魔王降臨








覚えているのは、目の前に広がる青空。
雲ひとつない、とても澄んだ高い青空。
世界は、本当になんて綺麗なんだろうか。俺が死ぬことで、世界はもっと綺麗になる。


ルルーシュの視界に入ってきた、ナナリーの歪んだ顔。
大粒の涙を浮かべ、必死になってルルーシュの体を揺さぶる。

「俺は、世界を壊し……世界をつくる……」
「お兄様!死なないで、お兄様!!」
少女の悲鳴を、ルルーシュは聞いていた。

ゼロに刺された傷から、ドクドクと止まることなく血が溢れ続ける。
やがて、瞼を開けることもできなくなって、重くなった瞼を閉じた。 急速に、体から力が抜けていき、まるで離脱しているような心地を味わった。
最後にナナリーに愛していると言葉をかけれなかったことが、とても心残りだ。

「いやあああああああああ!お兄様、お兄様あああああああ!!」
ナナリーの悲痛な叫びは、けれど血まみれなルルーシュの耳に届くことはなかった。
「私は、お兄様が生きていればそれだけで良かったのに!!」
兄の遺体に縋りついて泣きじゃくる少女は、いつまでたっても兄の傍を離れないで居た。
稀有な能力で見てしまった、スザクとルルーシュの二人による世界を変えるゼロレクイエムという計画。
その代償が兄の死だなんて、なんて残酷なのだろうか。
二度と目をあけないルルーシュの体に死後硬直がはじまり、体温が急激に冷めていく。それでも、ナナリーはルルーシュに 縋って泣き続けた。


けれど、別れの時はどうしてもやってくる。
兄を、葬儀に出してやらなければならない。

棺の中は、白い花で埋め尽くされていた。
遺体はきれいに血を拭き取られ、皇帝の葬儀らしく、彼がいつも身にしていた正装をその身にまとわせている。
「お兄様は、本当に酷いですね。こんな形で、私を残していってしまうなんて」
ルルーシュの遺体に、ナナリーはいつまでも優しく語りかけた。
ゼロの姿をしたスザクの姿はない。彼は今や、自分の最も愛しい兄を奪った憎い仇であった。とてもではないが、会話をする気に なれなかったし、スザクにルルーシュの遺体を見せることも嫌だった。
ルルーシュの命を、たとえ世界のためとはいえ奪ったスザクに、ルルーシュと対面させることはできない。
いつまでも涙を零し、食事も睡眠もとらぬナナリーに家臣たちが心配の声をあげる。しかし、独りきりにさせてくれと言っておいたので、家臣や女官が傍にくることはない。
葬儀に出されるまで、あと半日。

「お兄様……」

目の前の、豪奢な棺に横たわる兄は、とても安らかな表情をしていた。
その髪をすいて、その唇に自分の唇を押し当てた。反応が返ってこないことは分かっていたし、 そのアメジストの瞳が二度と開かれることはないことも分かっていた。
それでも、白い花に埋もれたルルーシュに、何度も言葉をかける。

その時だった。ピクリと、ルルーシュの眉が動いた気がした。
「お兄様?」
白い花の濃厚な甘い香りが、部屋中を満たしていた。


「ナナリー」
背後からかけられた声に、ナナリーは驚いた。人払いをしていたのに、どこの誰が自分と兄の最後の別れを邪魔するのだろうかと きつい眼差しで振り返る。
けれど、そこにいた意外な人物にナナリーの声が上ずった。
「C.C.さん。どうしてここに」

