「ジジ・・・・ジ・・・・ティエリア、愛している」 窓の外に見えるのは、はるか何百万光年も離れた星、惑星。 幾つもの銀河。 銀河と銀河の間にはブラックホール。 どこまでも暗澹なる深黒の闇。 光さえも吸い込んでしまう。 この心も吸い込まれてしまえばと、ピンクのカーディガンの心臓の部分をぎゅっと握った。 血が出るほどに、爪を食い込ませる。 鋭く尖るように磨かれた長い爪は、見事に手の平に食い込んで、真紅の血を流す。 あの人が、流した色。 「ジ・・・ジジ・・・戦いが終わったら、またアイルランドにいこう。刹那やアレルヤも、みんなを連れていこうぜ。そして、みんなで祝うんだ。祝って貰うんだ。俺たちの未来を」 吐く息が白い。 空調のエアコンを完全に切ってしまった室内は、凍えるような寒さだ。 それに、身を震わせることもない。 体温は、まるで誰かに包み込まれているように暖かい。 人工的に体温を調節できるティエリアには、寒さなどなんの意味もない。 ただ、肌が冷たくなるだけだ。 身を切るような寒さを感じるだけだ。 痛い。 この感覚がある限り、自分は生きている。 「ジ・・・ジジ・・・じゃあ、また後でな!絶対、生きて戻ってくるから。お前を一人にしたりしないよ。お互い、健闘を祈ろう。・・・・っと、刹那のやつもう出撃しちまいやがった。じゃあ俺も出撃するわ」 瞬く星を見るために、窓にやってきて、手を置く。 吐く息は白く、窓もにごる。 窓に映る自分の姿。 少女のように時を止めてしまった美しい人形。 「あなたは今、どこにいますか?」 少女の口から零れたのは、綺麗なボーイソプラノではなく、低めの男性の声。いつも使う声音だ。 それを、会話するたびに使い分ける。 低い声と、少女のようなボーイソプラノ、完全な女性のソプラノ。 あの人は、まだこの宇宙のどこかを漂っているのだろうか。 窓にあてた手を動かすと、キュッという音が小さく鳴った。 CBメンバーが着る制服を着ずに、あえて昔のピンクのカーディガン姿になった。 まるで、昔に戻るかのように。 遥か昔に時を止めてしまったティエリアは、まるで昔に還ったかのようだ。 だが、時は遡らない。 現実は、現実。 逃げても逃げても、追いかけてくる。 「ジジ・・・・愛してる。ずっとずっと、お前だけを。ずっと傍にいる」 愛しいエメラルドの瞳をした彼の声を出すのは、ハロと呼ばれるオレンジ色のAIだ。 録音機能がついており、それに録音されていた彼の言葉を聞いたとき、嘘だといって泣き叫んだ。発狂しかけた。 愛とは、なんと美しくそして儚く、脆く、純粋で、そして残酷なのだろうか。 無慈悲なまでに、残酷だ。 「嘘つき」 あなたの声だけしかない。 あなたの姿がない。 あなたの温もりがない。 あなたは、僕を一人にしないと言ってくれたのに。 傍に、永遠にいなくなってしまった。 ティエリアは、ハロの録音モードを切った。 枯れたはずの涙が溢れ、頬を伝った。 窓に手を当てる。 石榴色の瞳に金色が混じりかけ、まるでアレルヤのオッドアイのように左右の色の目が違うようになってしまった。 人ではない証であるように。 紫紺の髪は、蒼く照らされ、ピンクのカーディガンも蒼い影を落とす。 蒼いライトは、人が生まれた母なる海の色だ。 薄暗い中、やがて獣の目のようにティエリアの目が金色に輝きだした。 闇の中でものを見るために、目が光るのだ。 ハロは、僅かに空いていた入り口から、跳ねながら外にでてしまった。 「あなたの声だけしかない。あなたはいない。どこにも」 「ナグサメテ、ナグサメテ。コワレテシマウ、コワレテシマウ。アノヒトノオモイデデ、オシツブサレテ、コワレテシマウ」 ころころ回るハロは、今はあの人ではなく、ライルの相棒だ。 