血と聖水ウィンド「聖域」







「なんたることだ・・・・皇帝陛下が、ヴァンパイアに取り付かれていたなんて!」
まさしく一大事であった。
聖なる魔法を受けたとはいえ、皇帝の意識はすぐには回復せず、医師が呼ばれて慌しくなった。

空間転移したヴェルゴールの気配は、浮遊大陸エアードの外で分からなくなった。
空間転移をされると、気配を探ることもままならなくなる。
ロックオンは、追わなかった。
ユグドラシルの聖剣は、セラフィス一族に受けつがれたものであり、使う者を選ぶ。セラフィス以外は使いこなせないとされている。天使のように清らかなセラフィス一族の、さらに上位存在である皇帝のみが所持し、使うことを許された世界でもいくつかある聖剣でも由緒正しきものだ。

「私は・・・・・ネイ殿」
寝室で気づいたムーンリル皇帝は、すぐにベッドから起き上がって、ふらつく足で室内にいたロックオンに跪いた。
王者が王者に跪くとは。ロックオンも吃驚する。
「おいおい、いいって。まだ寝てなきゃ!」
「しかし!よりによってヴェルゴールなどに寄生され、ネイ殿の抹殺を企むなど・・・・・」
「あなたが悪いんじゃありません」
ティエリアが、肩をかしてムーンリル皇帝をベッドに再び寝かせる。
「すみません。皇帝たる私がなんという失態を」
「兄上様!兄上様が生きているだけで、私はよいのです!!」
「そうだよ、ムーンリル。君は何も悪くないのだから」
宰相であり、兄であるムーンリーザが、ムーンリル皇帝を優しく抱きしめた。
ムーンリラ皇女も、涙をぼろぼろ流して実の兄に抱きつく。
皇女と同じくらいに細い肢体。ムーンリル皇帝は、本来なら女性の位置にいるはずの両性具有であるが、セラフィスの皇帝は男性のみとされているため、生まれてすぐに両性具有であったが、男性ということにされ、教育も全て衣服から何もかも男性のものを与えられてきた。
先代皇帝・ムーンシュレダー皇帝は、特にこの少年皇帝と今は呼ばれるムーンリル皇子を溺愛した。
正妻から生まれたのは宰相のムーンリーザ皇子。側室から生まれたのが、ムーンリラ皇女。ムーンリル皇子は、あろうことか先代皇帝が神殿に使える両性具有の巫女を我が物にして産ませた私生児であった。
すぐに皇子とされ、両性具有の子はその子も両性具有となる確率が極めて高いため、生まれてきたムーンリル皇子も両性具有であった。皇位継承権を生まれながらに持たぬ皇子。両性具有は神殿で巫女や聖職者になるしかなく、神の子とされ、どの種族であっても王族や皇族に生まれれば継承権はもたない。
巫女は先代皇帝を怨み若いまま死に、彼女を溺愛していた先代皇帝は、代わりのようにいつも側にムーンリル皇帝を置いて可愛がった。
「ばちが・・・・あたったのでしょう。先代皇帝を殺したばちが」
「何をいうの、兄上様!あれは事故よ!!」
「そうだよ、ムーンリル」
あろうことか、先代皇帝は実の子であるムーンリル皇帝を溺愛するあまり、その体に手を出した。美しすぎるのが両性具有や中性の特徴である。最初は何をされているのか分かっていなかったムーンリル皇帝であった。壊れている皇子とまでいわれるほど、先天的に脳に欠陥があり、自分のことや周囲のことを認識できない子であった。兄であるムーンリーザが、父親が両性具有の弟を手篭めにしていることを知り、家臣として諌めたのだ。
怒りをかい、正妻の子でありながら宰相のムーンリーザ皇子は皇位継承権を剥奪される。
自分が実の父に汚されていると認識しはじめた時、皇帝の翼に封印されていたはずのユグドラシルの聖剣がムーンリル皇帝の翼に移り、そして実体化して自分の上に圧し掛かっていた父親を、その聖剣は心臓ごと貫いていた。
全ては事故として処理された。
皇位は宰相のムーンリーザ皇子が皇位継承者に復帰したためにつぐはずであったが、先代皇帝はどこまでもムーンリル皇帝を支配するかのように、遺言で皇位継承権をもたぬ皇子を皇帝にした。
でも、それがムーンリルにとっては救いであった。皇帝となったことで先天的な脳の欠陥を癒すため聖域、ユグドラシルの樹と会うことができ、世界樹によってムーンリルは癒され、正常になりそして過去のことも過去のことと割り切れる強さを与えられた。先代皇帝がいた頃は、ムーンリル皇帝は壊れているからこそ意のままにできす存在であり、先天的な欠陥がなおるとまるで皇子時代の頃が嘘のように聡明さをたたえた皇帝となり、宰相となった兄とそして妹に支えられ、セラフィス一族を統治していた。
エアード大陸に、世界樹ユグドラシルは存在する。もともと地上にあったのを、わざわざ浮遊大陸にうつしたのだ。セラフィスは、世界樹を管理する一族でもある。
ムーンリル皇帝から、複雑な事情を聞いて、ロックオンもティエリアもなんともいえない暗い表情だった。どこでも、王や皇帝にまつわるその裏には血なまぐさかったり醜いものがある。それを兄弟で乗り越えたムーンリル皇帝をせめることなど、二人にはできなかった。ムーンリル皇帝の心の隙間にヴェルゴールが付け入ったのだとしても。


「聖域へ・・・・ネイ殿」
セラフィス皇帝から、聖域に入ることの許可をもらい、ロックオンとティエリアは聖域に足を踏み入れる。
「これが・・・・世界樹」
「大きい」
世界樹は、とても大きかった。
普通の樹の10倍以上はあるだろうか。創造の神々が作った命の源なる樹。
魂は一度世界樹で安らぎ再び転生の輪に入ると信じられている。
(ネイ・・・・・ネイ・・・・記憶しましょう)
世界樹の優しい母の声が二人を包んだ。
二人は、ずっと長い間その場所にいるような錯覚を覚えた。
(未来は、変えれます。そう、変えれるのです。神も人もみな協和して生きていく世界。それが、この世界)
それきり、世界樹の声は聞こえなくなった。
二人は、いつまでも世界樹の緑の葉を見上げていた。
聖域で一日を過ごし、二人はリエットとウエマと共に帰還することになった。
ムーンリル皇帝とその兄弟たちに華やかに見送られて。

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