C.C.は、緑の髪を編み、白いワンピースを着て、その手に紅い薔薇を一本携えていた。
「あなたも、お兄様にお別れを?」
いつもよりも可憐にみえるC.C.の姿に見惚れながらも、その手に携えられている薔薇を見逃してはいない。
「お兄様、本当に安らかな表情で眠っているんですよ。今にも起きてきそうなくらい、安らかな表情で……あああああ!!」
ナナリーが、C.C.に抱きついた。
どんなに我慢しても涙は溢れていた。だが、傍に縋りつく人物が誰もいなかったのだ。
見知ったC.C.の姿に、ナナリーは何かが壊れてしまったかのように抱きついて、ひたすら泣きじゃくった。
「どうして、お兄様が死ななければならなかったの!?どうして、お兄様だけが!!」
ナナリーの、栗色の髪の頭を撫でながら、C.C.はずっと白い花に埋もれたルルーシュを見つめていた。
「C.C.さんは、悲しくないんですか?お兄様は、C.C.さんのことを愛していました」
その言葉に、C.C.がはじめて感情を表に出した。
「私も、ルルーシュを愛していたよ。いいや、今も愛している」
紅い薔薇の花を、けれどC.C.は棺に添えることはせずに、ナナリーに言い聞かせた。
「こんなお話は聞いたことはあるか?皇子様の呪いは、お姫様のキスによって溶けるんだ」
「C.C.さん?」
ナナリーは、彼女が悲しみのあまり現実逃避をしているのだと思った。全く関係のない会話をすることで、 涙を零さないようにしているのだと思った。

けれど、白い花に埋もれたルルーシュの遺体を見つめるC.C.の瞳はとても穏やかだ。まるで、子供を見守る母親のように温かい。

フワリ…。

ナナリーの目の前で、信じられないことが起こっていた。
C.C.の体が宙に浮かび、緑の輝きを放って、ルルーシュの遺体を包み込んだ。
「時は満ちた。目指めよ。お前にコードはすでに刻まれている。V.V.からシャルルの手に渡ったコードは、シャルルの死により、 その時最も近しい者…つまりは、お前に宿っているんだ」
「お兄様?」
淡い翠の輝きの中で、まるでルルーシュが今にも目を開けたかに見えた。

「全く、お前も強情なやつだな。そんなに妹を泣かしたいか?」
翠の光がより一層眩しいものになって、目を開けていられずにナナリーは手で視界を遮った。
「なるほど」
C.C.が、優しくルルーシュの遺体に唇を落とす。

そして、奇跡が起こった。

アメジストの瞳が、瞬いたのである。
その光景が信じられなくて、ナナリーは自分が夢を見ているものだと信じ込んでいた。

「ありがとう、C.C.。もう、大丈夫だ」
ゆっくりと、皇帝の正装の姿のままに、ルルーシュが起き上がった。
パラパラと、動きにあわせてルルーシュを埋め尽くしていた花が散らばっていく。
C.C.は、紅い薔薇をルルーシュに渡した。
「これは、お前が生きている色だ。私を残して死ぬことなど、私が許さない。コードを継承せし者として、共に運命を受け入れろ」
「俺は、世界と一緒に死ぬつもりだったんだけどな。そんな俺にコードが継承されているなんて、本当に皮肉だ」
ルルーシュは、実の父であるシャルルを殺した。そして、シャルルは実の弟であるV.V.からコードを無理やり奪っていた。 コードはギアスの力をもつ者であり、そしてギアスを与える者でもある。そして、コードを持つ者は不老不死であった。
先代皇帝は、コードを持っていた。そして、ルルーシュにはコードを継承する資格があった。ルルーシュは、自ら望んだわけでも ないのに、父シャルルの死によって、いつの間にかコードを継承していた。
それに気づかぬC.C.ではなかった。
けれど、ルルーシュにはその真実を知らせずに今までいたのだ。
C.C.自身の力で、無理やりコードがルルーシュの体に現れないようにしていた。

そうでなければ、スザクとルルーシュがたてた計画が全て水の泡になってしまう。
ルルーシュが死ななければ、世界は変わらない。物語は前に進まないのだ。
けれど、ルルーシュが死した今、もはやコードの力を抑える必要などどこにもなかった。

