優しいあなた









「シーリン・・・もう少し、寝かせてちょうだい」
マリナは、もぞもぞと毛布を被った。
アザディスタンでは、いつも毎日シーリンに起こされた。
シーリンは優しく起こすことはしない。むしろなかなか目覚めない皇女を覚醒させるために、毛布を剥ぎ取って、ベッドから落とすことまでする。
シーリンとは、親友だ。
皇女と、それを補佐する右腕であるシーリンであったが、シーリンはかけがえのない存在であった。
幼い頃から、シーリンと過ごした。皇女と平民という身分をこえて、仲良く遊んだ。
アザディスタンでは、身分制度などあまり意味のないことだった。
ただマリナが皇女であり、国を代表するものであり、平民より良い暮らしをしているだけだ。
後は、なんのかわりもない。
平民はマリナを皇女として認める者と、認めない者の二つに分かれていた。
保守派とそうでない者の二つに別れる。
それが国内でテロ行為を誘発する原因になっていた。分かり合えない。考え方の違いだけで、こんなにも人は醜く争うのだ。自爆テロをおこし、何の罪もない国民たちが犠牲になっていく。
そんなアザディスタンを変えたかった。
だが、マリナの力だけでは役不足だった。シーリンの強い力があって、マリナは皇女として国民に訴えた。テロ行為をなくし、平和な国になろうと。

「シーリン、あと10分寝かせてちょうだい。あと10分・・・・むにゃむにゃ」
マリナは寝言を言った。
「そんなに寝たいなら、一日中寝ていろ」
低い青年の声。
それに、マリナのブルーサファイアの瞳が大きく見開かれた。
ここは、アザディスタンではない。
シーリンはいない。
シーリンは、遥か遠く彼方の何処かにいる。
マリナは、寝ぼけて眼(まなこ)でおきがった。
「一日中寝ていろだなんて無理よ。むにゃむにゃ」
「寝ていたいのなら、寝ていればいい。起こして悪かった」
去っていこうとするその後姿を、眠い目をこすって引き止める。
「待って、行かないで」

マリナを起こしにきた刹那は、マリナの低血圧ぶりにはじめは驚いた。
ガンダムマイスターとして、規則正しい生活をしている刹那は、たとえ深い眠りの最中であろうとも、警報が鳴ったらすぐに飛び起きた。
惰眠を貪ることはしない。そんなことをしていれば、命に関わるのだ。
他のガンダムマイスターたちも同じで、深い眠りについていても警報は鳴れば目覚める。そんな特訓を何度もしたからだ。
「マリナ・イスマイール。眠いのなら寝ていればいい。俺は、ティエリアとアレルヤとロックオンと一緒に朝食をとることにする」
刹那の言葉に、マリナが慌てた。
刹那は、マリナと一緒に朝食をとってくれる。
ガンダムマイスターたちの輪に入れないマリナを気遣って、刹那はマリナの傍にいてくれた。
このままでは、本当に刹那はいってしまう。
マリナは起き上がって、乱れた夜服のまま、ベッドから床に立ち上がろうとして、眠気に襲われて、ベッドをはいずりまわるような形になった。
シーツを乱し、長い黒髪が顔を覆う。
その姿に、刹那が笑った。
無表情な彼は、時折笑う。

「マリナ・イスマイール。まるで亡霊のようだぞ」
黒い髪と対照的な白い肌と、白い夜着のせいで、マリナはまるでリングの貞子のような状態になっていた。
刹那はリングの貞子を知っている。
伊達に日本には住んでいない。
何百年も前の映画だが、大ヒットを飛ばした映画ということで刹那はホラーが大嫌いなニールを誘ってその映画を見た。ニールは、映画を見たその日の夜はティエリアの部屋で寝た。
ティエリアとニールはよく二人で同じ部屋で寝ていた。特別な関係であることは、隠している状態だったが誰の目から見ても明らかで、昔の刹那はよくニールをからかうように、ニールの嫌いなホラー映画を一緒に見たものだ。
今となっては、懐かしい記憶だ。ニールの笑顔は、刹那、ティエリアだけでなく、アレルヤ、それに他のクルーたち全てを明るくさせてくれた。
マリナに、リングの貞子といっても通じないだろう。
マリナはアザディスタンから出たことがほとんどない。
連邦政府の強制収容所に囚われていたところを助けたが、マリナは少しやつれた様子だったが変わらず美しかった。
長い黒髪は絹のようにしっとりしており、白い肌はティエリアのように雪のような白さをもっているわけではないが、それでも日に焼けぬ肌は白磁のように白かった。何より、吸い込まれるような深いブルーサファイアの瞳が印象的で、凛とした美しさを湛えていた。
マリナを例えるなら、荒野に咲き誇った一輪の白い花だろう。
どんな屈強にも負けることなく咲き続ける、白い花。
刹那は、その白い花を守る。

