僕は壊れている「受胎告知、無性のマリア」







手術は、モレノは2時間で終わるといっていた。だが、3時間たっても4時間たっても終わらなかった。
5時間たって、やっと手術室が開いた。
モレノはマスクをとると、苦しそうに息をついだ。
「オペは成功だ。あとは、治療カプセルに入って、傷が塞がるのを待つだけだ。傷ついた器官は、自然ではありえないほどに深い傷になっていた。再生治療も受けさせる」
「はい」
ロックオンが、うなだれる。
「元気だせロックオン。ティエリアは助かったんだぞ?」
「でも、こうなるまで放置していたのは俺のせいだ」
「それは、どうだろうな。ティエリアの肉体は、痛みに対して鈍感だからな。そういう風に作られているんだ。仕方ない」
「ティエリアに会えるか?」
「ああ。麻酔をかけているが、そのうち目覚めるだろう。面会は治療カプセルの中だな。本当は面会謝絶にしたいが、ティエリアの体はロックオンが傍にいると治癒のスピードが数倍早くなるからな。本当に、人智をこえた身体だ。どうすれば、こんな生命体ができあがるのか、知りたいくらいだ」
治療カプセルにはいった、白皙の美貌には、無残にもいくつもの引っ掻き傷がある。ティエリアが自分で作った傷だ。傷が浅いものは、そのままにされていた。
「ロックオン」
「何か」
じっと治療カプセルで眠るティエリアの傍にいることに決めたロックオンに、モレノが言いにくそうに近くにきてくれと言った。
「その、ティエリアと性交渉はあったのか?」
「それは・・・!」
「プライベートなのは分かってる。だが、重要な質問なんだ。答えて欲しい」
「ない、とはいいきれないが、少なくとも体を繋ぐようなことはしていない。ティエリアの身体はそういうことができるようにできていない。男性同士のようなセックスもしていない」
「そうか。あの器官では、男性を到底受け入れられるものではないからな。これは、神様の悪戯か?本当に、ティエリアという生命体は不思議すぎる」
モレノが、スクリーングラスをとって、目を覆った。
「一体何が?」
「摘出した、未熟な子宮は潰れかけていた。原因は、中にいた胎児が大きくなりすぎたからだ」
「胎児!?」
「DNA照合の結果、ティエリアと、ロックオンの子供であることが判明した」
ロックオンは、本当に言葉を失った。

ティエリアが、普通の女性で避妊もせずにSEXしていたのならわかる。
だが、ティエリアは女性ではない。無性の中性体である。その身体に備わっている器官も未熟で、とてもではないが性交渉をできるようなものではなかった。そんなもののために備わったものではないのだろう。
女性がもつ膣に擬似していたが、小さく狭く、そして行き止まりとなっている。
女性のもつべき位置よりも激しくずれており、何よりティエリアには女性器が備わっていないのだ。
中性体と聞かされたとき、初めは両性具有かと思った。
両性具有であれば、男でも女でもないということに納得がいったし、実際に両性具有の人間は少数ではあるが存在する。
神様の悪戯のように、両方の性をもちながら、どちらにも属さない、中性体。
だが、ティエリアの場合完全なる中性体であった。身体が無性なのである。男性の器官も、女性の器官もその身体には備わっていない。
信じられないが、そういう風に人工的に作られているのである。
そのティエリアが、女性化しているとはいえ、その傾向は腰がくびれ、胸が僅かに膨らんだだけで、あとは身体的になんの変化も見られなかった。
なのに、未熟な子宮ができたという。しかも、その子宮は潰れかけていて、性交渉もしていないのに中に胎児がいたのだという。
しかも、その胎児はDNA照合の結果、ティエリアとロックオンの子供であるということが判明した。
人体というものは未知だ。
だが、その未知の範囲を遥かに凌駕している。
いくら、普通の人間ではないからとはいえ、その身体の作りはほとんど人間と同じであった。ただ、無性で性別がないだけ。あとは、自分の意思で体温が調節でき、動体視力にとても優れ、人工の光にも自然の光にも瞳は弱く、暗闇では目が金色に光る。ヴェーダにアクセスしなくても、その瞳は石榴色から金色へと色を買えることができる。視力はとてもいい。痛みに、神経が鈍い。男性のテノールから女性のソプラノまで声を出せて、とても美しい唄を歌うことができる。
思いつく限りでは、それくらいか。
それだけでも人体としての能力をこえているというのに、性交渉なしで胎児ができるなど。
まるで、聖母マリアではないか。聖母マリアは、処女のまま受胎し、そしてイエス・キリストを生んだ。
ティエリアの身体に、いきなり未熟な子宮はでき、そこに処女のまま受胎した。胎児はロックオンとティエリアの子供であるとDNA照合で判明し、科学の力によって二人の子供であることが立証されている。