「本当に?本当に、お兄様なのですか!本当に、生きているのですか!」
逡巡気味だったナナリーであったが、けれど兄の答えをまたずに、その体に抱きついた。
「ああああああ!お兄様!お兄様ああああああ!愛しています!どうか、消えないで、私を独りにしないで!例え幻でもいいから!」
子供のように泣きじゃくるナナリーの体を抱きとめて、ルルーシュは優しく彼女の頬にキスを落とした。
「ほら、この体温が、幻に見えるか?」
白い花びらを払いながら、ルルーシュが続ける。
「ちゃんと、生きているよ。ギアスのコードというものを継承したせいで、俺は死んでも死ねない体になったんだ」
「コードですか?」
「詳しくは、おれもよく分からない。知っているのは、C.C.だけだ」
「ああ!夢じゃないんですね!お兄様は、ちゃんと生きているんですね!!」
「ああ。心配をかけてすまない。ただいま、ナナリー。愛しているよ」
「おかえりなさい、お兄様。私も、お兄様を愛しています」
二人の兄妹の熱い抱擁に、C.C.が苦笑を零す。

「私だって、ルルーシュを愛しているぞ」
「俺もだ、C.C.」
棺は、とりあえず閉じて、中身に石をいれて人の重さに調節した。幸いにも、棺は顔の部分が開くだけで、ナナリーが命令すれば誰も中を覗くことはないだろう。 葬儀方法は、火葬ではなく土葬である。それならば、ルルーシュの遺体がなくなったことで騒ぎが起こることもない。


結局、ルルーシュは幽閉されていた少年皇帝の双子の弟ということで、落ち着いた。
ブリタニアの与えられた離宮で、ルルーシュは日常を過ごし始めた。
ナナリーが皇帝に即位するのを推したのも、ルルーシュであった。決心のつかずにいるナナリーに、皇帝になるべきだとルルーシュは彼女を優しく説き伏せた。
スザクとは、まだ会っていない。いずれ、近いうちに会うだろう。

離宮で、今日もルルーシュは白馬にまたがり、広大な庭を散歩する。後ろから、慣れた手さばきで葦毛の馬に乗ったC.C.がついてくる。
「今日も、いい景色だな」
「本当に、そうだな」
目の前に広がる青空を見上げて、ルルーシュはアメジストの瞳を瞬かせた。
C.C.は、最初こそ放浪の旅に出ていたのだが、離宮から離れることのないルルーシュを気遣って最近はずっと一緒にいる。
「生きていて、すばらしいと思うだろう」
C.C.の問いかけに、ルルーシュが馬首をめぐらす。
「世界は、ルルーシュの思うとおりに動いている。もう、ルルーシュが魔王になる必要はない」
「そうだな。ナナリーも、皇帝としてとても頼もしい存在になった。未だによく俺のところに力を求めにくるけれど、ナナリーの力になるのであればそれもいい」

「ハッ!」
馬に鞭をいれて、一気に丘を駆け上がった。そして、白い花咲き乱れる場所に出る。
「この白い花、ルルーシュの棺にいれてあったものだ」
「そうか」
「コードを継承したことを、悔いているか?」
「いいや。C.C.と同じ時間を生きるのなら、それも悪くはない。それに、世界では俺はとうの昔に死んだことになっているしな。今度、旅にでも出てみようか」
ルルーシュの言葉に、C.C.の金色の瞳が不思議な輝きを灯した。
「魔王ルルーシュだと、ばれたりはしないか?」
「平気さ。魔王ルルーシュは死んだんだと、人々は思っている。例え姿を見られても、とてもよく似た人物だと思われるだけだ。いざとなれば、ギアスの力を使う」
「全く、生き返ってもお前は変わらないな。魔女と魔王の旅か。それも悪くはないな」

ザァァァァ。

風が吹いて、馬から降りたルルーシュとC.C.の間を駆け抜けた。
白い花びらが、雨のように二人に降り注ぐ。
「なぁ、ルルーシュ。愛しているよ」
「俺も愛している」



甘い言葉は、白い花びらと一緒に風にさらわれていった。