週末の過ごし方









「ほれっ」
ロックオンが、小型ボートから海に向けて釣竿をたらす。
綺麗な放物線を描いて、釣り糸は海の中にのまれていった。
ポチャン。
そんな音がなった。
打ち寄せる波は穏やかで、風もあまり吹いていない。
魚釣りをするには、絶好の条件だ。
おまけに、快晴ときた。
ここまでくれば、魚釣りに出かけたのは正解といえるだろう。
浮き沈みする浮きを、じっと見つめる。

海鳥が、白い影となって空を横切る。
燦燦と海を照らす太陽に、ロックオンは目を細めた。
「お」
10分もしないうちに、浮きが沈み、釣り糸にぐぐっと重い負荷がかかった。
ロックオンは、機嫌よくリールを巻く。
負けるものかと海の底に泳いでいこうとする魚を、釣り糸を巻いて引き上げる。
「諦めがわりぃな」
粘る魚にむかって、そんな文句をたれる。
魚だって必死だ。
エサを食べたと思ったら、痛い釣り糸が顎にかかり、そして体が浮上しようとしている。

海の上は、魚にとって死を意味していた。
魚はもっている精一杯の力で抗う。
だが、抵抗もむなしく、少しづつ力を失っていく。
粘れば粘るほどに、魚は体力を消耗する。
根気よくまかれるリールの音が、爽快だった。

釣り糸を巻いていく。
魚の影が、水面を横切った。
「きたきたー」
ロックオンは、嬉しそうにすくい網を用意する。

パチャン。

魚がはねた。
金色の弧を描いて。
その色の美しさに、ロックオンの隣でじっとしていたティエリアが目を輝かせた。
金色の魚だ。
なんて美しいんだろう。

リールがきりきりとまかれ、魚が最後の抵抗のように再びはねた後、ロックオンが用意したすくい網によって、船にあげられた。
ピチピチとはねる魚から釣り糸を外し、海水を汲んだバケツの中に放す。
バケツの中を狭そうに泳ぐ魚に、ティエリアは興味津々だった。
金色の魚だ。
名前は知らない。金色に輝く鱗をしている。
一般的な食用ではないのはみてすぐに分かった。
大きくも小さくもないが、食用として出回っている魚にこんな金色の魚はいない。
多分、熱帯の魚だろう。
釣りをしている場所は、熱帯には含まれないが、地球温暖化が進んでいく中、熱帯、亜熱帯に住む魚も北へと進出した。
同じように、珊瑚礁も北へ北へと北上する。
今では、熱帯でない地方でも、ダイビングすれば普通に珊瑚礁を見れたし、それにあわせるように熱帯、亜熱帯のカラフルで美しい魚を見ることができた。
元々その地域にいる魚も無論生息している。

かわりゆく環境に、自然は適用していく。
温暖化が進む地球は、北極や南極の氷が解けて、海面が上昇した。それにより、海抜の低い島国などは海に沈んでしまった。
それを、新たに人工的に島を作り上げて、海に沈んでしまった島国を再建する。
人もまた、変わり行く自然にあわせて生活をする。
地球温暖化を防止するための植林運動は世界中に広がり、伐採されてしまったジャングルは数百年の時をかけてまたジャングルへと戻った。
砂漠化が進む地方には、地下水をくみ上げて人工的に雨を降らせ、その地域にもともとあった森が戻った。
並大抵の努力ではない。人は、地球を痛めつけるだけ痛めつけて、放置していた。その罪は、災害という形で人間に降りかかった。人々は、緑を増やし、地球温暖化を食い止めることに成功した。
排気ガスをまいていただけの車や工場からのCO2は、人々の努力によってどんどん減っていった。砂漠だった地域に、緑が戻っていく。
人は、地球なしでは生きれない生き物なのだ、結局は。

