「ナナリー。ナナリーの瞳の色と同じ花を摘んできたんだ」 アメジストの瞳をした小さな少年が、少女と見紛うばかりの美貌でブリタニア皇帝であるナナリーの背後から彼女を驚かそうと、少し大きめの声をかけた。 「あら。小さなお兄様、おはようございます。今日は、とても早いんですね」 ブリタニア皇帝であるナナリー・ヴィ・ブリタニアは今年で21になる。 少女時代の可憐さを残したまま立派に成人したナナリーは、誰もが認める立派な大人の女性であった。 優しい薄い紫の瞳は、誰にでも平等に注がれ、それは皇族だろうと身辺の世話をする女官や皇族に絶対忠誠を誓う兵士たちにも変わらなかった。 100代目の皇帝は、その権力や地位に溺れることなく、とても聡明で優しいと評判であった。 ブリタニア国民の誰もがナナリーを愛していた。それは、ブリタニア皇族の血をもつ者であってもかわりなかった。 「おはよう、ナナリー」 C.C.の子供としてルルーシュの血を引いて生まれ、その精神にルルーシュそのものを宿した幼い少年は、とりわけ皇帝のお気に入りである。 どこに行くにも、大抵一緒だった。 ただ、外国に視察になどに出向くときだけは、ルルーシュは自重した。自分が世界に与えた害は、それほどに大きいのだ。いかに世界が優しく変わったとはいえ、 魔王ルルーシュの血を引く子供を歓迎する国は少ないだろう。表向きは歓迎しておいて、影で罵られるだけだ。 皇帝ナナリーの、小さなルルーシュの溺愛ぶりはそれはもう相当なものだった。 母親であるC.C.と一緒に、新たに建てたアリエス宮でルルーシュは生活していた。 けれど、C.C.は幼いルルーシュに彼の父の精神が宿っていると知った時から、幼いルルーシュに関しては放任主義を貫いていた。 無駄に母親として彼を縛り付ける必要などどこにもなかったし、その精神面に5歳という幼さは残しているものの、ルルーシュの 精神をもった少年は18歳の大人の精神年齢も持ち合わせており、無駄にナナリーや母親のC.C.に害を与えるような行動は決して 取らない。 皇族としての教育も受けているし、それにナナリーが自分の第ニ継承者として指名したくらいである。 第一継承者は、同じように離宮に住むユーフェミアという名のルルーシュと同じ5歳の少女である。彼女は、ナナリーの姉であるコーネリアとその騎士ギルバートとの 間に生まれた子供で、母親のコーネリアは、今は亡き、最も愛していた妹の名前を我が子につけた。 幼いユーフェミアは、死んでしまったユーフェミエア皇女の小さな頃そっくりで、両親であるコーネリアとギルバートだけでなく、皇帝であるナナリーも勿論、小さなルルーシュさえ彼女を愛していた。 スザクを小さなユーフェミアを愛し、そしてC.C.も小さなルルーシュと遊ぶ小さなユーフェミアを愛した。 皇帝ナナリーと、そしてC.C.親子の周りには、愛が溢れていた。 とりわけ皇帝であるナナリーは小さなルルーシュを愛し、 小さなルルーシュの存在は、宮殿内でも 知る者はいない存在となっていた。 皇帝が最も愛する存在。それが、小さなルルーシュの全てのようにも見えた。 魔王と忌み嫌われた少年皇帝の血を引いているせいで、憎悪の対象になるかもしれなかったが、けれどそれはルルーシュの実の妹であるナナリーも血縁関係でいうと憎悪の対象となる。 小さなルルーシュは、父親譲りのそっくりな美貌をそのままに、ナナリーに愛され、そしてそれに協調するかのように周りの人間に愛された。 魔王といわれた時代が嘘かのような、本当に平和な日々だった。 皇帝であるナナリーには、幾つもの縁談が持ち込まれているが、ナナリーは口約束ではあるが、5歳である小さなルルーシュと婚約を果たした。それに意を唱える者は誰もいなかった。 皇帝が、本気で小さなルルーシュと結婚するとは思っていなかったのである。けれど、彼女は本気であった。いずれ、小さなルルーシュが10を数える年になれば、堂々と婚約を発表するつもりでもあった。 それほどに、ナナリーは兄を盲目的なまでに愛していたのだ。 死んでしまった兄の分まで幸せにするかのように、ナナリーは小さなルルーシュを愛した。 「小さなお兄様、いつの間に私の部屋へ?まだ髪もといていないので恥ずかしいです」 寝起きのナナリーが、柔らかな栗色の髪を撫でる。 寝癖はついておらず、サラサラとした綺麗な音だけが指の間から零れた。 「ナナリーの寝顔を見たいと思って早起きしたんだが、どうにも間に合わなかったようだ。また、この前にように一緒に寝ようか」 時折、小さなルルーシュはナナリーのベッドで寝起きを共にする。まだ子供である年齢であるルルーシュと皇帝が一緒に寝ることに対して、誰も反対する者はいなかった。 「これ、花瓶にでも生けてくれ」 「かわいい花ですね。まるで小さなお兄様のようです」 ルルーシュから花を受け取ったナナリーが、大輪の笑みを零す。それに苦笑して、小さなルルーシュが返す。 「ナナリーのほうが、かわいいよ。この世界で一番かわいい」 「あら。C.C.さんは?それに小さなユーフェミアは?」 「二人とも可愛い」 即答する小さなルルーシュに、ナナリーは苦笑するしかなかった。まだ、5歳の年齢の精神が大きく残っている。 自分の子に溺愛した妹の名をつけたコーネリアの心は、C.C.