受胎告知のジブリールはどこにいるのだろう。
無性のマリアに、受胎告知を告げたのだろうか、ジブリールは。
ジブリールは、聖母マリアに告げたように、ティエリアにも受胎告知を告げたのだろうか。
キリスト教徒であるロックオンにとって、もはやティエリアは神秘の存在になっていた。
無性のマリアだ。
俺だけの、マリア。


ティエリアは夢を見ていた。
夢の中で、少女が無邪気に笑っていた。
ティエリアは、人のいない公園で、ブランコにのっていた。きーこきーこ。ブランコをこぐ音だけがする。
公園は灰色だった。
目の前にいる少女と、ティエリアだけが色彩を持っていた。
「私、あなたの子供なの。名前はないわ。お父さんはロックオンっていうの。お母さんはティエリアっていうの」
「僕は女じゃない。子供なんてできない」
「あなたは無性のマリアなの。そして、私が宿る。でも、私は死んでしまう。なぜなら、お母さんの身体は子供を産むようにはできていないから。本物のマリアは子供を産んだけれど、私のお母さんは無性なの。だから、私は死んでしまう」
少女が、小さく震えて泣き出した。
「おいで」
ティエリアが、ブランコをこぐのを止めた。
泣き出した少女は、ティエリアにかけよって、抱きついた。
「僕の体の奥に、何かがあるのは分かっていた。何かが息づいている気がしていた。血と一緒に、流れてしまうんだと思っていた」
「私は、流れることさえできない。このままだと、私、お母さんの命を止めてしまうから、私は自分から死を選んだの」
キーコキーコ。
二人して、ブランコをこぐ。
「私は神様の悪戯で宿ってしまった。でも、どうか怒らないで。ちゃんと死ぬから。だから、嫌いにならないで」
ブランコをこぎながら、少女が泣きじゃくった。
少女の髪はティエリアと同じ紫紺で、瞳はロックオンの瞳のエメラルドだった。
「嫌いに、ならないよ」
「本当に?私の存在が、お母さんを錯乱状態に陥れてしまったのに。私のせいで、お母さんは痛い思いをするのに。それでも、私を嫌いにはならないでくれる?」
キーコキーコ。
ブランコをまたこぐ。
ティエリアのブランコが止まった。
「嫌いにならない。生理的に受け付けられなくて、信じられなくて、錯乱状態に陥ったんだ」
少女も、ブランコをこぐのを止めた。
「ごめんなさい、お母さん。できることなら、お母さんとお父さんの子供として、ちゃんと生まれてきたかったな」
寂しく笑う。
その面差しは、ティエリアにそっくりだ。
もしも、ティエリアとロックオンの間に女の子が生まれたとしたら、こんな子供になるんだろう。
灰色だった公園が、みるみるうちに色を取り戻していく。
キーコキーコ。
少女の姿が消えた。
この刹那に、死んだのだろう。
「産んであげられなくて、ごめん」
ティエリアが、消えた少女に向かって謝った。
バサリと、白い翼が羽ばたいた。ティエリアの目の前に、ティエリア並みに美しい女性が現れる。ティエリアは、その美しさに言葉を失った。
何故なら、その女性は背に光る六枚の翼を持っていたから。
「本当に、あの御方の気まぐれにも困ったものだ。こんな風に人の前に現れるのは、何千年ぶりになるか。マリアの時以来だ・・・」
「僕の子供は、今死んだよ?僕の命もとりにきたの?」
「それは告死天使(アズラエル)だ。私は受胎告知のジブリールだ。生れることもない命ゆえ、受胎告知をしようか迷ったが、一歩遅かったようだ。汝は、この世界で2番目のマリアだ。無性のマリア。汝の子の魂は、処女受胎ゆえに特別である。我が兄弟として受け入れよう。そう、名前は・・・セラヴィとなづけよう」
キーコキーコ。
関心がないかのように、ティエリアはブランコを漕ぎ出した。
これは、夢だ。
天使がどうのこうのなんて、どうでもいい。今さっき、自分に宿っていた子供は死んだ。
ティエリアは、石榴の瞳から涙を流した。
「産んであげられなくて、ごめんね」
キーコキーコ。ブランコをこぐ音だけがする。
「マリアの時は歓迎されたのに、このマリアはなんと無関心であることか。まぁよい。私の仕事は終わった。魂は回収する」
羽ばたく音がきこえる。
だが、ティエリアにはどうでもよかった。
神の悪戯とはいえ、自分に宿った子供は死んでしまった。心のどこかで、死んでしまえとティエリアは願っていた。
それが実現された。
「ごめんね」
キーコキーコ。
ブランコをこぐ。
色彩を取り戻した世界が、また白と黒のモノクロにかわっていく。
ティエリアだけが、色を残したまま、永遠とブランコをこぎ続けた。涙を流しながら。



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