バケツの中を泳ぐ金色の魚を、飽きることもなくじっと見つめるティエリア。
生きた魚を見る経験など、めったにない。
大概は、料理として調理されてしまった魚だ。
地上に降りることの少ないティエリアは、自然に慣れ親しむことも少なかった。
そんなティエリアを誘って、釣りにいこうと言い出したロックオンは、断られるのを承知の上だった。
だが、ティエリアは意外にも素直に釣りに行きたいといった。
海を見るのは、嫌いではなかった。
全ての生命を育む、母なる海。ティエリアにとっては、今はアクセスできなくなってしまったヴェーダの存在に近いものがイメージとしてはあった。

「ティエリアも、釣ってみるか?」
「いいんですか?」
興味津々な様子で、ティエリアが問いかける。
ただ、同行するだけのつもりだったが、ロックオンはちゃんと釣竿を何本か用意していた。
「その釣竿使え。エサはこれだ」
ロックオンの手から釣竿を受け取って、いざエサをつけようと、小さな箱の中のエサを見る。
「わあああああああ!」
ティエリアが、うねうねと動くエサ入りの箱を落とした。
エサはゴカイだった。
そのあまりのグロテスクな姿に、ティエリアは顔を真っ青にしている。
こんなグロテスクな生き物は始めてみた。
そんなティエリアに、やっぱり予想していた通りだとロックオンが笑い声をあげた。
「どうする、釣り止めるか?」
少し、悪戯してしまおう。
ティエリアがゴカイを触れないのをいいことに、このままエサをつけてくれとねだってくれるようにしてしまおう。
そうロックオンが仕向けようとした時。
「平気です」
腕まくりをしたティエリアが、素手でゴカイを掴んで釣り糸につけた。
ウネウネと動く姿に動じる様子はない。
「あ、あれ?」
ロックオンは、おかしいな、こんなはずでは・・・・とゴカイを素手で掴んだティエリアを見る。
ティエリアは、平気な顔でゴカイを釣り糸につけ終わると、海に向かって投げた。

ティエリアは、少女のような可憐な姿をしている。
着ている服は、ユニセックスな服で、海のような深い蒼の上から、黒の上着を着ていた。下は、蒼の服とお揃いのハーフパンツで、ふわふわの毛皮のついたブーツを履いていた。
肩まである髪は、邪魔にならないように後ろに一つでまとめられているが、横髪を三つ編にしており、白の飾り紐が一緒に編みこまれていた。ゴムでくくった上から、水色のリボンを巻いて、ちょうちょ結びにしたあと、背中に流している。
髪は、一人でくくってもせいぜい一つにまとめて、バレッタで留めるくらいだ。リボンを結ぶのは難しい。まして三つ編や飾り紐などは、一人ではできない。全てロックオンがしてくれた。
妹の髪を結っていたロックオンにとって、ティエリアの髪を結うことは簡単なことだった。
少し我侭をいうなら、もう少し長ければいじりがいがあるという程度か。
肩までの長さでも、十分に髪をいろんな形で結うことはできた。

ティエリアは、少女のように美しく、そして可愛かったが、乙女ではない。
その心は、あくまでも男性の人格を基本としている。
ロックオンというときは、まるで本当に乙女のように純粋で無垢ではあるが。
乙女のような外見に似合わず、ティエリアはグロテスクな生き物にすぐに慣れてしまった。
釣竿を片手に、片手でゴカイをつまみあげて、じーっと観察をはじめる。
ウネウネと動くゴカイが気持ち悪い。
それを、平気な顔で手にすると、ロックオンのほうに持ってきた。
「これ、よく見ると面白いですね。変な生き物だ」
「ぎゃあああああ、頼むから顔のまん前にもってこないでくれええええええ」
悲鳴をあげるのは、ロックオンのほうだった。
目の前にもってこられ、そのグロテスクさに鳥肌がたった。

ロックオンは思った。
ティエリアは漢だと。
ある意味、漢だ。
とても可憐で、本当に少女のような反応もするし、甘いものが好きだったり、低血圧だったり、何気にかわいいものも好きだ。
だが、時折、爽快にかっこいい。
それはガンダムでの戦闘中であったり、またコンピューターを使って何かを分析している時であったり、戦闘訓練の時であったりもした。

