遥かなる歌姫









ティエリアは、自室で音楽を鳴らしていた。
どちらかというと、静かであることを好むティエリアには珍しいかもしれない。
ジャスやロック、ポッポミュージックの音楽などに、ティエリアは一切の興味を示さなかった。
コンピューターからアクセスし、料金を払って聞きたい音楽を選択し、音楽データを纏め、保存する。コンピューターで音楽を探すのは便利だった。視聴できるので、CDを買って、聞いたときに思ったより良くなかったという失敗がない。アルバムの中の2曲は完全に無料で視聴できる。回数は限られているが、最初だけ聞けるシステムよりは、最後まで聞けるシステムの方が便利だ。
2曲を最後まで視聴し、良いと思ったアルバムの曲をダウンロードする。
お金は、CBの資金提供者である王留美の口座から引き落とされるようになっていた。
王留美名義で、4つの口座がある。それぞれ、刹那、ロックオン、アレルヤ、ティエリアに割り当てられた口座である。その金額は驚くほどあり、家を一軒まるまる買ってもあまるだろう。
ガンダムマイスターとて、人間である。
娯楽なしでは、生きていけない。娯楽には、ほとんどの場合金がいる。
コンピューターで音楽に限らず、映画やドラマ、アニメも世界各国の最新から数百年も前の古いものまで見ることができるし、漫画や雑誌、小説を読むこともできた。だが、それにも金はかかる。著作権を有しているのだから、持っている相手に支払うべき金であった。

ティエリアは、400年も前に存在した一人の歌姫の唄を気に入った。
名前をオリガという。
透明で澄んだオーロラのような歌姫の唄を聞いてみませんか?
そんな、大それた宣伝文句に、ティエリアは最初大げさだと思った。ヒーリング系でコンピューターで検索し、 年代を選ぶことなくいろいろと視聴していくうちに、いくつかのアルバムに出会った。
ヒーリング系の音楽だけを集めたアルバムであった。
いくつもの中から、適当に視聴していくうちに、一人の歌姫の唄に巡り合った。
15秒〜30秒聞いて、最後まで聞かずに次、次と選んでいっていたティエリアは、その歌姫の唄を最後まで聞いた。
タイトルは、ロシア民謡の「ポーリシュカ・ポーレ」であった。
ティエリアは、その歌声を聞いて、すぐにダウンロードした。そして、歌手の名前をオリガと記憶し、彼女が出したアルバムを視聴する。
透明で澄んだオーロラのような歌姫の唄を聞いてみませんか?
彼女の出したアルバムが並んだ場所に、そんな宣伝文句を発見した。
大げさだと最初は思った。一曲を聴いてみて、たまたま気に入ったのだ、ティエリアは。
興味を惹かれ、他の唄も視聴することにした。そして、その歌声にティエリアは魅了された。
「ロシアの大地が育んだ、遥かなる歌姫か」
もう400以上も前に出されたアルバムを選び、オリガの唄を全てダウンロードして、料金を払い、データとして保存した。
オーロラのような歌姫の唄。
確かに、その声はまるでオーロラのようであった。色で例えるなら、オーロラかダイヤモンドダストあたりだろうと、ティエリアは思った。

データにまとめた曲を再生する。
聞く1曲1曲が、とても良い曲であった。
ヒーリングとしての効果は絶大であろう。
瞳を閉じると、深い青色の湖からわきあがってくる透明な水が見えた。

400年も前ということは、生まれ持っての歌声だろう。
最近は、声帯を手術でいじって素晴らしい歌唱力を手にいれることもできるようになっている。唄の才能は流石に天性のものであるが、美しい声を出すことは人工的にできた。
だが、人工的に作られた歌姫の歌は、すぐに分かってしまう。
その歌に、イメージが湧かないのだ。どれもが同じ曲に聞こえてしまう。

