惹かれる者「消えたアイリス」







「おじい様。お願いがあります。アイリスを、目覚めさせてあげてください。そして、このまま廃棄処分などせずにずっと、僕たちと一緒にいられるようにしてください」
部屋に現れたイオリア・シュヘンベルグに、ティエリアは強い口調でアイリスのことを頼み込んだ。
「アイリスは・・・・お前のレプリカだ。それでも?」
「はい。僕のレプリカでも、アイリスはアイリス。僕ではありません。どうか、彼女の幸せを奪わないで」
リジェネにすでに事情を話されて、イオリア・シュヘンベルグは渋い顔になっていた。

愛しい孫娘がやっと目覚めたと思ったら、自分のことは棚にあげてアイリスを復活させてくれという。
「俺からも頼む。シュヘンベルグ卿」
刹那まで、頼み込んできた。
「俺からも頼みます。俺は、アイリスを愛しているんです」
ニールの言葉に、イオリアは驚いた。
「アイリスが、ティエリアの代わりであり、アンドロイドとしってのことかね?」
「承知しています」
ニールの言葉には、迷いなど何一つなかった。
「この子は・・・そう、本当のティエリアが目覚めたら廃棄処分すると言っていた。でも、私もこの子に情が湧いていてね。私も年だ。スイスで養生しようと思って、この子の辛い記憶は全て消し去ってそれからこの子を目覚めさせて、孫娘として一緒に生活しようと、思っていたんだよ」
その言葉に、誰もが驚いた。
イオリア・シュヘンベルグは、最初からアイリスを処分する気などなかったのだ。

「ならば、目覚めさせて、下さいますか、おじいさま」
「ああ、いいだろう」
満場一致で、アイリスの目覚めは決まった。
「おかしいね。この子は、自動的にティエリアが目覚めるとコールドスリープ状態になるように設定してある。ここの・・・この、うなじの製造日付を触れば、目覚めるはずなのに」
イオリアが何度も、起動スイッチとなるうなじの製造日付を指でなぞっても、アイリスは目覚めない。
「貸してくれ。俺が・・・」
ニールが試してみるが、やはりだめだった。
「ううむ。何か、この子は精神的に目覚めるのを拒絶しているようだね」

「そんな!!」

その部屋にいた誰もが息を呑む。
「この子は、人間に近くなりすぎたのかもしれない。人間になりたいと、最近口にするようになっていた。記憶回路が少し、ダメになっているのかもしれないね」
技師が呼ばれ、イオリアはアイリスの機械の脳から命の源である記憶回路を取り出して、念密なチェックをおこなったが、イオリアはその記憶回路がすでに故障していたことに、驚愕した。
記憶回路が故障したまま、動くことなんてありえない。
調べてみると、随分前に記憶回路は故障していたようだった。
いつもはそこまでメンテナンスをしないので、分からなかったのだ。

「ニール君。あの子の形見の記憶回路だ。受け取ってあげてくれ」
ニールは呼び出され、真実を告げられて、その記憶回路を大切に受け取って涙を流した。

もう、アイリスには会えないのだろうか?

同じように、刹那もリジェネもティエリアもショックを受けていた。

「ティエリア・・・・機械でもいいから、もう一回、俺と出会うんだろう?」
メンテナンス中のアイリスのボディに、ニールは何度も語りかけた。
アイリスのボディには、新しい記憶回路が埋め込まれた。
即ち、それは全ての記憶の抹消。

アイリスがアイリスとして生きてきた時間も、ニールに恋をしてニールを愛し、そしてニールに愛された大切な時間も全て真っ白になって、初期設定から目覚めるのだ。
ニールは、アイリスの故障した記憶回路をずっと握り締めてした。

ああ、神様。
どうか願いが叶うならば、もう一度アイリスに出会わせて下さい。
あの、陽だまりのような微笑を浮かべるもう一人のティエリアの、アイリスに。


「ニール。食事もまともにとっていないそうですね」
ティエリアが、ニールのことが心配になって、ニールの様子を見にきた。
「アイリス・・・・違う、ティエリアか」
「ごめんなさい。アイリスではなくて」
「いや、お前さんが謝る必要なんてないさ」
ニールとティエリアは、中庭でティータイムをとることにした。
ニールが久しぶりにヴァイオリンの曲を弾く。曲名はG線上のアリア。
ティエリアの喉から、アイリスと同じような透明な歌声が響き、それはヴァイオリンの音色と絡みあって一つの壮大な音の螺旋となって大空に吸い込まれていく。

そういえば、アイリスの花言葉には消息という言葉があったっけ。
今のアイリスみたいだ。
消えてしまったアイリス。
今、どこにいるんだろう?
この、壊れた記憶回路に中にいるのだろうか。
大切にポケットにしまった記憶回路に少しだけ触れる。

二人は、G線上のアリアを奏で終わると別れた。ティエリアはまだ体が外になれていないためあまり外出できない。自分の部屋に戻る。
ニールは、庭師として与えられた仕事を黙々とこなし、哀しみから少しでも遠ざかるようにアイリスのことを考えないようにする。でも、一人になるといつもアイリスの愛らしい可憐な笑顔が頭に浮かんで、ニールに涙を流させるのであった。
「なぁ、戻ってこいよ。俺が、お前を守るから」

全てのメンテナンスが終わり、やがてアイリスとの再会が叶った。

 



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