいない生まれ故郷である、魔力あふれた森にたどり着いた二人は、そこで暮らし始める。
幸せな日々を。
空の旅人は、女として生きた。だが、昔に秘薬を飲んでしまい、もう女ではない。
青年は、そんなことは構わず、空の旅人を愛した。
やがて時が流れる。
青年は老いて、おじいさんになってしまった。だが、長寿を誇る空の旅人は、老いることさえない。
それでも二人は愛し合った。
やがて、おじいさんとなってしまった青年の命が尽きる日がきた。
空の旅人は、ずっと歌い続けた。
そして、一人になってしまっても、歌い続けた。
やがて、空の旅人は、本当に一人になってしまう。
同じ種族である他の空の旅人が、病でみな死んでしまうのである。
涙を零しながら、それでも空の旅人は歌う。
何百年も、何千年も。
やがて、その歌の旋律となって、空の旅人は空を翔る。
空の旅人は、空を翔け、歌い、そしていつしか精霊となった。
エアリアルという名の、大気の精霊に。
精霊となった歌姫は、歌う。
自分が愛した一人の青年を想い。
何百年も、何千年も歌い続けてきた歌を歌い、そして空を翔る。
ずっとずっと、永遠に。
ただ一人の人間を愛しながら。


パタン。


ティエリアは、最後まで読み終わり、本を閉じた。
じっと、そのタイトルを見る。
空の旅人。
内容を思い返す。
ファンタジーものの小説として買ったつもりであったが、確かに内容はファンタジーものであったが、恋愛小説としての色も強かった。
主人公の名前はティエア。
ティエリアという名前とよく似ていた。
その体の設定や、言葉使い、それに歌姫であるということもどこか自分と似ていた。
「バカらしい」
自分は、歌は好きだが、歌姫ではない。
聞く側が、勝手に歌姫と呼んでいるだけだ。
ティエリアは、小説をポスっとベッドの上に放り投げると、部屋のシャワールームに向かった。

武力介入をしている間に、トレミーにいる者たちから、風呂場が共通の一つしかないことへの苦情が沢山きたため、それぞれ個人の部屋にシャワールームが備え付けられるようになった。
そして、服を脱ぎ、自分の白い肌を見下ろす。
「・・・・・・バカらしい」
明らかに男ではない曲線を描くラインを無視して、熱めのシャワーを浴びる。
ボディシャンプーで体を洗い、バスユニットに湯をはった。
そして、シャンプーで髪を洗って、リンスを髪になじませ、洗い落とす。最後にメリットを髪につけて、タオルで髪をまとめて、バスタブに浸かった。
ゆらゆらとゆれる湯を、両手で掬い上げて、パシャンと音を鳴らした。
ぶくぶくぶく。
顔まで湯に浸かる。

なんだろう、このやりきれないかんじは。
たかが創作の小説を読んだだけなのに。
この胸を締め付けられような想いはなんだろう。

小説の文章を思い出す。
空の旅人は、年老いることなく、しかし愛した青年はやがて天に召されてしまった。

ティエリアの細胞は、イオリアによって遺伝子をいじられ、老いるということがない。
目覚めた時から、17歳の体だった。
それから、もう何年になるだろうか。
ガンダムマイスターとなるべく、生きることに決めて。

また、小説の文章を思い出す。
空の旅人は、ずっとずっと歌を歌った。
何百年も、何千年も。愛した青年を想って。

「たかが、創り話じゃないか」
ティエリアは、バスタブの湯を抜いた。
そして、髪になじんだメリットを落とすために、また熱いシャワーを浴びた。
下着をつけるが、肝心の着替えの服を忘れてしまった。
髪を拭き、湯気で曇った視界の中からバスタオルを見つけると、それを胸に巻きつけた。
バスローブも忘れてしまった。
室内なので、別に問題はないだろう。
ティエリアは、拭き取った髪をまとめてバレッタで留めた。
シャワールームから出る。
すると、よく聞きなじんだ声が飛んできた。

「おーいティエリア、お邪魔してるぞ。ロックかかってたけど、勝手に解除しちまった。暗号教えられてたし、いつでも来いって言われてたから、別に問題ないよな?この小説、いい話だな。なんか主人公、ティエリアに似てるなぁ。設定とか、言葉使いとか。名前も響きが似てる」
「ただのくだらないファンタジーラブストーリーです。主人公と似てなんていません」
ティエリアは、裸足でなんの躊躇いもなくシャワールームから出てきた。
「きゃああああああああああ!!」
ロックオンの悲鳴を、ティエリアは耳を塞いでやり過ごした。
相変わらず、ろくな悲鳴声をあげない。
ロックオンは真っ赤になって、ベッドの上で後ずさった。
ティエリアは、大げさだなと、にじり寄る。
「ティ、ティエリア、き、着替えは!?」
「脱衣所においておくのを忘れました」
ベッドによじ登り、ロックオンの手から小説を奪い取る。
「それで、なんの用ですか?」
「よ、用ってお前、そ、その前にその格好なんとかしろ!」
白い肌が、熱い湯を浴びたせいか、ほんのりピンクに染まっている。
頬も、心なしかそう見えた。
ロックオンは、ティエリアの白いうなじを見つめてから、ティエリアの顔を真っ赤な顔で見上げた。
「ティエリア?」
「僕は、この小説の主人公のように、綺麗な心の持ち主じゃありません」
ロックオンの上にやってきて、紅色の唇でロックオンのエメラルドの瞳に口付けた。

