雪月の花に散りたもうH







真麻が気づくと、寝台には白桜の姿はなかった。
衣服は脱ぎちらかされたまま。
寝台の、白桜が寝ていたシーツに触れるとまだ少し暖かかった。
真麻は浴衣を羽織る。白桜はどこにいったのだろう?

部屋の向こう側から、パシャンと水音がして、湯浴みしているのかと安堵してそちらに向かうと、真麻は大声をだして白桜を呼び止めた。
「傷はどこだ!剃刀で手首を切ったんじゃないだろうな!!」

ジャージャーと流れていく湯が真っ赤だった。
目に鮮やかな、唇の紅より赤い、黒に近い鮮血。

鼻につく錆びた鉄の匂い。
真麻は真っ白な、自分の所有の証だという跡を肌に残した白桜に傷がないのを確認すると、裸の白桜に、急いで浴衣をきせようとするが、流れていく湯の中に混じる鮮血はまだ止まっていない。
白桜に傷はない。
ではどこから?


―――答えは一つだけ。

「なんでこんなのあるんだよ!子供なんて生めるわけないのに!!」
白桜が、白い太ももから血を流しながら、湯浴みの部屋で蹲る。
「ああ、そうさ!女だったら・・・・女だったらあんたの子を孕めた!こんなできそこないじゃ、何度あんたに愛されても子供なんてできやしない!」
バシャンと、湯を頭から被って、白桜は立ち上がる。
立ち上る湯気が、二人の視界をゆらゆらと泳いでいた。
白桜は、凍りついたように動かない真麻を無視して、血を流す箇所を洗い流した。タオルをとって水分を乱暴にふいて、濡れたタオルをうっとうしそうに籠にいれた。
それにも血が生々しくついている。

逢瀬を重ねた後で、子などできぬのだよと訴えかけられるような、懐妊することなどなく流れていく命の元。
新しい浴衣を羽織り、髪もふかずに湯浴み場から離れていく。

そして、寝台で蹲って子供のように泣き出した。

「あんたの子がほしい。あんたが手に入らないなら。せめて・・・・あんたとの愛の証が」
シーツに爪をたてて、苦しげに喉を鳴らす。
どうしてもほしくてたまらないのだ。
菜春などに奪われたくない。
俺だけを見て、俺だけを愛してほしい。
ああ、なんて欲深い。両性のできそこないのくせに。

枢機卿という身分の高い貴人をほしがっている。
自分はただの花街の花魁。身分など最下級。
「あんたがほしいよ・・・・あんたの全てが。真麻」

「白桜」
真麻は、白桜のもとにくると、その桜色のぬれた髪を手にとって口付けた。
ポタポタと水を滴らせる桜色の髪を、手ですいていく。それから、バスタオルをもってきて、頭をごしごしとふいて水気をとってやった。
「あんたは優しい。睦言に愛をくれる。偽りでもいい。それがずっとほしいんだ」
桜色の潤んだ瞳で、白桜は真麻を見つめる。

散っていった春の桜が、そこには満開に咲いていた。
薄い紅色の、人間がもたぬ色彩をもった白桜。桜のように儚くて。肌は桜よりも白くて白くて真っ白で、少し吸い付けば簡単に痕を残す。髪と瞳は散っていく桜のような淡い紅色をいつも湛えて、その色彩全てで訴えかけてくるような、眼差しが痛々しかった。

「あんたが、ほしい。菜春なんかに渡さない」

縋り付くように、衣服の裾を握るその白すぎる華奢な手に、日に焼けた手を重ねた。
金色の真麻の髪が、白桜の頬に陰をつくる。

「そんなに俺を愛してくれるのか」
「あんただけが世界で一番ほしいもの。この命よりあんたがほしい。あんたのそばにいられるならなんだってする」
「俺が拒否したら?」
「死ぬ」

手近にあった引き出しからすばやく懐剣を取り出して、切っ先を迷うことなく喉にあてた。
この白い喉を切り裂いてしまえ。
逡巡はなかった。拒否されるならいっそ死んでしまおう。本気でそうおもった。
けれど、切っ先は白桜の喉に僅かに傷をつけただけで、全力でそれを阻まれる。強い力で。真麻が懐剣を白桜から取り上げた。

怒られると思った。愛想つかされるかもしれないと思った。殴られるかもしれないとも思った。
でも、もうそうすることでしか真麻を手に入れられないような気がしたのも事実だ。
わずかに溢れた傷口の血を、真麻がなめとった。

「ばかなことを・・・・本当に子供だ。お前は。二十歳だろうに。菜春より大人だろうに」
「子供でいい。俺はもう嫌だ。この街に残ってあんたが生まれ故郷に帰るのを見ているくらいなら、死んでやる」
取りあげられた懐剣を求めるが、真麻はそれを寝台の下に投げ捨てた。
「白桜」
「知っているか。白桜(ハクオウ)と名づけられたが、本当は白王と書いてハクオウと読むんだ。俺は白い王だそうだ。こんなにもどす黒い塊なのに、白い王だとさ・・・・はははは」
いつの日だったか、廓に売られるより遥か前、まだ母がいきていた頃の記憶。白桜の本当の意味は、白い王なのだと、母が愛しげに語ってくれた。
白桜にはちゃんと両親がいた。母は両性具有の白桜を愛してくれたが、父は忌み子として嫌った。暴力を何度も振るわれた。母が死に、ついには花街に売られた。
借金もないし、白桜が生まれた家は一般家庭としては裕福なほうだった。なのに、わざわざ花街に。

「そこがお前の墓場であり、お前のような忌まわしい両性が生きるにふさわしい場所だ」

父の言葉を思い出す。
父は――真麻に、どこか似ていた。見た目ではなく、金髪と青い目という色彩だけだけど。

だからだろうか。父に愛されたいという心が、真麻を初めて見たとき、心のどこかでよみがえったのかもしれない。
愛されなかった人に愛されたい。
真麻に愛されたい。
愛されなかったら・・・・どうしようか。そんなことを日々抱くようになって、懐剣を手にいれたのはつい最近の出来事。

本当に愛されないのなら、終わってしまおう。愛という名の呪縛を断ち切るために、殺そう。真麻ではなく、この心を。もう二度と、真麻を欲することがないように、この体ごと終わってしまおう。

この命果てるまで、ただ欲するはあなただけ。
白桜は涙をぼろぼろ零して、しゃくりあげた。
「子供でもなんでもいい。あんたがほしいんだ。あああ・・・・」



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