「陛下。皇帝陛下」 幼い少女が、瞳に大きな涙をためながら、車椅子に乗ったナナリーのスカートを小さな手でわし掴んだ。 すでに公務を終わらせ、プライベート時間になっていたナナリーは、いつものように小さなルルーシュに会うためにアリエス宮を 訪れていた。 スザクが車椅子を押して、宮殿からかなり遠い場所にぽっつりと、まるで孤立したように建つアリエス宮まで運んでくれた。 「ありがとうございます、スザクさん」 ナナリーが、にこりとゼロの仮面を被ったスザクに微笑みかける。 スザクは、仮面の下でナナリーに微笑み返した。 そして、ナナリーはそっとスザクのほうを振り返ると、彼の被っていた仮面を取った。 「アリエス宮では、あなたはゼロではなくスザクさんです。ゼロの格好をする必要はありません」 「けれどナナリー、これは僕とルルーシュが決めたことだ」 「お兄様は、確かに死んでしまったけれど、その精神をC.C.さんとの間にできた子に宿しています。小さなお兄様は、昔のお兄様と 少し違うけれど、でも小さなお兄様は私のお兄様なんです」 先代皇帝であったルルーシュは、C.C.との間に一人の子をもうけていた。名前はルルーシュ。 死んだ父親と瓜二つのその愛らしく幼い容姿の中には、死んだはずのルルーシュの精神が宿っていた。 そのせいもあり、ナナリーはスザクを恨むことがなくなった。スザクにゼロとして生きるだけでなく、ちゃんとスザクとしての 時間ももてるようにアリエス宮に来た時はいつも、スザクから仮面をとり、衣装を着替えさせた。 「スザクさん、いつものように着替えてきて下さいね。ここでは、あなたはゼロではなく小さなお兄様の大切な親友であるスザクさんなのですから」 いつの間にか用意されていた衣装を、ナナリーが指さした。そして、スザクはそれ以上ナナリーを困らせることはせずに、着替えるために一度部屋を出た。 しばらくして、私服に着替えたスザクが姿を現した。 ナナリーはそれに満足する。 そして、アリエス宮の奥へと進んでいった。 アリエス宮は、はじめ入った場所にいくつかの部屋があり、そこで訪れた人物と対応できるようになっていた。そして、その奥には 長い長い廊下が続いていた。 廊下からは花咲き乱れる庭園がいつもみえ、色とりどりの花を満開に咲かせていた。 廊下を渡った奥は、こじんまりとした館のような作りになっていた。 「おや、ナナリー。来るならそうと、電話をしてくれれば良かったのに」 奥の部屋から、白いワンピースを来た美しい翠の髪の少女が現れた。 「C.C.さん、すみません、電話をするのを忘れてしまいました」 ナナリーは、うっかり事前に電話をすることを忘れていた。 アリエス宮の今の持ち主であるC.C.であるが、いつでも自由に来いといわれていた。だが、いきなり訪問されて困る時も出るはずである。なので、ナナリーは 事前に来る時は電話を入れるようにしていた。 「スザクも老けたな」 C.C.が、ナナリーの車椅子を押すスザクを見て、からからう。 「無茶いわないでくれ。僕は、君と違って普通の人間なんだ。年だってとるさ」 23歳になったスザクであったが、まだ少年期の幼さを残している。 C.C.は老けたなどといっているが、スザクの年齢は18の頃からあまり変わっていないように見えた。 成人はしていたが、ゼロとしての生活が長いせいか、まるで時間を止めたかのようであった。 反対に、ナナリーは大きく成長した。淑やかで美しい大人の女性として。 「小さなお兄様は?」 ナナリーが、小さなルルーシュの姿を探す。 いつもなら、C.C.が出迎えるよりも早く、真っ先にナナリーを出迎える小さなルルーシュであったが、その姿が今は見えない。 「もしかして、小さなお兄様はお昼ねでもしているのでしょうか?」 たまに、ナナリーが訪れてきたときに昼寝をしていることがった。だが、ナナリーがくると何かの気配を察知するかのように、ルルーシュは眠りから目覚め、いつも ナナリーと一緒の時間を過ごそうとした。 「それがな」 C.C.が、言いにくそうに口を濁らせた。 「ああああ〜〜〜ん。ルルーシュ!!お母様を助けて!ああああーーん!!」 ルルーシュの部屋から、小さな女の子の泣く声が聞こえてきた。 それに、C.C.が困ったというような表情を浮かべた。 「ユーフェミアが来てるんだ。しかも、泣きながらルルーシュに抱きついて離れようとしない。なんとか泣き止まそうと試みたんだがな、 どうにも私には子供をあやすのは向いていないようだ」 「あああーーん!お母様が苦しんでいるの!お母様、泣き止んでくれないの!」 声から察するに、コーネリアの子のユーフェミアだろう。 