テラ







世界は常に静謐で満ちている。
青白い月光が、二人を照らしそして堕ちる。

ザァン、ザァン。
ひいては返す波の合間を縫って、ネオン色に耀く熱帯の小魚がパシャンと波しぶきをたてる。
削られていく砂浜の砂は、まるで幾億の星のようにキラキラ瞬いて。

世界は常に静謐を満たしている。
刻限によって形をかえていく月は蒼い光を受けて涙をこぼす。

月光の涙は、二人にも降り注ぐ。

聖なるかな聖なるかな。
教会で神父が歌う神を褒め称える歌のように、聖なるかな。

「手が、冷たい」
まるで天使。天使長ミカエルかあるいは慈悲の天使ジブリールか。
それとも堕ちるべき明の明星、ルシフェルか。
女神のように美しい姿は、月光に照らされて白い肌をより一層白く、雪のように。
雪のように溶けてしまうのではないか。そんな錯覚を見る者に与える。
それがティエリア・アーデの姿。

ティエリアは、いつもはグローブをしているロックオンの手を自分の胸の位置にまでもってくると、息を吐きかけた。暖かな、生きている証をもった呼吸。
真っ白に濁る吐息は、そのまま空気に溶けていく。

「あなたが溶けていきそうだ」
並んで歩きだした。
ちらちらと降りはじめた雪を見上げる。
「お前のほうが消えてしまいそう」
ティエリアを抱き上げて、砂浜に座り込む。

「体温が冷たい・・・・もう少し、厚着してくればよかったのに」
「大丈夫。俺はアイルランド、寒い地方出身だから、寒さには慣れてる」
ティエリアの体温は高い。寒さにあわせて体温をコントロールしているので、無駄に服を重ねて着るということは少ない。秋の装いのまま、ロックオンの隣で足を抱えて首を傾げた。

ちらちらちら。
空気に溶けて行く雪のように、この天使も溶けていきそうで。
ロックオンは、ティエリアに自分のマフラーをかけた。
「あなたが寒いのでは?」
「平気だから」
二人が吐く息はどこまで白く、世界の静謐と一緒になって真っ白に真っ白に世界から閉じていく。

「少し、歩きましょうか」
蒼い月光は堕ちる。海を照らし、砂浜を照らし、二人を照らして。

二人は並んで手を繋いで歩きだす。

雪がピタリとやんだ。
ティエリアの瞳が石榴色から金色に変わった。

「消えないで」
ぎゅっと、ロックオンに抱きついてそのまま二人は倒れこむ。

ロックオンはエメラルドの瞳で笑って、ティエリアを抱きしめた。
「大丈夫、いるから」
隻眼。
世界から失わせたのは、そう。
自分のせい。

あの宇宙で、彼は、遙かなる至高天へと。

「このまま、溶けたい」
ティエリアは涙をこぼして、ロックオンを抱きしめる。

「このまま世界に溶けたい。あなたと一緒に」

雪がまた降ってきた。
耳に聞こえるのは、波の音。砂浜を泳ぐ海の音。

ロックオンはティエリアにキスをして、耳元で囁く。
「消えないよ」

月光が消える。
雪は降り続けたまま。
金色に海が光っていく。母なる海ではない、情報でできた海。蓄積されたデータの固まり。たゆたう波は、
ティエリアとロックオンをゆっくりと包み込む。

二人は金色の海に堕ちていく。

彼は、世界の記憶。
そしてティエリアはヴェーダに還った意識体。

ティエリアはロックオンと、金色の海の中で世界の静謐となって沈んでいく。


「泣いてたのか?」
ヴェーダの中にいた頃見ていた夢を繰り返していた。
明るい照明に飛び込んでくるクリアなロックオンの頬を手を伸ばしてさわり、確かめ、ラインをなぞるように優しく確認した後、ティエリアはキスをした。
「夢を、見ていたのです。金色の海の中にいた頃の夢を」

ここはトレミー。
ロックオンは、リジェネの手により蘇生措置がとられて生きていた。
そう、これは本物。

ティエリアは、金色に変わった瞳でまた一粒涙をこぼした。
「泣くなよ」
「あなたがいる。溶けないで」
「溶けないよ」
ロックオンは、ティエリアのベッドに腰掛けて、儚い美しい天使の髪を撫でる。
「もう、金色の海に戻りたくない。世界の記憶のあなたなんていや」
言葉は途中で途切れる。
唇と唇が重なる。

ベッドが二人の体重を受けてかすかに軋む。

ロックオンはティエリアの涙をふきとって、胸に顔を押し当てた。
トクントクン。
脈打つ音が、ティエリアにも聞こえた。
「ほら、生きてるだろ?」
「うん」
安堵したかのように、幼い表情でロックオンを見つめる。

「少し疲れてるんだな、眠ろうか。勿論一緒に」

二人は、世界の静謐から飛び出した。
廻り続ける世界の中で、呼吸し音を聞いて瞬きをする。

生きているから。


金色の海に、もう二人はいない。
クリアな現実の物質世界に戻った二人には、もう金色の海は、そうあの暖かい母の羊水は必要ない。


二人はベッドで丸くなって、眠りに落ちる。
星が瞬き堕ちるその時まで、永遠に傍に。誓いあった星は、きっと堕ちることはない。
なぜなら、その星は彼らを生み出した、たとえティエリアが人の手により生み出された人工生命体であるとはいえ、その因子を与えたのは、ティエリアを生み出した人間を生み出したのは、この星なのだから。

人はその惑星を母なる大地、テラと呼ぶ。