桜に染まりゆくを







その日、浮竹は学院にこなかった。

約束をしたわけではないけれど、無断欠席なんて珍しいなと、京楽は思った。

浮竹と知り合ったおかげで、学院に通うのも好きになった。授業をさぼると、いつも浮竹が迎えにきてくれた。

迎えに来て来るのを待つために、わざと授業をさぼることがあるくらいだ。

京楽にとって浮竹は、もはや居なくてはいけない、大切な人だった。この想いは、まだ浮竹に伝えていない。

浮竹に知られてはいけない。

知られたら、今までの関係がすべて壊れてしまう。

ガラス細工のように繊細に、浮竹に触れる。浮竹は翡翠の瞳で、京楽を静かに見ているだけで、京楽の狂おしいまでの想いに、まだ気づいてはいなかった。




その日の授業が全て終わった。

同じ特進クラスであるが、浮竹が無断欠席するなど普通はありえない。

浮竹の友人たちが

「浮竹のやつ、どうしたんだろう?」

「もしかして、倒れてたりして」

などと悪ふざけで言い合っていたが、京楽はその言葉に背筋が凍りそうな気がした。

浮竹は、体が弱い。肺の病を患っているせいで、吐血して倒れることがある。熱を出しても倒れる。

「浮竹・・・・・・・」

京楽も浮竹も、実家を出て寮に住んでいた。

しかも、部屋は別々だが京楽の部屋から浮竹の部屋はけっこう近かった。


「いるかい、浮竹?」

コンコンと、浮竹の部屋をノックしても、返事はなかった。

「浮竹?」

部屋には、鍵がかけられていた。

そっと、集中してみる。浮竹の霊圧の低さに、はっとなる。感じる浮竹の霊圧は、今までにない以上に弱っていた。

「君臨者よ!血肉の仮面・万象・羽ばたき・ヒトの名を冠す者よ!真理と節制、罪知らぬ夢の壁に僅かに爪をたてよ!破道三十三 蒼火墜!」

扉を、破道で破壊するとけっこうな音がした。

焦げ臭い匂いを無視して、中に入ると、浮竹は寝台の上にいた。意識をなくし、倒れていた。

「浮竹!」

寝台のシーツは、吐血したであろう浮竹の血で血まみれだった。

真っ赤な色は、少し黒みを帯びていて、少し乾燥していた。多分、昨日の夜中にでも発作を起こしたのだろう。

丸一日、誰も気づかなかったなんて。

口元に手をもっていく。息をしていない。

「嘘でしょ!?」

浮竹の軽い体を抱き上げる。胸に耳を近づけると、鼓動の音がしない。

「浮竹!」

習ったばかりの破道で、浮竹の心臓にショックを与える。同時に、人工呼吸を数回繰り返すと、ごほりと、浮竹が自発呼吸をした。

「ぐ・・・・・・・」

苦しそうに、顔を歪める浮竹の、還ってきた命に感謝をしながら、彼を抱き上げて医務室まで走り出した。

「早く、早く、早く!」

まだ瞬歩を自在に操れない。

自分の無力さが、いっそ憐憫を誘うほどに、虚しい。

愛しい人をこれで亡くしてしまったら、一生後悔する。

「急患だ!!」

医務室に運ぶと、浮竹はすぐに護廷13番隊の一つである4番隊の隊舎に運び込まれた。

医務室の医者では、手の施しようがなかったのだ。

友人だから特別にと、浮竹が治療を受けている間も4番隊舎にいることを許可された。

「十四郎は、大丈夫じゃ」

「山じい・・・・・」

山本総隊長が、かわいがっている教え子が危ないと知らせを受けて、駆け付けてくれた。

「しっかりせぬか春水。十四郎は大丈夫じゃ。あの子は強い。こんなことで命を落としたりはせぬ」

浮竹は、集中治療室に入った。窓ガラスごしに、人工呼吸器と点滴の管が見える。それが痛々しくて、その日京楽は寮の部屋に戻らなかった。

山本総隊長に怒られて、なんとか学院には顔をだしたが、昼すぎになると浮竹のいる4番隊隊舎の病室にやってきては、まだ目覚めない浮竹の白い髪を撫でた。



一週間が過ぎた。

浮竹は、目を覚まさないが、病状は安定したとのことで、普通の病室に戻されていた。

「・・・・・・・・・ここは?」

翡翠色の瞳が開いた。

「僕がわかるかい、浮竹」

「ああ・・・また俺は発作を起こして倒れたのか」

「君ね!ただ倒れたなんてことですむレベルじゃなかったんだよ、今回は!」

京楽は、浮竹を抱き締めた。

「京楽?」

「死んでしまうかと思った」

「俺は、こんなことでは死なない」

「手のひらから砂が零れ落ちていくように、君がいなくなってしまうのかと思った」

