夏の季節のとある日。 その大きな屋敷の庭のそこかしかに植えられているのは梅の木。 季節がくれば梅花であふれるであろう風情。 朽木百哉が、その木を植えさせた。 立派な松の木などを他の場所にどかして、自分の部屋から眺めれる庭の一面に梅の木を。 甘い梅香漂うその季節、彼は最も慈しみ愛していた人と永遠に別れた。 瞼を閉じればまだ脳裏にいくらでも蘇るその姿、形、声。 失って、まだ数年である。 屋敷の給仕らや執事役である爺などは、世継ぎをもうけるために然るべき貴族の令嬢との結婚をと、進言したこともある。 そもそも、朽木家に貴族以外の血をいれたとして周囲の反対を全く無視して結婚したのだ。 幸せだった。 人並みの感情をやっと手に入れた。 これが恋というものなのだと妻に説いてもらった。 亡くなった彼女の名は緋真(ひさな)。出会ったのは流魂街。 その時はまさか彼女を妻に迎えることになろうとは全く予期すらしていなかった。 出会いは出会いを呼び、磁石のように惹かれあって何度も遭う。 やがて逢瀬。 朽木の絶対の理である朽木家に貴族以外の者を入れないという規約を破った。 絶対に、これ以上は破らぬと誓うが、緋真が身罷り、その遺言に見捨てた実の妹がいて、その子を百哉に兄と呼ばせてやって欲しいと。 ただ一つの純粋な願い。 逡巡はなかった。 ルキアという名前の、緋真まさに瓜二つの娘はすぐに見つかった。 死神となるべく学院に通っていたのである。 見つけるのに流魂街を探し回らねばならぬと思っていた彼には、こんなに身近な場所にルキアがいたのも緋真の導きのように思えた。 養子として、朽木家にくること。 ルキア本人とは、正式に朽木家の養子の承諾を得て、儀式を行うその日に初めて出会った。 養子縁組の話や探し回らすのは全て屋敷の使用人にやらせていた。 また流魂街出身の貴族ではない娘を朽木家に迎え入れるのかと反対の声は大きかった。 しかし現当主は朽木百哉に他ならない。 妻として緋真を迎え入れたと同様に、大いなる権力というものを誇示した。 「そなたが、ルキアか。これからは、朽木ルキアと名乗るがよい」 とても不安そうな表情で落ち着きのないルキアに、静かに語りかける。 そこには緋真の面影が大きすぎて、思わず緋真と叫びそうになるのを必死で堪えた。 彼女はもうこの世にいないのだから。 そして、約束通りルキアを養女として妹として迎え入れた。 ぎこちなくではあったが、本当の妹のように、いや、真に実の妹としてルキアと接した。 藍染の企みでルキアが極刑になりかけ、命を奪われそうになったとき。 裏の真実を知らず、これが最後だからと父と母、亡き祖父の墓前に誓った朽木家の仕来りを破らぬという掟に従っていた。 盲目的に。 結果、ルキアは救い出され、ルキア極刑の幕は終わりを告げた。 そこで、彼はまた変わった。 以前のようにどこかよそよそしい接し方ではなくなった。 ルキアに、妻であった緋真の実の妹であると告げてから。 「ルキア。ルキアはおらぬか」 屋敷の座敷で、百哉はまだ療養中の身であるルキアを探していた。百哉自身も深い傷を負ってまだ療養中であり、自宅待機を任命されている。 ルキアのことは自由にさせてはいるものの、まだ外出はなるべく控えさせている。それほど遠くにはいっていないだろうが、なにせ屋敷が広すぎて霊圧を探るほうが近い。 そして、百哉自身の部屋にいると分かり、百哉はすぐ様移動した。 ハラハラハラハラ。 白い花弁が散っている。 漂うのは梅香の甘い香り。 廊下に、ルキアは着物姿で座って泣いていた。 「ルキア、どうしたのだ。それにこれは一体…」 「兄様……」 涙を拭う事もせずに、ただ透明な雫を頬に流しながらルキアは微笑する。 「技術開発局の方に、頼んで作って貰ったのです。花を咲かせる薬を…。この見事な梅の花を、季節はまだ先ですが、咲いているのをどうしても兄様に見せたくて」 「ルキア」 ハラハラハラ。 流れる風に沿って花弁は散っていく。 白い白い白い。 甘い梅香の芳香に酔う。 ルキアが着ているのは、緋真が着ていた着物だ。 新しく数え切れぬほどの着物を作ってやったというのに、何故か今日だけその着物を選んで着ていた。 緋真の名前のように、紅い着物。 舞い散る花びらは白。 百哉の瞳が揺れる。 「百哉様」 ルキアが、微笑んだ。 まるで何かに取り付かれたかのように白く細い腕を伸ばす。その先は百哉の影。 「緋真…?」 その姿は、正しく失った妻の面影。 その腕をとると、ルキアは百哉の背に腕を回した。 耳元で、再度、百哉様と囁く。 「いや、ルキア、そのような真似はしなくてよい。私には不要だ。私には、今はお前がいる」 「兄様」 満たされていくこの気持ちはなんだろう。 言葉に表せない。 「兄様、私はこれからもずっと、兄様の妹です。そして姉様の妹です」 梅が飲み込む。 過去をさらって、ただ現在を。 時がとまったような至福。 ルキアに、そういわれて百哉はルキアを抱きしめていた。 「一つだけ、我侭を言っていいか」 「兄様の言うことなら、例えこの命さえも喜んでさしあげましょう」 「緋真、愛している。ルキア、愛している。これからも共に」 「兄様」 ぎゅっと強く抱きしめられる。 こんなに、強くそして長いこと抱きしめられるのは初めてかもしれない。 ルキアは黙って、百哉の髪を手で梳いていた。 絹のように滑らかな黒髪が、サラサラと音を立てる。 いつまでも、こうしていたかった。 が、静寂を破ったのは恋次の叫び声だった。 「ぎゃあああああああああああ、隊長がついにルキアに手を出したああああああああああ」 「「うるさい!!!」」 ルキアと百哉は先ほどまでの雰囲気はどこへやら、不意に現れた恋次の顔にルキアが蹴りを、百哉が鳩尾に拳をお見舞いする。 「すまぬ、ルキア。恋次に仕事を言いつけるために私の部屋にくるように言っていたのを忘れていた」 「いえ、兄様私こそ。勝手に庭の梅を咲かせてしまったりして」 兄妹二人は、伸びた恋次の襟首を引き釣りながら百哉の部屋を後にした。 梅の花は、ほどなくしてすぐに全て散ってしまったという。 |