が小さなルルーシュにルルーシュと名前をつけたことに似ていた。 小さなユーフェミアは、今は亡き皇女ユーフェミアに瓜二つの容姿をしており、宮殿の間では小さなユーフェミアと小さなルルーシュの結婚が囁かれていた。年齢もつりあうし、 何より容姿も地位も申し分ないしとてもお似合いのカップルだ。 小さなルルーシュは、そんなことは知らずに小さなユーフェミアをお茶に誘い、子供同士の遊びをする。その様子がまた、周囲を和ませ、将来あの二人は結婚するのだと囁くのを助長していた。 「二人とも可愛いし、愛している。でも、俺が世界で一番愛しているのは今はナナリーだ」 5歳の小さなルルーシュは、愛くるしい顔で愛を囁いた。 それがとてもくすぐったい。 「小さなお兄様、髪のあちこちがはねていますよ?さては、C.C.さんに内緒でこちらにこられましたね?」 小さな兄の、黒髪を手ですいてやる。けれど、ピョンとはねた髪は水で濡らしてブラシで梳き直すか何かしなければ、元に戻りそうになかった。 「本当にな。困った息子ですまない、ナナリー」 いつの間にかやってきたC.C.が、ひょいと小さなルルーシュを抱えあげた。 「C.C.!ナナリーとの時間を邪魔するな!」 「はいはい。しかし、子供は子供らしくまだ寝ている時間だ。大人しくベッドに戻れ」 C.C.は、じたばたと暴れる小さなルルーシュを抱え直して、ナナリーの方を見た。 「本当に、すまないな。まだ、眠たりないだろう。眠そうな顔をしているぞ」 「あら。C.C.さんは、本当になんでもお見通しですね」 5年たっても全く容姿の変わらない小さなルルーシュの母親は、少女姿のまま、翠の長い髪をなびかせた。 外はまだ、やっと太陽が昇りはじめたといった時刻で、小鳥の囀りが聞こえ始めたばかりだ。黄金色に輝く朝焼けの時刻は、起きるにはまだ早い。とりわけ子供である 小さなルルーシュはまだ寝ているべき時間だ。 ナナリーは、昨日読んでいた小説の続きが気になって、女官が起こしにくるより前におきて、密かに続きを読もうとしていたので 偶然起きていた。 小さなルルーシュは、本当ならナナリーの寝顔を見て、それから小さな紙に書いたおはようというメッセセージと一緒に、花を置いて アリエス宮に戻るつもりでいた。 けれど、ナナリーが起きていたので彼の中の悪戯心が、ナナリーを脅かしてやろうと囁いたのを実行したのだ。 結局、ナナリーを脅かすことはできず、柔らかな微笑みに包まれるだけだったが。 C.C.は、慣れた手つきで小さなルルーシュを腕の中に抱えている。 抵抗を止めた小さなルルーシュは、四肢から力をぬいて、ブラーンとC.C.に抱えられるままにしていた。そのほうが、手っ取りはやいし、アリエス宮まで戻るには 5歳の身体には遠すぎた。 「あら、かわいい。C.C.さん、私にも、小さなお兄様を抱かせてください」 「ほれ」 ブラーン。ダラーン。 やる気のなくした小さなルルーシュは、両脇を抱えられて、宙ぶらりんになっていた。その様子が、おかしくて、C.C.が堪らないとナナリーのベッドを叩いた。 「おいルルーシュ、いくらなんでもやる気がなさすぎだぞ!見ていてアホに見える!!」 「アホで結構だ…」 小さなルルーシュは、ナナリーに抱き抱えなおされながら、彼女の額にキスをした。そして、耳元で愛していると囁いた。 「あら」 「む。こら、ルルーシュ。それは、まず私にするべきだろうが」 「ああ。愛しているよ、C.C.」 母親の手に渡ったルルーシュが、抱えられながらも身体を伸ばして、C.C.の額にキスをする。 それは、毎日おはようと愛しているという言葉と一緒にされる、いわば習慣のようなものになっていた。 満足したのか、C.C.は小さなルルーシュのはねた黒髪をなでた。 「本当にすまないな、ナナリー。朝食の時間まで、ルルーシュを寝かしつけてくる」 腕の中の小さなルルーシュは、心地よい体温に包まれて、我慢することができずに瞼を重そうに擦っていた。 18歳の精神が宿っているとはいえ、半分以上がまだ5歳の未熟な精神で構築されている小さなルルーシュであった。 朝焼けの黄金が、眩しく開いたカーテンの隙間から、ルルーシュのアメジストに反射して光っていた。 「お気になさらずに。小さなお兄様が、こんな朝早くに私のために花を摘んできてくれたことがとても嬉しいです。小さなお兄様、愛していますよ。C.C.さんも、愛していますよ」 ナナリーがベッドに腰掛けたまま、顔にかかる長い栗色の髪を耳にかけて、優しい言葉を返す。 ナナリーにとって、小さなルルーシュは特別な存在である。同時に、その母親でもあるC.C.も特別な存在であった。彼女にとっては、実の家族そのものだ。 「私も、ナナリーを愛しているよ。では、アリエス宮に戻ってルルーシュを寝かせてくるな」 皇帝の優しい笑みに、同じような優しい微笑みを返して、翠の髪の少女はナナリーの部屋を立ち去った。 ナナリーは、小さなルルーシュに渡された薄い紫の花を手にとって、天井に掲げてみせた。朝焼けの黄金に照らされて、薄い紫の影がナナリに零れ落ちる。 そして、ナナリーは小さな花瓶に大切そうにその花を生けて、読もうと思っていた小説の続きを開けた。 朝焼けの黄金は、静かに今日もブリタニアの大地を照らしていく。 |