何気ない朝









結社との戦いを終えたばかりの、ある日の朝だった。皆は、思い切って休暇としてヴァレリア湖にある川蝉停という名の、リベール王国でも結構名のしれたホテルに泊まっていた。
そこは湖畔がすぐ側にあり、釣りもできるし自然と戯れることもでき、休暇を過ごすにはもってこいの場所だ。
かつて、ギルドから休暇にと、ここに泊まったのはまだ最近の出来事だ。

「ふ〜〜〜。いい朝ではないか。ふふん」

オリビエは、泊まっていたホテルの客室を抜け出して、こそこそとまずはシェラザードの部屋に入ろうとして、鍵がかかっていたことに落胆した。

「ショック。そんなに信用ないかなぁ、僕」

その場に、仲間がいたら、当たり前だろうと肯定するだろう。
シェラザードの泊まっている部屋には、確かエステルも同室だったはず。ますますがっくりくる。

「みんな酷いわっ。僕はこんなに、愛を求めているだけだというのに。ふふふ、流浪の愛の詩人にして演奏家。痺れる設定じゃないかっ!」

そういいながら、自室に戻って、お決まりのリュートを取り出して、朝のバルコニーテラスでポロロロンと、腕は確かな演奏家としての技量を見せるが、聞く相手がいないのは少し寂しい。
まぁ、こんな朝の柔らかい日差しを浴びて、リュートを奏でるのも悪くはない。
オリビエはいつもの自己陶酔にひたりながら、リュートを奏で続けた。
鳥の鳴き声が心地よい。
さわさわと揺れる緑の音。吹き抜ける風。
薔薇をさっと取り出して、オリビエはそれを背後に向かって投げた。

「気づいていたんですか」
部屋に入ってきたのは、隣の部屋でアガットと同室だった、ヨシュアだ。
ヨシュアは、結社を抜けたとはいえ、まだ隠密起動に優れていて、音も立てずに部屋に入ってきた。足音も気配さえもしなかったのに、何故気づかれたのだろうと、ヨシュアは思った。

「ふふ〜ん、ヨシュア君、さてはこんな朝から僕を口説こうと!ああ、熱いヴェーゼのキッスを、僕はいつでも受けて立とう!」
ばっと、腕を広げて迫ってくるオリビエから退く。
「酷いわっ」
オリビエは、リュートを鳴らしながら、落胆した表情を作るが、目が笑っていた。
「朝の紅茶でも入れよう。エステル君を起こしてくるといい。僕のリュートで、愛が広がっていく〜〜〜」
「ありがとうございます」
ヨシュアは、床に落ちた薔薇を拾って、オリヴィエが聞かせてくれる、朝のこのリュートが好きだった。エステルと二人、窓を開けたテラスから入ってくる風を受けながら、耳を傾けて目を閉じる。
そこに、ヨシュアが、姉であるカリンの形見であり、一時はエステルと別れたときに彼女に託したそのハーモニカを奏でる。
星の在り処。そんな題名の短い曲だが、オリビエはそれに合わせてリュートを静かに奏でてくれる。黄昏時に聞くのもいいが、こんな朝の何気ない一日の始まりには申し分ないものだ。

ヨシュアは、急いでエステルを起こして、やっと着替えたままでまだ欠伸している彼女を連れて、オリビエのところにやってくると、紅茶の甘い匂いがした。

「さて、何を演奏しようか?子猫ちゃんたち」
「では、星の在り処と、協演を・・・・」
静かに、ハーモニカが旋律を螺旋をなぞるように、透明な音を立てる。
エステルは、それにオリヴィエのリュートの音が見事に、調和して重なるのに、耳を傾けた。
そして、ヨシュアがいてくれているんだと再確認して、鼓動が高鳴る。
もう、離れることは決してない――。
そう誓い合ったのだから。

オリビエは、薔薇をくわえて、紅茶を飲み終わったあと、皆を起こすために去っていった。
全く、人の恋路を邪魔するどころか、その手助けをしてくれる、変わった流浪の演奏家にして、エレポニア帝国の皇子は、全く人がいい。変態のようで、そうでもない、ただ存在があるだけで、どんな苦境に立たされていようと、気分を軽くしてくれる。
それは、結社との戦いのために、ギルドでたくさん依頼をこなし、次々と現れる執行者たちの強さと結社の強大さに、くじけそうになる心をいつも助けて支えてくれていた。

「遅いぞ!」
湖畔に出ると、ミュラーが白刃を手に鍛錬していた。
「ちょ、ちょっとミュラー君!?」
「最近のお前はたるんでいる!鍛えなおしてやろう!」
「ちょ、あーれー!」
ミュラーに、首根っこをつかまれて、引きずられていくお決まりの終わり方。
「ミュラー君、こんな朝からそんなに僕が恋しかったんだね!」
ミュラーに抱きつくと、ミュラーは逞しい体に鳥肌をたてて、オリビエに蹴りをいれた。
「ひどいっ!」
「気色の悪いことを言うからだ!さぁ鍛錬だ!」
見ると、アガットまで混じっていたようで。
「ふふ、僕を巡る二人の争い。僕は寛大なので、二人まとめてOKだよ!」
ミュラーにまた蹴られた。
それでもめげない。

愛を求める流浪の演奏家は、今日もこりない一日をはじめようとしていた。