ティエリアも、イオリアに声帯を特別に作られており、ある意味人工的な歌姫であった。
だが、ティエリアの歌声は、澄んだ透明な泉のようで、曲が変わっても同じような歌になることはなかった。
どこか、自分の歌声に似ているのだ、この遥かなる歌姫は。
だから気に入ったのだ。
「ポーリシュカ・ポーレか」
遥かなる歌姫の、代表作となっている歌をティエリアは記憶した。
ロシア語なんて分からなかったが、数回聞いているうちにリズムと言葉としての歌は形になる。

歌いたい。
ティエリアは思った。
オリガという名の、400年も前に存在した遥かなる歌姫の唄を歌ってみたい。
だが、ここは自室だ。防音が施されているとはいえ、ティエリアの歌声がもしも聞こえてしまったら、ティエリアは自分の秘密をまた誰かに話さなければならなくなる。
無性の中性体であるということは話した。
イオリアに作られたことも、イオリアの手によって、ガンダムマイスターとなるべくされてきたことも。
だが、瞳のことや、女性化が進む理由や、女性のソプラノまで声が出せること、体温調節ができることはロックオン以外に話していない。
ティエリアはデータを大事に保管すると、廊下に出た。
今は、海を航海中である。デッキに出れば、誰もいないはずだ。
ティエリアはデッキに向かった。思った通り、誰もいなかった。
デッキは、立ち入り禁止区域になっていた。デッキに出て、仕事をさぼるクルーがいるからである。
ティエリアは、眩しい太陽に目を細めた。
眼鏡で光に弱い裸眼を保護しているとはいえ、いきなりの太陽の陽光は眩しすぎた。
それでもすぐに慣れ、ティエリアはデッキの上を歩いた。
一面に広がる蒼い海と、手を伸ばしても届かない青空。太陽は燦燦と輝いて、白い雲が穏やかな風にゆっくりと流されていく。

ティエリアは、デッキの奥に、伸ばされた足を見つけた。
警戒しながら近づく。だが、その足には見覚えがあった。
ロックオンが、腕枕を組んで寝転がっていたのである。隣には、ハロがいる。
ティエリアは、安堵した。

そして、海に向けて静かに口を開いた。
ロシアの唄「ポーリシュカ・ポーレ」を、ロシア語で歌いだす。
ロシア語の知識なんてなかったから、歌詞の内容は分からなかった。今度、唄の詳細なデータを見て、歌詞の内容を知ろうとティエリアは思った。

「------------------」
透明に澄んだ女性のソプラノは、風に乗って海を漂う。
サラサラと髪が揺れた。

「------------------------」
海を渡る鳥が一羽、空を横切ったかと思うと、白い純白の羽を散らせてこちらに下降してきた。
それに気づきながらも、ティエリアは歌った。
そして、白い鳥が一羽、看板の上に舞い降りた。
ティエリアは、「ポーリシュカ・ポーレ」を歌い終えてしまった。
その鳥と目が合う。
ティエリアは笑った。
わざわざ、渡りを中断して、自分の唄を聞きに降りてきた海鳥に捧げるように、オリガの「永遠。」というアルバムに収録されていた「花の散る時」をティエリアは口ずさみはじめた。
まだ、歌おうと思って聞いたものではなかったので、完全ではないかもしれないが、それでもロシア語で紫紺の髪の歌姫は唄う。
遥かなる歌姫の唄を。
白い羽が舞った。
風を利用して、観客である鳥とは違う種類の白い海鳥が数羽、トレミーの緩やかな速度に合わせて飛行する。
ティエリアが手を伸ばすと、わざわざ渡りを中断してきてまで降りてきた白い鳥は、ティエリアの手に止まった。
そのずっしりとした体重に少しよろめくティエリア。
人になれたカモメなどの海鳥は、エサを求めて人の近くに寄るが、渡りをする鳥は人を警戒する。
けれど、ティエリアに止まった白い鳥は、ティエリアに警戒することなく、その澄んだ透明な声を聞いていた。

