甘い恋人









「アレルヤ、はい、あーん」
マリーが、定食のピラフをスプーンですくうと、アレルヤの口の前に持ってきた。
アレルヤは、躊躇いもせずマリーのスプーンからピラフを食べる。
「マリー、あーん」
今度は、アレルヤがピラフをスプーンですくい、マリーの口の前に持ってくる。
マリーは、嬉しそうにそのピラフを口にした。
お互いに食べさせあっている二人のまわりには、薔薇が咲いているように見えた。
無論、本物の薔薇なんて咲いていない。
ただ、背景に背負っている雰囲気がしてしょうがない。

食堂にあふれる、甘い恋人同士を邪魔する者は誰もいない。
ライルは、見てみぬふりをしているし、刹那は視界に入ってもそれがないものと脳が処理し、マリーとアレルヤの存在は食堂にないことにしている。
ティエリアは、二人の存在を無視している。

甘い恋人たちは、他のガンダムマイスターが食堂にいるというのに、どこまでもいちゃいちゃしあう。
「ティエリアさん、もっと食べなきゃだめですよ!また残して!」
二人で食べさせあいっこをしていたマリーが、一向に食事の進まないティエリアに気づいて立ち上がった。

・・・・誰のせいだと思っているんだ。

ティエリアとて、食事を残すような粗末な真似はできるだけしたくない。
だが、愛しい人の死から食欲を落としてしまったティエリアは、4年前より食べる量が減っていた。
胃が縮んでしまったのかもしれない。
足りない栄養はビタミン剤やゼリーで補っている。食事の大半を残しているわけでもない。
ただ、トレミーの最近の定食は4年前に比べて多くなっている気がした。それはただのティエリアの気のせいであったが、食が細くなってしまったティエリアにはどうしても多く感じられるのだ。
とくに、ティエリアには、今日の定食は多すぎた。
毎日残しているわけでもないが、それでもピラフを残した。
最大の原因は、無視しても聞こえてくるマリーとアレルヤの会話のせいだろうが。

マリーは、食物がどういうものであるかとティエリアに黙々と語って聞かせた。
食事を満足に食べることのできない人間がいるのに、食べ物を残すなんて罰当たりだ。
ティエリアは、それをぼーっと聞いていた。
熱心に語るマリーを、アレルヤが引きずっていく。
ティエリアはため息をついた。

「ティエリア・アーデ」
フルネームで呼ばれ、顔をあげる。
自分をそんな呼び方で呼ぶのは、トレミーでも一人しかいない。
トレイを片付けた刹那が、ティエリアの座っていた席の向かい側に座った。
そして、新しいスプーンを取り出して、ピラフをすくう。
「食べろ」
有無を言わさぬ強い口調であった。
ティエリアが、刹那を見る。

刹那は、食べ物さえろくに食べれない少年時代をすごした。
そのせいか、食べ物を粗末にすることは決してなかった。
不味いものさえも、全て食べてしまう。
少年時代は、腐った食物さえも口にした。

ピジョン・ブラッドの真紅は、決して怒ってはいない。
ティエリアは、紫紺の髪を耳にかけて、刹那の持ったスプーンからピラフを口にした。
それに、食堂にいた全員の視線が集中する。
見られることに慣れているティエリアは、気にしないことにした。
同じように、刹那も気に留めていない。
また一口、スプーンが運ばれる。
それを口にして、ティエリアは首を振った。
「今日の定食は多すぎる。もう無理だ。食べ物を粗末にはしたくないが、食べすぎるのも問題があるかと思う」
耳にかけた紫紺の髪が、俯いたティエリアの動きにあわせてパラリと顔にかかった。
すまなさそうそうに詫びるティエリアに、刹那も仕方ないとばかりにそれ以上ティエリアに無理に食べさせることは強いなかった。
変わりに、残ったピラフを刹那が食べた。
食べ物を、粗末にはできない。

ティエリアは思った。
刹那の細い体のどこに、それだけの食物が入っていくのだろうかと。
一人前の大盛りを食べた後、飲むタイプのゼリーを食べ、さらにサラダを食べていた。
それなのに、まだ食べれるというのか。
反対に、刹那はあれだけの食事でよくティエリアはもつなと考えていた。
確かに、今回の定食であるピラフは多めだったが、それでもライルに、アレルヤ、それに女性であるマリーさえ食べることができる量だ。
食欲が落ちたまま、ずっと過ごしてきたティエリアには、定食の量はいつも多いと感じていた。
最初はゼリーで過ごしていたが、刹那にきつく咎められてきちんとした食物で栄養を補うために、こうして一緒の時間に朝食、昼食、夕食を食べた。
残すティエリアを、怒ることはせず、残された食物を刹那が食べる。
こんな形でも、共存関係は現れていた。

