この閉ざされた世界で「聖女降臨」







「ライル、ライル、ライル!!」
「只今、ティエリア・・・・」
ニールがいなくなって半月後、廓に帰国したライルがやってきた。
ティエリアが吉原に売られたと聞いて、いてもたってもいられずにやってきたのだ。
「ニールが!」
「兄さんが?」
「ライル、知ってたの?ニールのこと」
「ああ。全部、父さんから聞いたよ。そうか・・・・兄さんが・・・」
ティエリアは、今までの全てのことを話した。無論、自分が花魁として体を売ってきたことも。
「もう、大丈夫だから。絶対に、ティエリアを身請けしてみせる。父さんを説得させて」
「うん、ライル、ライル・・・ずっと待ってたの!」
ティエリアは、泣き続けた。
ライルは、その日からティエリアの部屋にあがるようになった。無論、代金を払って。
毎日、他の男に抱かれることがないようにと、ティエリアの側にいてくれた。

「この簪は?ピアスも・・・随分、安物だね」
「これは、ニールが・・・」
「ティエリア、もしかして、兄さんのことが」
「言わないで!!」
ティエリアは、首を振った。それきり、ライルもニールのことは言わなかった。
ティエリアが吉原に売られたのは、自分のせいでもあると思っているライルは、本当に毎日やってきて、いなくなってしまったニールのようにティエリアを守ってくれた。
「ほら、この簪・・・その簪もいいけど、たまには新しいのも、いいだろう?」
「ありがとう・・・・」
ティエリアは、ライルがくれた金細工の簪を、ニールの簪を外すことなく、反対側につけた。
「よく、似合ってる」
「うん・・・・ずっと、いてね。そして、私を身請けして」
「するさ、必ず。ティエリアを守ってみせる。父さんと今揉めてるんだ。いざとなったら、勘当されてもティエリアを身請けする。でも、まとまった金額がいるから。その準備中なんだ」
「うん。信じてる・・・・・」
ティエリアは、ライルにキスされる。そして、目を見開くが、すぐに閉じて深いキスをした。
「ああ・・・・」
「綺麗だ、ティエリア。どこも汚れてなんかいないぜ」
「うん・・・ライル・・・・」
その夜、ライルは始めてティエリアを抱いた。
「必ず、身請けするから」
「うん、信じてる」
二人は、その日はそれで別れた。

「姐さん!起きちゃだめだよ!!」
「でも、稼がないと借金が・・・せめて下働きしないと」
「姐さんの借金は、私が貰ったから」
「ティエリア・・・ああああ本当に、ごめんなさい」
花柳病にかかって、倒れてしまった娼妓の面倒を、ティエリアはよく見ていた。
高名な医者を呼び、普通では治らない花柳病を治せるという治癒術士も、自分の追加借金で呼んで、姐娼妓は治る、はずだった。
「これは・・・たちの悪い、変異性の梅毒ですな。残念ながら、今の医学も、治癒術をもってしても・・・」
「そんな・・・・」
「いいんだよ、ティエリア。いいんだよ。あんたを苛めてたばちがあたったのさ」
「そんなことないよ、さくら姐さん!また、桜一緒に見に行くって約束したじゃないか!」
「そうだね・・・また、見にいけたらいいね」

ライルが通ってくれる一方で、さくらという名の娼妓は、日に日にやつれ、ついには秘部が爛れて悪臭まで放つようになってきた。
これが、苦界に入った娼妓の末路の一つ。
借金を返済し終わる前に花柳病(性病のこと)にかかって、死んでしまう。
ティエリアは、誰もが嫌がるさくらの世話をし続けた。
そして、ある日カミソリをもちだして、さくらを驚かせた。
「何しようってんだい?私を、楽にしてくれるのかい?」
「アーデ一族に伝わる秘薬。それは、中性の血・・・右目から滴る血は、万病に効くという。その血を飲めば、もしかしたら姐さんも」
「やめとくれ!あたしなんかのために、その綺麗な顔に傷つけるってのかい!あたしはもう十分だよ、お前に世話になったし、借金まで背負ってもらって、おまけに残った家族に仕送りしてくれたそうじゃないか。しかも相当な金額を。あたしゃ、もういいんだよ」
「だめだよ、さくら姐さん!生きるんだ!生きて、そして吉原を出るんだ!!私も、ライルと一緒に吉原を出るって決まってるから!姐さんも、姐さんも!!」
ティエリアは、カミソリを逡巡することなくなんと顔にあてて、右目に思い切り傷をつけた。
「あああ、なんてことするんだい!美しい顔に、傷が、傷が!!」
震えるさくらをゆっくりと起こして、滴る血を飲ませる。
すると、ぽうっと、蒼い光がさくらを包んだ。
「嘘・・・体が・・・・治ってる?あそこも、爛れてない!」
「良かっ・・・・た・・・」
そのまま、ティエリアは倒れてしまった。
顔には酷い傷。絶対に傷が残るだろう。
「誰か、きておくれ、ティエリアが、ティエリアが!!」
さくらの響きは、廓中に響き渡った。

「やらかしてくれたな、ティエリア。お前の美しい顔が台無しじゃないか。どうするつもりなんだい」
「旦那様。私は、ライルに身請けしてもらうんです。それに、この怪我も大丈夫です。治りますから」
「治る?そんな深い傷で、右目を摘出されていながら?」
「はい。私は、お上の抱えるアーデ家の中性なんです」
「アーデ家の・・・・もういい、今は養生しなさい。寝ておいで」
「はい」

ティエリアは部屋に戻され、痛々しい包帯を取り替えられた時、目を覚ました。
「ライル・・・」
「無茶をしちゃいけない。たとえティエリアがどんな姿になろうと、俺はティエリアを愛しているよ」
「はい・・・・ライル」
ティエリアが言った通り、なんと右目は再生し、傷は跡形もなく消えてしまった。
吉原の聖女と名高いティエリアは、花柳病の娼妓を救った一件が広まり、伝説の聖女降臨とまで歌われるようになっていた。
伝説の聖女。その名は、ジブリール。6枚の翼をもつ、天使であったそうだ。
この世界に現れ、たくさんの奇跡を起こして、そして忽然と去ってしまった聖女。
「ジブリール様が、吉原に再臨された!ありがたや、ありがたや」
ティエリアの背中に翼なんてないし、天使でもない。
でも、その美しさと己の命も顧みない優しさ、誰をも包み込む慈愛はまるで聖女ジブリール。

ティエリアの姿を一目見ようと、廓に押しかけてくる者があとを絶たない。
廓の主人は、久しぶりにティエリアに花魁道中をさせた。
「あれが吉原の聖女様か。美しいなぁ」
「なんでも、もうすぐ身請けされるそうだぞ」
「それは残念だ。吉原にずっといてくださればいいのに」
「アーデ一族の中性さまだそうだ」

噂は、お上の耳にまで及んでいた。


NEXT