ライルは、自分の相棒を抱きかかえると、開け放たれたままのティエリアの部屋にはいる。 その部屋の室温に身震いして、ティエリアのベッドから毛布をひったくると、呆然と窓の外を見て佇むティエリア に乱暴に羽織らせ、その細い体を攫う。 そして、皮膚から伝わる手の冷たさに、両手で包み込んで息を吐いて暖めた。 尋常ではない室温。 ライルは、すぐにエアコンをフルモードで稼動させる。室温は、それでも身を切るような寒さを凛とたたえている。 「あなたはいないのに、あなたと同じ姿に、顔に、声をしたあなたがいる。愛とは、無慈悲に残酷だ。いっそのこと、僕もつれていってくれればよかったのに」 毛布をさらに取り出して、体温が少し高めになっているとはいえ、人間の温度からすれば低すぎる。暖めるように、ライルは無言でティエリアを毛布でくるむ。 「あなたは、なぜ、僕に構う?あの人のように、僕を一人にするくせに」 何百万光年も離れた星が、ずっと輝いている。 あの星のように輝ければいいのに。 そうすれば、あの人の魂を見つけることができるのではないか。 ライルは、何も言わず、兄の遺品に溢れた部屋を哀しそうに見る。 そこに、新しいガンダムマイスターたちの写真が飾られているのを見つける。 写真の中のティエリアは笑っていた。 それなのに、一人になるとこうなるのか。 涙の痕をぬぐって、ライルはエアコンが大分きいて、暖かくなってきた部屋で、ティエリアの横で黙って座っていた。 「あなたは、あえて不幸になる道を選ぶというのか。あなたはあの人の代わりにはなれない。したくない」 「未来は、自分の手で掴む。勝利も、栄光も、あんたも」 「それは破滅にしかならない。あなたに、なんの幸福ももたらさない」 「破滅でもいい。幸福じゃなくてもいい。あんたが欲しい」 「ニールっ!」 天井に向けて、届かない手を伸ばす。 ライルは、持っていたクスリを噛み砕くと、水を含んでティエリアに口移しで飲まさせた。 時折、壊れたようにティエリアは錯乱状態に陥る。一人だけの時に。 「ニール、ニール、ニール。助けて、苦しいんだ。どうすれば、ニール、あなたは答えてくれる?」 ベッドに押し倒される。 「ティエリア、逃げるな。あんたらしくない。いつもみたいに、毅然として強く輝いているのがあんただ。壊れるな。頼むから、壊れないでくれ」 「ニール」 「ライルと言え。ニールと言うな。ライルと口にしろっ」 「ライル」 「愛してるんだ。あんたを、兄貴から取り返す。今はできなくても、いつか絶対に」 押し倒されたまま、ティエリアはライルを見上げる。 「僕はもう、愛される価値さえない。あの人だけを愛している」 「奪い取ってみせる。絶対に」 「またクスリを・・・僕は・・・僕の意思で・・・あの人を愛したんだ。もう誰も愛さない・・・・もう、誰も、命ある・・・ 限・・・り」 言葉は途切れ途切れになった。 鎮静剤を打つことはライルには無理だったので、即効性の強い睡眠薬を無理やり飲ませた。 記憶が吹き飛んでしまうくらいに強いやつだ。 医師からは、危ない傾向がみられた場合にのみ、服用を許可されたものだ。 ティエリアは、睡眠薬を飲まない。 睡眠障害に陥っても、決して飲まない。 ライルは、悪いと思いながらも、強制的に眠りにつかせてしまったティエリアを毛布でくるんで、静かに横たえた。 いつか、兄貴から必ず奪ってみせる。 その目が、自分を見るかどうかは分からないが。 愛とは、無慈悲に残酷だ。 誰もが平等に愛し合えるというのなら、こんなに苦しく切ない思いはしないだずだ。 「ティエリア、コワレタ。ティエリア、コワレタ」 哀しそうにティエリアの傍にやってきたハロを捕まえて、ライルは部屋を出た。 たとえ、かなわないと分かっていても、奪いたいのだ。 |