マリーは、アレルヤの元に戻ってきて、またスプーンでピラフをすくって、アレルヤの前に差し出す。
「はい、食べて」
「うん」
「おいしい?」
「おいしいよ」
「神様に感謝を忘れないでね。食べれることへの感謝を」
マリーが微笑む。
マリーには信じる神がいた。
それは、宗教の神ではなかったが、自分だけの神様だ。
「ありがとう。神様にも、何よりもマリーに感謝をしているよ」
アレルヤが、スプーンをマリーの前にもってくる。
それを口にして、マリーは満足そうだった。
本当に、二人の空間はピンク色に染まっている。
この二人と裂くことなど、誰にもできないだろう。
「ティエリアさんは、食が細いのね」
「うん。昔からそういう傾向はあったけど、4年間の間にかなり食欲が落ちたみたい。あんまり食べれないみたい。無理に食べると、次の食事を食べなくなるんだ。だから、刹那も全部食べさせるような無理強いはしないんだ」
「刹那さんは優しいわね。まるで、ティエリアさんの本当の恋人みたい」
「刹那はティエリアにだけは特別だからね。はい、マリー、あーん」
二人は好き勝手に会話をしながら、お互い食べさせあっていた。

刹那が、ティエリアのトレイを片付ける。
ティエリアは、残っていた水を飲み干した。
冷たい水に、食物を残したことへの罪悪感が少し薄らいだ。
刹那が食べてくれるので、食べ物を粗末にしているわけでもない。
もう、何も食べたくない。できれば、次の食事はゼリーで済ませたい。そうは思っても、刹那が許さないだろう。
ティエリアは、ビタミン剤をシートから取り出して、刹那のコップに残っていた水で飲んだ。
刹那は、ティエリアを連れ立って食堂を出て、そのまま二人でガンダムの調整具合について見に行くつもりだった。
だが、ライルが先にティエリアに声をかけた。
「教官殿、また残したのか。だから、いつまでたっても細いままなんだ。もうちょっと肉つけたほうがいいぜ」
「僕の体は、そういう構造にはなっていません。必要以上のエネルギーをとれば、熱となって逃げていきます。
それより、どうかしましたか?」
「いやぁ、ちょっとハロの調子が悪くてさ。見てもらおうと思って」
「ハロは、どこに?」
いつも見えるはずのオレンジのAIの姿がない。
「俺の部屋にいる。なんか、ゼツボウシタ、ゼツボウシタっていうんだよ。そればっかり繰り返して、手に負えないんだよな」
刹那が、4年以上も前に、ハロに覚えさせた言葉だ。
ハロは、ライルの手に渡る時に一度リセットし、ティエリア自身がプログラミングをしなおした。
だが、時折昔の言葉を話す。
それがどうしてなのか、ティエリアにも分からなかった。リセットしたはずのAIのどこかに、違う記憶回路があるのかもしれない。
刹那が、ピジョン・ブラッドの真紅でライルの傍にやってくると、ティエリアに聞こえないように耳打ちした。
「ティエリアと仲良くなるのは構わない。だが、傷つける真似だけはするな」
「しないさ。昔じゃあるまいし。もう、絶対にしない」
エメラルドの瞳は、嘘は言っていないようだった。
ティエリアは、二人の会話を耳にすることもなく、アレルヤとマリーの甘い恋人の空間から脱するためにも、立ち上がり、ライルに歩み寄った。
「ハロは、僕がプログラミングしなおしました。おかしなところがあれば、僕の責任です。行きましょう」
ライルは、上手いことティエリアを刹那から攫ってしまった。
刹那はそれに文句をいうわけでもなく、二人が去っていくのを無言でみていた。
ティエリアとライルは最近仲がいい。
それは、悪いことではない。
はじめて会ったときのように、罵りあい、しまいには拒絶して無視しあうよりは断然に今のほうがいい。
だが、どんどんとライルとの距離を縮め、刹那を過ごす時間が減っていくティエリアに、心のどこかで哀しいという気持ちを抱えていた。

それがどうしてなのか、刹那にもよく分からなかった。