小説の中の青年も、ロックオンと同じエメラルドの瞳を持っている。

ティエリアの、伸ばされ、綺麗に揃えられた桜色の爪が、ロックオンの肩を這う。
「ティエア。空の旅人よ。どうか、俺だけのものになってほしい」
小説のなかの、青年の台詞をロックオンが口にする。
それにあわせるように、ティエリアは主人公の台詞を口にする。
「私だけを愛してくれるというのなら、私はあなたを愛しましょう」
「ティエア」
「僕は、ティエアじゃありません。ティエリアです」
桜色の唇が、ロックオンの唇に重ねられた。
教え込まれたように、舌を這わす。
ロックオンの舌とからまった。
石榴の色の瞳を瞬かせて、けれどすぐに唇は離れた。
バレッタをとると、パラパラと水滴を含んだ髪が、ロックオンの頬にかかった。
その塗れた髪をなで上げられる。
ティエリアは、ロックオンの手に甘く噛み付いた。
ロックオンの手が、ティエリアの腰を引き寄せる。
「ふっ・・・・」
太もものラインをなで上げられて、ぞくりと肌があわ立った。
ロックオンの手が、胸に巻いていたバスタオルに伸びる。

ハラリ。

白いバスタオルが、ベッドに落ちる。

「残念でした」
クスリと、ティエリアが悪戯っぽく笑った。
バスタオルの下には、さらしを巻くような形の、きつめの下着をつけていた。
下肢には、下着の上から半ズボンをはいていた。

「あらら。てっきり、裸かと思った。残念」
「このスケベ」
ティエリアが、ロックオンの背中をひっかいた。
ロックオンの手が、それを止める。
「あんまひっかくな。せっかく綺麗に手入れしてるのに、爪、折れちまうぞ?」
「そんなに簡単には折れません」
ティエリアは、ロックオンの上からどくと、クローゼットを開けた。
そこから、いつもの私服は取り出さずに、上から着るだけの長めのシャツを取り出す。
シャツの丈は、短めの半ズボンの位置まである。
自然と、そのシャツ一枚を羽織っているように見える。
「鼻血たれていいか?」
「どうぞご勝手に。ティッシュはここにあります」
ロックオンに、投げる。
「なぁ。ニーソはいてくれっていったら、はいてくれるか?」
白い肌は、雪のように真っ白だ。
「絶対領域ですか?」
「な、なんでお前がそんな言葉知ってるんだ」
「刹那に教わりました。日本にある刹那の家で、この格好で泊まったときに」
「刹那か。あいつ、何も知らん顔してけっこう大人だからなぁ。ティエリアも気をつけろよ」
「あなたじゃあるまいし」
ロックオンが、ティエリアを抱き寄せる。
鎖骨に、自分のものだという証を残すかのようにキスマークを残した。
ティエリアが甘い吐息を吐く。

「この小説、借りてもいいか?」
「どうぞ、ご自由に」
ティエリアは、机においてあった小説をペラペラとめくるロックオンの隣にやってきて、パソコンのメイン電源を入れる。
そして、いつものように、ネットにダイブする。
傍らでは、ロックオンが小説を読みはじめた。
ティエリアは、ネットをさまよう。
そこで、空の旅人で検索をし、見つけたページを開く。
音楽版、空の旅人。
見つけたデータを、ダウンロードする。
その曲を歌っている歌手の名前を見る。嫌いではない歌手だ。ヒーリング系で、それなりに売れているスイス出身の歌手だ、確か。
ティエリアはダンロードをして、保存してデータをまとめた。無論、金は支払っている。

ロックオンは、小説にしおりを挟んで、ティエリアの隣にやってきた。
「どうしたんですか。読まないんですか」
「いや、借りれるみたいだし、いっきに読む必要はないだろ。それよりも、今はティエリアと話がしたい。このデータは?」
「あの小説の、イメージサントラです。ゲーム化された小説らしいので」
「へぇ」
「聞きますか?」
「ああ」

ティエリアとロックオンは、空の旅人のイメージサントラを聞きながら、ベッドに腰掛けて、ゆったりと時間が流れていくままに身を任せていた。