気づくと、京楽は泣いていた。

ぽたぽたと、浮竹のいるベッドのシーツに広がっていく涙に、京楽はただ黙して浮竹を抱き締めた。

「好きなんだ。君のことが。狂おしいほどに」

「京楽?」

ガラス細工の浮竹。

触れると壊れてしまいそうな。

その浮竹に、自重していた想いを吐露してしまった。

ああ。

浮竹との関係も、ここで終わりかな。

そう思えばとても寂しくはあるけれど、浮竹が生きていてくれるだけで十分だと思う自分がいた。




涙は自然と止まった。

「君が好きだ、浮竹。きっと、君は拒絶するだろうけど、君を愛している」

その細い体を抱き寄せて、触れるだけの口づけをすると、京楽は部屋を去ろうとした。

「待て、京楽!」

浮竹の目を見つめ返すことができない。

「げほっげほっ・・・・・・・待ってくれ・・・・・・」

吐血はしないが、咳込んだ浮竹を無視することができず、浮竹の傍に近寄ると、その白い髪を手にとって、口づけた。

「僕は、君が思っている以上に、君に固執している。この感情が何なのか、自分でもわからない」

「俺は・・・・・京楽。俺はお前の想いに答えてやるとしたら、簡潔に答えをいおう」

まるで、判決を裁かれる時のような錯覚を覚える。

「こたえはイエスだ。傍にいてくれ、京楽」

京楽は、浮竹の言葉を何度も脳裏で反芻する。

歓喜。

ただ一言で表すならば。

世界が色づいてみえる。これは真実なのかと、自分のほっぺたをつねった。

「頬が痛い・・・・・浮竹、夢じゃないんだ、これ」

顔を輝かせて浮竹に頬ずりをする京楽。

「ひげが、痛い」

「ごめんごめん」

「俺も、京楽、お前のことが好きだ。・・・・・ただ、その」

「なんだい?」

「いきなりキスはないだろう!」

浮竹は真っ赤になっていた。それがかわいくて、京楽は白い頬に口づけた。

「君は、菓子のように甘い・・・・・それを味わうのは、当たり前でしょ?」

「ごほっ・・・・・」

「浮竹」

「すまない。続きは今度で・・・・・・ごほっ、ごほっ」

酷く咳き込む浮竹のために、4番隊の隊員を呼びにいく京楽。

ともすれば拒絶されるかもしれなかった。

しかし、満ちた感情は明るい。



「もう少し、寝るよ・・・・おやすみ、京楽」

薬を飲まされて、催眠作用のあるせいで、浮竹はまどろんでいく。

完全に眠りにおちた浮竹の姿を見届けて、京楽は寮の自室に戻った。



それから2週間。

退院した浮竹は、いつものように学院で授業を受けていた。京楽はさぼりだ。

「京楽?京楽はいないのか・・・・・・・?」

授業を教えてくれる教師が、浮竹を呼ぶ。

「浮竹、京楽を連れて戻ってこい」

完全に、教師から京楽がいないと浮竹を出せば戻ってくると理解されていた。



「京楽、ここにいたのか」

のどかな春の季節。

桜散る大木の下で、どこでくすねてきたのか酒を飲んでいる京楽の隣に座る。

「君も飲むかい?」

「いや・・・・・」

ひらひらと舞い落ちる桜が、京楽の杯に色を添える。

風が吹いて、桜がざああぁぁと散っていく。

桜の雨に、肩より少し長くなった白い髪が、一緒に流れるように動く。

「酒はそこまでだ。授業に戻るぞ」

「えー。もう少し、二人でここにいようよ」

「授業をさぼるわけにはいかないだろう。放課後なら、好きなだけ付き合うから」

その言葉に、京楽は黒い瞳を輝かせた。

「その言葉、覚えておくからね?」

「好きにしろ」

桜色に、人生が染め上がっていく。

桜に染まりゆく、京楽と浮竹。





「ああ、今年も咲いたね」

桜の大木を見上げて、京楽は特別講義に浮竹と学院にきていたのだが、何百年たっても色あせない光景に、目を細める。

「学院時代は、よくこの桜の木の下で、酒を酌み交わしたね」

記憶もまた、色あせない。

桜に染まりゆくを。

「今度、ここを借りて花見でもしようか」

浮竹の提案に、京楽もそれはいい、そうしようと、すでに授業のことなど頭から離れ気味だ。

「いっとくが、授業の講師として呼ばれたんだ。ちゃんとしろよ」

「はいはい。山じいの目もあるし、がんばりますよっと」


桜に染まりゆくを。

儚くも雨のように散りゆくを。

色づいた世界は、かくも美しき。