ティエリアは、もぞもぞと蠢くゴカイを、小さな箱に戻した。
そして、自分の釣竿に反応があるのを確認する。
「万死に値する!」
何が万死に値するのかよく分からなかったが、リールをきりきり巻いていく。
バシャン!
大物が、波の間をうねった。
「わ」
ぐいっと魚の出す力に、ティエリアの体がよろめいた。
ただでさえ、波の上の小型ボートという不安定な状況にいる中に、海の中に引きずり込む力が加わって、バランスを崩す。
その細い肢体をしっかりとロックオンが受け止めた。
「大丈夫か?」
「はい」
「こりゃ大物だな」
リールが反対に海に向かって進んでいく。
それを、ロックオンの力強い手が阻む。
きりきりとリールを巻き上げる。その力の強さに、ティエリアは羨望の眼差しを送った。
できることなら、こんな風に力強く生まれてきたかった。
無性の中性体であるティエリアは、女性のように力は弱くないものの、男性に比べて明からに全ての力が弱かった。かわりに、俊敏性はずばぬけているが。

バシャン。
また、魚がはねた。
そして、数分の格闘の末に、魚はボードの上にあがった。
大き目のバケツに入れるが、泳ぐこともできない。50センチは余裕でこえる。暴れる魚が、ボートの上ではね、次第に力弱くなってくる。

魚は名前は知らないが、多分食用だろう。
ロックオンが、今日のおかずにするとか言い出した。
ティエリアは、縋りつくような目で、ロックオンにお願いした。
「海に、戻してあげてください。こんなに大きく育ったのに、ここで命を絶たれるなんてかわいそうだ。子供も残せないまま死んでしまうなんて。お願いです」
潤んだ瞳に見上げられ、ロックオンは仕方ないとばかりに、魚を海に戻す。
死にかけていた魚は、海に戻り、少しずつ元気を取り戻して、ロックオンの手から離れて大海原の下へと旅にでていった。
「まったく、お前さんは。釣った意味がないじゃないか」
「だって、死んでいく姿をみたくなかったんです。この金色の魚も放してやっていいですか?」

その時のティエリアは、乙女と言われても仕方なかっただろう。
石榴の瞳を大きく輝かせたティエリアは、見た目よりも幼く見えた。
精神が、幼いのだ。どこか未熟な部分をもっている。

ロックオンが、まいったとばかりに降参した。
「海へお帰り」
ティエリアの手にすくわれて、そのまま海に放たれる。
金色の影はすぐに見えなくなってしまった。

「釣りにならなくてごめんなさい」
しゅんと、ティエリアが肩を落とす。
それに、ロックオンがティエリアの頭を撫でた。
綺麗にセットされた髪が、少し乱れたが、気にしない。
「戻ろうか。そうだな、釣りはやめだ」
「ごめんなさい。泳いでいる姿のほうが好きなんです。生きているからこそ美しい。無駄に摘み取りたくありません」
その言葉に、ロックオンがまたティエリアの頭を撫でた。
「怒らないんですか?」
「なんでだ?怒る理由がないだろ」
「だって、あなたはこの釣りをとても楽しみにしていた。なのに、僕が台無しにしてしまった」
「なぁ、ティエリア」
「はい」
「水族館に、行こうか」
「水族館へ?」
ティエリアの落ち込んでいた顔が、みるみる元気を取り戻した。
「泳いでいる姿が好きなんだろう?だったら、釣りなんてやめだ。水族館にいって、生きて泳いでいる魚を見に行こう」
「いいんですか?」
ティエリアは、ロックオンといるとき、わりと素直だ。
水族館といわれて、ティエリアは胸が躍るのを止められなかった。
パソコンのネットの動画でしか、泳ぐ魚の群れを見たことはない。魚が泳ぐ実物を見るのだって、今回がはじめてだ。
「今日はこのまま終わりにして、明日にでもいこうか」
「今日が、いいです」
珍しく、ティリアが我侭を言った。
それに、ロックオンが腕時計を見る。そして、急ぎでボートを海岸へと戻す。

パシャンと、金色の魚が、水面をはねた。