小さなルルーシュはよく、小さなユーフェミアをお茶に誘ったり、遊びに誘ったりしてこのアリエス宮に招いていた。 ユーフェミアもよくルルーシュになつき、幼い二人はとても愛らしい天使のようであった。 コーネリアは我が子のユーフェミアを自由にさせていた。 それに、同じ年代の皇族もいないせいもあり、幼いユーフェミアのもっぱらの遊び相手はルルーシュだった。 駄々をこねるユーフェミアを抱いて、コーネリアは、いつもすまないと、C.C.と会うたびに頭を下げる。 彼女とて、幼い我が子の我侭に翻弄されているのだろう。 コーネリアは皇族を自ら出奔し、彼女に皇位継承権はなかった。ナナリーの取り計らいで、 皇族の一員として復帰したが、コーネリアは平民として夫のギルバートと共に静かに暮らすつもりであった。 だが、夫のギルバートは皇族として長年育ってきた彼女の身を思い、しきりにコーネリアに皇族として暮らすように進めた。 それに、ナナリーも強くコーネリアの復帰を願った。 皇帝から直々に頭を下げられて、流石のコーネリアも参ったのか、離宮で皇族としてギルバートと共に暮らすことを承諾した。そして、二人の間には 一人の女の子ができた。 コーネリアは生まれた子供に、最も愛した妹の名前をつけた。 ユーフェミア。 その皇女は、ルルーシュのギアスにかかり、ルルーシュの手によって命を奪われた。 コーネリアには複雑だった。失った愛しい妹と同じ名前をつけた我が娘は、その妹の命を奪った憎き魔王の息子ととても仲が良い。そして、その魔王の子は誰よりもルルーシュ本人にそっくりであった。 コーネリアには、仲良く遊ぶ二人の存在が眩しくて仕方なかった。分かり合えなかった二人が、まるで再び巡り合い、幼い愛を育んでいるように見えた。 実際、ルルーシュの精神をもつ幼いルルーシュは、コーネリアのことも思い、ユーフェミアにはとりわけ優しく接していた。 「ルルーシュ。ユーフェミア。皇帝陛下が来たぞ」 C.C.がふいに声をあげた。 すると、ばたばたという駆け足と共に、ルルーシュに抱きついたまま泣きじゃくるユーフェミアが姿を現した。 「あらあら。どうしたのですか、ユーフェミア」 ユーフェミアは、しっかりとルルーシュに抱きついて、離れようとしなかった。 そして、大粒の涙を零しては、たれそうになる鼻水をルルーシュの衣服で拭った。 「助けてくれ」 ルルーシュが、アメジストとローズクォーツのオッドアイを瞬かせた。 「ルルーシュ。ルルーシュこそお母様を助けて」 「無理を言うな。ナナリー、助けてくれ。C.C.も。スザクでもいい、とにかく助けてくれ」 ルルーシュには、ユーフェミアの体を振り払うことができなかった。 ルルーシュは、過去にこの少女と同じ名の皇女を手にかけている。そのせいもあり、ルルーシュはとてもユーフェミアに甘かった。 どんな悪戯をされても、叱ることさえしなかった。 「ひっくうぃっく」 しゃくりあげるユーフェミアに近づいて、ナナリーはそっとルルーシュごと抱きしめた。 「どうしたのですか、愛しいユーフェミア。ただ泣いていては分かりませんよ。何かわけがあるのなら、話してごらんなさい。 皇帝であるこの私が、全力をもって対処いたします」 「ひっく。うぇっく。陛下〜〜〜」 ユーフェミアが、ルルーシュの服で盛大に鼻水をかんだあと、ナナリーの膝元に抱きついた。 「俺の服が…」 ルルーシュが、鼻水でべとべとになった服をつまんだ。 「うわ、エンガチョだな、ルルーシュ」 「C.C.、もっとましな台詞をよこせ」 「鼻水べったりの服が似合っているぞ、ルルーシュ」 「C.C.……」 ルルーシュは、泣きたくなった。 自分が殺してしまった皇女の代わりに、ユーフェミアには愛を注ごうとルルーシュは決めていた。そんな彼女に泣かれ、服をティッシュがわりにされてもルルーシュは ユーフェミアを責めない。 たとえ、今着ている服がナナリーから送られた大切な服であるとしても、ルルーシュにはユーフェミアを叱ることはできなかった。 C.C.もユーフェミアを叱ることはしない。躾けられているとはいえ、皇女としての品位に欠けた行動をユーフェミアはよくした。 「陛下〜。ひっく。陛下なら、お母様を助けられますか?」 ユーフェミアが、翠の瞳で薄い紫の瞳を見上げた。 「私が、コーネリアお姉さまをですか?」 「うん。お母様、朝からずっと泣いているの。お父様が慰めても泣き止まないの。このままじゃ、お母様涙を流しすぎて死んでしまうわ」 5歳という幼さならではの発想だった。泣いただけで人は死なない。けれど、ユーフェミアはこのまま母が泣き続ければ死んでしまうのだと思っていた。 「大丈夫だよ、ユフィ。君のお母様には、君のお父様がついている。