この閉ざされた世界で「すれ違い続ける」







客をとるようになってから二年。まだ二年。でも、もう二年。
ずっと、ニールが支えてくれた。
守るといってくれた言葉通りに。
ティエリアは17歳になった。本来なら、侯爵家のライルと祝言をあげる年齢である。

ティエリアは、その存在の貴重性ゆえ、また廓でも主人にとても大切にされているせいで、他の娼妓から苛めにあうこともしばしばだった。
でも、いつだってニールが庇ってくれた。
着物を破かれた時は、すぐに犯人を見つけて主人に突き出した。でも、ティエリアは決して自分を目の仇にする娼妓たちに、懲罰を受けさせるようなことは主人に願って止めさせた。
「お願いです、旦那様!田舎のおっかあが病気で入院する金が必要なんです!追借金を!」
「だめだよだめだよ。お前は借金が多すぎる」
「そんな!!」
泣く娼妓に、上から降りてきた着飾った美しい着物をきたティエリアが、話しを聞きつけて主人の前に現れた。
「姐さんの追借金、私が代わりに引き受けます」
「ティエリア、お前・・・・」
苛めていた娼妓の一人であったその女は、ティエリアの言葉に驚愕した。
なぜ、この子はこんなにも優しいのだろうか。そう、誰にでも平等にとても優しい。たとえ自分をいじめる娼妓でも、困ったことがあると相談に乗って、金をあげたり、代わりに追加の借金を引き受けたり・・・。
「お前、お前、どうしてそんなに優しいんだい!」
「だって、姐さん。私も、娼妓なの。私の稼ぎなら、姐さんの追借金くらい大丈夫だから」
にこりと笑って、泣き崩れる姐の娼妓の手をとる。
「ああ、こんなに若いのに。なんて素直でいい子なの・・・・お前は、吉原にいるべきじゃないわ。早く、誰かに身請けされるべきよ・・・・どうしていつも、領主の身請けを断るの、お前?」
「それは・・・・」
廓の主人は、二人を残して仕事に戻る。
「私ね、待ってる人がいるの。英国に留学してしまった、私の元婚約者。信じてるの。きっと、きっといつか私を身請けにきてくれるって・・・・」
「そう・・・お前にも、そんな人がいるのね・・・早く帰ってくるといいね、お前の大切な人」
「うん」

ある日、綺麗な絹や着物がたくさんティエリアの元に贈られてきた。
いつものことだ。ティエリアを愛する者が、たくさんの高価な贈り物をしてくる。
「姐さんたちを呼んで」
「お前、そんなんじゃあ、ほんとにいつまでたっても年季が明けないよ」
「いいの。私より、姐さんたちの年季を早くあけさせてあげたいから」
廓の主人は、ため息を零して廓の全ての娼妓をティエリアの部屋に集めた。
「どうしたんだい、ティエリア」
「姐さんたち。これもこれもこれも、全部私に贈られてきたもの。でも、私こんなのいらない。好きなのもっていって。ああ、さくら姐さん、あなたの綺麗な黒髪にはこの銀の簪がよく似合うね。町姐さんには、この着物はどう?雪姐さんには、この絹のハンカチなんて金糸銀糸の縫い取りが綺麗だよ・・・絹大好きっていってたでしょ。この帯は、さなえ姐さんどうかしら?」
ティエリアはにこりと儚く微笑む。
皆、後ろめたさを覚えつつも、我先に選ぶのではなく、泣いてティエリアを抱きしめた。
「ごめんよ、ごめんよ・・・今までごめんよ・・・お前が特別だから、苛めてしまって」
「まだ17歳・・・私より10も下の、子供なのに、ううう・・」
「なんて優しいの・・・まるで聖女様みたい・・・ああ、ティエリア。ありがとう、ありがとう」
「ティエリア、あなたのお陰でおっかさん入院できたの。この前はお金ありがとう」
ティエリアは嬉しそうに微笑んだ。
「姐さんたちの年季を、少しでも早く明けさせてあげたいの。真珠の首飾りをフェルトナの領主さんからもらったんだけど・・・マリナ姐さん、一番借金多かったよね。これ、売って少しでも足しにてちょうだい」
大切なものを直している引き出しから、ティエリアを飾るためにと男たちが送ってきた金銀細工、指輪や腕輪、耳輪、首飾り、簪などを出すと、皆に平等に分け与えた。
「こんな高いもの・・・お前、本当にいいのかい?」
「いいの。私が欲しいのは、高価な宝石も注がれる愛でもない。欲しいものは、一つだけ、だから」

ただ一つ。
欲しいもの。それは、ライルの愛。
ライルが帰ってくることだけを信じて、娼妓を続けているのだ。
いつか、ライルに身請けされて正面からこの吉原を出て行くのだ。
ティエリアは、そう信じていた。
ずっと、ずっと。

それからさらに月日が流れる。
「どうすれば、お前を身請けできるんだい、ティエリア。こんなに愛しているのに」
「旦那様・・・・ティエリアには、心に誓った相手がいるのです。どうか、堪忍を」
「他の娼妓たちから聞いたぞ・・・留学している若造じゃそうじゃないか。そんな相手より、私を選んだらどうだね。幸せにするよ。正妻に迎える。一生苦労はさせない」
「いいえ・・・私は、あの人が帰ってくるまで、何年でも、何十年でも待っています。年季が明けても、待つことでしょう」
領主に抱かれながら、ティエリアは貴族の男や金もちの男たちに一晩の夢を与える。体を売り、男に夢を与える場所、それが吉原。
男の中には乱暴な者だっている。でも、廓の主人はティエリアを大切にしているし、そんな客は一切とらせない。その代わりに抱かれるの姐である娼妓たちだ。
ティエリアは廓で一番の売れっ子であると同時に、一番高い花魁であった。昔でいえば太夫クラスだろうか。
吉原も、財政が苦しくなって花魁道中はあっても、もう太夫制度は廃止されていた。
ティエリアに最も熱心な男であるフェルトナの領主に抱かれ、ティエリアは眠った領主を置いて、部屋を彷徨い出した。
開け放たれた庭に出て、空を見上げる。
ティエリアは、満月を見上げて、涙を零した。
「ライル・・・早く、迎えにきて・・・」

もう、何十人の男に抱かれてきただろう。
この体は汚い。でも、それでも夢を見る。
いつか、愛しい人が迎えに来てくれると。

ニールは、そんなティエリアを遠くから見つめ、そして声をかけることもなく去ってしまった。
いつもなら、抱きしめて涙を拭ってやるのに。
ニールにも分かっていた。どんなに愛を注いでも、ティエリアはライルを求めている。俺じゃない。俺のものにはならない。
愛しいティエリア。
二人は、すれ違ったまま、その年の冬をこした。


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