それが、たとえ禁忌でも「あの人の影を追う」







ドイツでの滞在をやめ、あの人の故郷であるアイルランドの地を踏んだ。
久しぶりにくるアイルランド。
長閑に広がる景色は変わっていない。

そのまま、白い薔薇をもって、あの人の墓に墓参する
「また、会いに着ました」
墓の前には、CBの皆で捧げた花が枯れていた。
新しく花が捧げられた形跡がある。スイスに住むことになったライルだろうと、ティエリアは思った。
ライルは、口では否定するが、わりと家族思いで兄のことも慕っていた。
その兄の墓に、ライルはアイルランドの地を踏むと必ず花束を持って、家族の墓と、あの人の墓に花を捧げた。それは、ライルの役目でもあった。

ディランディの名を受け継ぐライルは、ロックオン・ストラトスというコードネームを捨てた。
戦いが終わり、もうロックオンと名乗る必要がなくなったからだ。ライル・ディランディに戻った。
だが、刹那は、コードネームそそのまま自分の本名にしてしまった。
ソラン・イブラヒムという名前は、ゲリラとしての少年時代の名前で、ろくな思い出がないのだ。刹那・F・セイエイという名前を、刹那は何より気に入っていた。
同じように、アレルヤもアレルヤ・ハプティズムというコードネームを本名にした。
披検体E−057という名前しかもたぬアレルヤには、アレルヤ・ハプティズムという名前はマリーが名づけてくれたものでもあり、大切なものだった。そのまま、本名とした。
ティエリア・アーデ。それはコードネームであり、本名であった。
ティエリアには、最初から本名がなかった。その部分はアレルヤと似ているかもしれないが、ティエリアは意図して名づけられなかったのである。アレルヤには元の名前は存在しており、それをアレルヤが記憶と共に忘れてしまっただけである。
ティエリア・アーデに本名はない。コードネームが全てだ。
ティエリアは、自分のコードネームを気に入っていた。
綺麗な響きをしている。本名がなくても、別に構わなかった。

シリアルNO8であるティエリアは、自分を長いコールドスリープから蘇らせてくれたCBに感謝していた。
イオリアに作られた存在であるティエリアは、他のシリアルNOたちとは違い、深い地下の特別な場所で眠っていた。
CBの研究員が偶然みつけ、シリアルNOたちの誰かを目覚めさせる予定であったのを、急遽変更して地下に眠っていたティエリアを蘇らせることにしたのである。
CBの研究員が予期していた通り、他のシリアルNOたちと違ってティエリアは特別だった。他のシリアルNOたちにイノベーターとしての能力は備わっていなかった。
ティエリアにだけ備わっていた。
ヴェーダにアクセスすることのできる無性のイノベーターを、CB研究員はティエリア・アーデと名づけ、ガンダムマイスターにした。
他の機関の手によって目覚めさせられたイノベーターたちと、後に敵対することとなった。
リボンズやリジェネをはじめとしたイノベーターたちも、特別なカプセルで眠っていた。
シリアルNOたちは、今もイオリアの研究所で眠っている。
もしも、他の機関の手によってティエリアが目覚めさせられていたら、ティエリアはイノベーターになっていただろう。そして、あの人と出会うこともなく刹那に駆逐されただろう。
いや、運命に抗ってまで、あの人と出合ったかもしれない。

「あなたは、ここで眠っているんでしょうか。それとも、まだ宇宙を漂っているんでしょうか。あなたは、魂は常に僕の傍にあるといってくれたけれど、僕にはそれを感じることができません。でも、僕の心の中で生きているあなたは、何年たっても色褪せることがない。僕は、愚かでしょうか」
ティエリアは、白い薔薇を捧げたあと、自分で作った曲を歌った。
あの人に、少しでも届くようにと。
墓場は無人だった。


天は人に試練を与えた 神は人に試練を与えた
生きることへの試練を 人は生きながら噛み締める
天は人に愛を与えた 神は人に愛を与えた
人は生きながら愛し合う 愛の素晴らしさは無限だ
エデンへの扉は締め切られたままだった
けれど人は鍵を手に入れた 人は罪深い
エデンに入る資格などないのに 人は鍵で扉を開けた
アダムとイヴが食べたという木の実を
人は口にする そしてまた罪に身を染める
天は人に試練を与えた 神は人に試練を与えた
生きることへの試練を 人は生きながら噛み締める
人は無限の可能性を秘めたまま

唄は、途中で途切れた。

パチパチパチ。

小さな拍手。その音に気づいたティエリアが、歌うことを止めたのだ。
気づくと、傍にいつの間にか小さな少女が立っていた
じっと、あの人の墓を見つめ、そして歌うティエリアを見つめる

「どうしたんだい。迷子にでもなったの?」
ティエリアが屈みこんだ。すると、少女は首を振った
「あんまり歌声が綺麗だから降りてきたの」
その言葉に、ティエリアは首を傾げた。
どこか、車から降りて、ティエリアの歌声に誘われてここまでやってきたのだろうか。
それにしては、車が近くにない。
怪訝な表情をしながらも、ティエリアは少女の顔を覗きこむ
「綺麗な唄。もっと歌って?」
無垢な幼い眼差しを向けられて、ティエリアは仕方ないとばかりにまた歌いだした。
どれくらい歌っただろうか。
少女は、満足そうに微笑んだ。
少女の髪はティエリアと同じ紫紺で、瞳はエメラルド色だった。
どこか、顔ざしがティエリアと似ていた。
「ありがとう、地上の天使。私は、いつもいつもあなたの唄を聞いていた。いつも綺麗な歌声をありがとう。お陰で、同胞たちもすっかりあなたの虜だよ。私からのプレゼントをあげる。三日間だけ、あなたの願いをかなえてあげる。綺麗な歌声は、いつもあなたの大切な人に届いているよ」
少女が、幼い仮面を剥ぎ取った。
それは全てを見透かすような、遠い雲の上にいる、全てを超越したかのようなものだった。
少女が笑う。
天空から、ふわふわと白い雪が降ってきた。
違う、白い羽だ。

「嘘だろう?」

ティエリアは、その光景を信じられない表情で見ていた。
目の前にいた少女が、すーっと透き通って、消えてしまった。
影も形もなく消えた少女の後を確かめるように、ティエリアは少女がいた位置を確認する。
薄く雪が降り積もったその場所には、確かに小さな足跡が残されていた。
ティエリアは、ついに自分は壊れたのだと思った。
あの人の影ばかり追って、ついに狂ってしまったんだと。
それでもいいかと、ティエリアは息を吐いた。吐く息はどこまで白く、身をきるような凛とした冷たさがティエリアを包み込む。
あの人を想ったまま壊れて狂ってしまえるなら、それも本望だ。

チャリン。

何もない天空から、金属音がする何かが降ってきた。
それを、呆然と手にとる。
見たことのある鍵だった。
あの人の生まれた家の鍵だ。
ティエリアは、4年以上も前に何度かあの人の生まれた実家に来たことがあった。
そこで泊まり、あの人と時間を共有しあった。

「ロックオン」

ティエリアは、鍵を握り締めると、まるで夢遊病患者のようにふらふらと立ち上がったかと想うと、膝をついた。
ふわりふわりと、雪が降ってきた。
純白の雪を抱きしめるように、ティエリアは手を広げる。
ああ、ついに壊れてしまった。
このまま、雪で埋葬されてしまえばいい。
あの人の墓の前で死ねるなんて、なんて素敵だろう。



NEXT