「刹那、待って」
ずるずるとベッドをはいずりまわり、ついにはベッドから落下した。
「あいたたた」
したたかに腰を打って、マリナが腰をさする。
そんなマリナに、仕方ないとばかりに去りかけていた刹那が近づいて、片膝を折った。
「大丈夫か、マリナ・イスマイール」
乱れた髪を、邪魔にならないように後ろに戻してやる。
露になった美しい顔に、刹那は表情一つ変えることなく、手を差し伸べた。
その手を握って、マリナが立ち上がる。
「マリナ・イスマイールは本当に朝に弱いな」
「いつもはシーリンが蹴り起こしてくれるから。こんな風に、優しく起こしてもらえるのは珍しいの」
シーリンは、見た目によらずけっこう乱暴だった。
朝に弱い姫を起こすには、ベッドから蹴り落とすのが一番効率がいいと知ってから、毎日のようにマリナはベッドから蹴り落とされるか、毛布をはがれてベッドから落とされた。
とにかく、シーリンはマリナをベッドから落とす。
その衝撃で、マリナはいつも覚醒した。
刹那は、語りかけるようにマリナを起こす。言葉だけでは起きないマリナを、刹那は時折マリナの肩を揺さぶった。
朝食の時間は決められており、時間に遅れると食べ損ねる。
昼食、夕食は時間がずれても食べることができたが、朝食は食べる人間と食べない人間がいるので、時間が過ぎると調理するコックが休憩に入ってしまうのだ。
刹那は、マリナにきちんと朝食を食べさせたいが故に、少し無理やりではあるが、朝に弱いマリナを起こし、一緒に朝食をとった。
昼食も夕食も一緒にとるか、もしくは訓練があるときはマリナが自室で一人で食べる。
刹那は、何かとマリナの傍にいてくれた。
マリナには、それがとてもありがたかった。

客人であるマリナと会話をするのは、主に刹那くらいだ。
アザディスタンの皇女であるマリナの身分を思い、声をかけれないのが正解というべきだろうか。
トレミーの女性陣とも会話をするが、それで一日中が終わるわけではない。
与えられた本を読んだり、ネットにダイブしたり、刹那たちの訓練を見ることでマリナは一日の暇という時間を潰していた。

「起きたか?では、着替えてくれ。外で待っている」
刹那が、優しい表情でマリナの長い黒髪を梳くと、部屋の外に出て行ってしまった。
マリナは、眠い目をこすって、洗面所に向かい顔を洗った。
冷たい水で、完全に覚醒する。
そして、フェルトからかりた普段着用の衣服に着替える。
部屋の外の廊下で、声がした。
思わず聞き耳をたてる。

「刹那、やはりここにいたのか。朝食の後、射撃訓練室に来て欲しい。僕の射撃の腕を確認してくれないか。平均が94%を保っていたのに、昨日は73%まで落ちていた。どこが悪いのか分からない。刹那の目で、確認して指摘してほしい」
「ティエリア・アーデが90%をきるなんて珍しいな。分かった、朝食をとったら射撃訓練室に向かう。俺も、たまには銃の腕を磨かないと、鈍りそうだ」
「ありがとう、刹那」
「ロックオン・ストラトスには頼まないのか?」
刹那が不思議そうな声をあげる。
射撃に関しては、刹那よりもロックオン、つまりはライルの方が上だ。
「彼は、正確な射撃をするが・・・・・。その、いらないことをしてくるので頼みたくない」
「セクハラか。困っているようであれば、俺が仲介に入るが?」
「いや、その必要はない。それに、ライルは他人の銃の腕を見るのには向いていない。一度頼んだが、すばらしいなお前さんと褒めるだけで、形にならなかった」
「そうか。分かった」
「刹那が何かと一番頼りになる」
「買い被りすぎだ」
ティエリアの声が、遠ざかっていく。
「では、また後で」
「ああ」

マリナは、やはりあの美しい少女のような少年は、ロックオンと呼ばれる人とできているのだと勘違いした。
やはり、あの少年は少女なのだろうか?それとも、本人が言ったとおりに少年のままなのだろうか。
刹那と接している時も、まるで刹那を頼るように寄り添っているし、刹那もティエリアを守るようにティエリアの傍にいることが多い。
一度、ガンダムマイスターたちの会話を耳にしてしまった。
中身は、ティエリアのことを心配する会話だった。
無性の中性体であるティエリアが、男性ホルモン治療をまた受けて、体調を崩したという内容だった。
無性の中性体とはなんであるのか、マリナには分からなかった。ただ、ティエリアが男性ホルモン治療を受けるということは、女性を捨てて男性になるということなのだと認識した。
やはり、ティエリアは少女だ。マリナは会話からそう推測した。
何はともあれ、ロックオンという人とできているのであれば、刹那と恋人同士になる恐れはない。
刹那をとられることはない。

マリナは、知らないうちにラララ〜と音痴な歌声をあげながら、髪にブラシを通していた。

「マリナ・イスマイール、少し時間がかかりすぎないか。早くしないと、朝食の時間が打ち切られるぞ」

ドアの外から、刹那のせかす声が聞こえてくる。
マリナは、フェルトからもらった衣服の胸のスカスカ具合にちょっと気を落としながらも、それでもできるだけ自然な表情で刹那の待っている廊下へと扉を開けた。