「-----------------------」
バサバサと、ティエリアの腕から白い鳥が大空に向かって飛び立っていった。
その白い螺旋を目にしながら、ティエリアはオーロラのような声を出す。
そして、2曲を歌い終わると、トレミーにあわせて滑空していた海鳥も、消えてしまった。
全て、ティエリアの歌声に惹かれて寄ってきたのだ。その綺麗な唄が終わって、鳥たちは名残惜しそうにそれぞれ翼をはためかせた。

パチパチパチパチ。

突然背後から拍手が聞こえ、ティエリアは振り返った。
白い羽が風にのって、ふわりと舞い落ちる。
「天使が降臨したのかと思った」
「大げさですね」
ティエリアは、ロックオンの眠りを妨げてしまったことを後悔しながらも、唄を歌えた満足感でいっぱいだった。
「ガンダムマイスターズになってなきゃ、きっと今頃ティエリアは歌姫になってたな」
「そこまでうまくありませんよ」
「そんなことないぜ?聞いてて感動した。どこの国の言葉か分からなかったけど」
「ロシア語です」
「へぇ。ロシアの歌か」 ティエリアは、ロックオンが座った場所の隣にやってくると、同じように座った。
「正確には、ロシア民謡が一曲と、ロシア語の歌が一曲です」
「それにしてもおまえさん、ロシア語なんて話せたんだな」
「いいえ。元の曲がロシア語の唄なだけで、ロシア語は話せません。歌詞の内容も分かりません」
「お前さんの頭脳にかかれば、ロシア語を会得することだって簡単だろうに」
「そんな、無駄な時間を費やすつもりはありませんよ」
「それにしても、綺麗な唄だったなぁ。もう一回聞きたいくらいだ」
興味を示したロックオンに、ティエリアは嬉しそうだった。
「400年前の、遥かなる歌姫の唄です。データに纏めて保存しているので、良ければ後で聞いてみますか?とても綺麗な声で歌うんですよ」
「へぇ。お前さんが、歌手を褒めるなんて珍しいな。今時の歌姫の唄を聴いても、へたくそだとしかいわないのに」
「だって、この前聞いた歌姫と呼ばれている歌手は、あれは明らかに人工的に声帯をいじってます。それに、どの曲もおなじように聞こえた。リズムは違うけれど、目をつむっても、なんのイメージも湧かない。歌姫と称えれるくらいなら、何かのイメージが浮かんでも不思議じゃありません。何回も聞きたいと思わせるほどのものじゃなかったし、感動もしなかった」
「ボロクソだなぁ。まぁ、確かにあの歌姫は綺麗な声で歌うけど、どの曲もちょっと似たようなものが多いな。それに、ティエリアのほうがうまい」 「あの歌手に比べれば、イオリアの手で最高の声帯を作られた僕の歌のほうが、うまいでしょうね」
「うわ、すげー自信家」
「少なくとも、下手ではないつもりです。声帯はともかく、歌唱力は僕も天性のものですから」
「やっぱり、お前さんは歌姫に向いてる」
「向いてませんよ」
青空を見上げて、ティエリアは眩しい太陽を目にした。
「戦いが終わったら、歌姫として売り出すのもいいかもな」
「冗談は止めてください。一人でいるか、あなたの前でしか、僕は歌いません」
「そいつはは嬉しいな。それにしても遥かなる歌姫か。なんかロマンを感じさせるなぁ」
「綺麗でしたよ、歌声。完全な天性のものです。400年もたっているのに、データとして残されているということは、歌姫と認められていた証拠ですね」
「ティエリア」
「なんですか」
「最初の曲、もう一回歌ってくれないか。もう一度聞きたい。できれば、二曲めも」
「いいですよ。あなたのためなら、歌います」

立ち上がって、遥かな海を見渡しながら、石榴の瞳に紫紺の髪をした絶世の美貌をもつ歌姫は、唇を開いた。
「------------------」
その喉から紡ぎだされる透明な音に、ロックオンは目をつむって、静かに聞き入っていた。
また、風を切って海鳥が近づいてきた。
ティエリアは、構わず歌う。

遥かなる歌姫が、400年以上も前に歌っていた唄を。