お母様は、哀しいことがあって少しの間泣いているだけだよ。今はきっと、もう泣きやんでいるよ」 スザクが、幼いユーフェミアの体をひょいと持ち上げて、そう言った。 「ゼロ、本当に?」 ユーフェミアが、スザクに抱きついた。 本当は、いくら幼いとはいえナナリー、C.C.、ルルーシュ以外に素顔を晒してはいけないスザクであったが、幼いユーフェミアは特別であった。 愛した女性にあまりに似ているのだ。 「今日は…ユーフェミアの命日だ」 ポツリと、ばつが悪そうにルルーシュが漏らした。 その言葉に、ユーフェミア以外が沈黙する。 「ユフィお姉さまのお墓参りに、行かなくてはなりませんね」 「私の命日?私のお墓参り?私死んじゃってるの?」 「違いますよ、幼いユーフェミア。あなたのお母様の妹君が、あなたと同じユーフェミアという名前なのです。そして、 彼女は今日この日に死んでしまわれたのです」 「俺が、殺した」 ルルーシュが、唇を噛んだ。 「小さなお兄様。もう過ぎたことです。そんな言い方をしてはいけません」 「ユフィのことは、僕もそんな考え方をするのは止めた。ルルーシュがちゃんと覚えているのなら、それでいい」 「スザク」 ルルーシュがオッドアイの瞳を瞬かせた。 責められると思っていたのだ。だが、スザクの穏やかな声に、ルルーシュは覚悟していたとう顔を解いた。 「今日は、皆でユフィお姉さまのお墓参りにいきましょう。勿論、コーネリアお姉さまも誘って。あの方のことだから、 きっと墓参りにいくのもとてもお辛いはずです。それに、コーネリアお姉さまはいつも誰もユフィお姉さまの墓参りに誘いません。私たちが行くことで、 彼女のことを覚えているのだとコーネリアお姉さまに分かって貰えば、お姉さまのお辛い心も薄らぐかもしれません」 「そうだね。僕もたまにユフィの墓参りにはいくけど、時折コーネリア殿下の姿をお見かけする。いつも一人だ」 「俺はいけない」 「お兄様」 「ルルーシュ。コーネリアにとって、憎い妹の仇はもうとっくの昔に死んだんだ。問題はないだろう?」 C.C.がユーフェミアの墓にはいけないのだと言い出したルルーシュを抱き上げた。 「駄目だ。俺が俺を許せない」 「ルルーシュ」 小さなルルーシュは、震えていた。 「ナナリー。すまないが、こんな状態のルルーシュを一人にはしておけない。墓参りには、ナナリーとスザクと、ユーフェミアで 行ってきてくれ。いずれ、日を改めて私とルルーシュも墓参に参る」 「分かりました」 ナナリーは、辛い顔のルルーシュに言葉をかけることができず、スザクに車椅子を押してもらい長い廊下にまででた。 小さなユーフェミアは、スザクに背負われている。 咲き乱れる花が、甘い香りを風に乗せて運んできてくれる。 「お兄様は、とっくの昔にユフィお姉さまの死を忘れたのだと思っていました。でも違ったのですね。ちゃんと、自分の罪を自分で認めています」 「そうだね」 ナナリーの車椅子を押しながら、スザクは複雑だった。 今のルルーシュは、ユフィの仇ではない。仇であったルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは自分が殺したのだ。 神の悪戯で蘇ったルルーシュは、以前のルルーシュとどこかが違う。肉体も違うし、その精神も少し違う。 「ユフィお姉さまは、白とピンクが好きでした。宮殿から白とピンクの花を集めて、ユフィお姉さまの墓の前にささげましょう」 ナナリーは、咲き乱れるアリエス宮の花を見ながら、色彩豊かな風情を楽しみながらも、死者を尊ぶために心の中で祈りを捧げた。 「どうか安らかに。ユフィお姉さま。今、あなたの名前をつけられた少女は、皆の愛に包まれすくすくと育っています。あなたの かわりまで、どうか幸せになるようにと」 ナナリーが墓に白の花束を添えた。 「ユフィ、また会いにきたよ。今でも、愛しているよ」 スザクが、ゼロの仮面を被ったまま、静かにそういって、ピンクの花束を添えた。 そして、幼い少女が、不思議そうな表情をしたまま、白とピンク両方の花が入り混じった小さな花束を捧げた。 「陛下、ゼロ。本当に、かたじけない」 コーネリアが、花に包まれた愛しい妹の墓を見ながら、皇帝に向かって恭しく礼をした。 背後には、夫のギルバートが控えている。 「ユフィは、きっと天国で幸せだといっているよ。陛下にまで、墓参りされるなんて」 「陛下だなんて、コーネリアお姉さま、昔のようにナナリーと呼んで下さればよいのに」 コーネリアは首を振った。 そして、愛しい我が子を抱きしめてから、空を見上げた。 ユフィ。 お前は、今でもみんなに愛されているよ。 |