硝子細工の小鳥「僕はあなたを愛している」







「ジャボテンダーさん置いてきちゃった。早く会いに戻らないと。ねぇ、ロックオン、早く帰ろう?みんな心配してる」
表情も幼くなる。どれも、以前のティエリアと変わらない。
何もなかった、ということにして、やっていけというのか。CBは。ドクター・モレノとミス・スメラギしか「ティエリア」が交代したことは知らない。
「なぁ、ティエリア」
「なぁに?」
「これ、なんだが分かるか?」
「何、これ。絵本?知らない」
ティエリアがとても欲しがっていた絵本を、「ティエリア」はいらないといった風に、興味もなさげに押しのけた。
「じゃあ、ジャボテンダー体操って知ってる?」
「何それ。知らない」
ロックオンの瞳から、いくつもの涙が溢れ出す。
「ロックオン、哀しいの?泣かないで。いやだ、ロックオン。ねぇ、どうしたの」
目の前のティエリアはティエリアなのだ。そう、一定期間までは、ほぼ99%同じなのだ。
でも100%にはならない。
あんなに毎日、ジャボテンダー体操をしていたのに、この目の前のティエリアは知らないという。

そのまま、ティエリアとロックオンはトレミーに帰還した。
そのまま、何事もなかったかのように日常がはじまる。
でも、ロックオンは終始暗い顔をしていた。傍にティエリアがいるのに。

そして、ある日ロックオンはティエリアを抱きしめて、謝った。
「ごめんな。愛してるよ」
何度も何度も謝った。ロックオンは泣いていた。ティエリアの私物を勝手にまとめたロックオンに、「ティエリア」は泣き出した。だってそうだろう、一定期間までは記憶を共有しているということは、目覚める前はその記憶が全てだったのだ。目の前にいるティエリアには、今いるロックオンが全てだったのだ。
この数日だって、一緒に過ごしたティエリアは以前となんら変わらない。
そのティエリアから、「愛の証」の全てを取り上げようとしている自分に、ロックオンは本当に自分を呪った。
「僕を捨てるの、ロックオン。あなたがいないと、僕は生きて生けないのに。記憶の共有は、僕の記憶そのもの。あなたが愛してくれたことはちゃんと覚えてるのに。こんなにも愛してるのに・・・・だめなの。誕生日の日に、あなたからガーネットをもらった。結婚の約束だってした。ペアリングだって買った。・・・・あ」
それに気づいて、ティエリアは泣きじゃくった。
ティエリアの指には、ロックオンと対になるエメラルドの指輪は嵌っていなかったのだ。
そう、ないのだ。
かつて「ティエリア・アーデだった者」がはめたままだ。
「そう・・・思い出した。僕は、スペアだったんだ」
自分を守るために、「ティエリア」は自分が「ティエリア・アーデだった者」の代わりであるという記憶を封印していたのだ。そうでなければ、ティエリアという繊細な感情を持った人間は存在できない。

「僕は・・・・僕は。ひっく、ひっく」
ティエリアはロックオンの腕の中で涙を零す。
「僕は・・・・・あなたを支えれると思った。貴方を愛していける自信もあった。でも、あなたにはあなたが愛したティエリアがいる。僕のものにはならない。どうして・・・ねぇ、どうして僕を目覚めさせたの!僕、こんな想いしたくないよ!いやだよ、ロックオンいかないで!ねぇ、いやだよ!!こんなにも愛してるのに!あなたが僕を人間にしてくれたのに!あなたが僕に愛という素晴らしさを教えてくれたのに!あなたがいるから僕がいるのに!いやだよ、ロックオン、ロックオン!!」
縋りついてくるティエリアを、ロックオンはただ抱きしめる。
ロックオンも、涙が止まらなかった。
この「ティエリア」が本当に真っ白な、新しいティエリアであれば別れになんの苦労もせずにすんだだろう。ティエリアの性格から、いつまでも昔の恋人を思ってばかりで戦闘にミスを出すような者は万死に値する、ガンダムマイスター失格だと罵っただろう。
でも違うのだ、このティエリアは。
そう、記憶の共有により、それまでの一定期間のティエリアの記憶を全てもっている。
99%ティエリアなのだ。ロックオンが愛したティエリアなのだ。
でも、100%には到達しない。
だって、ロックオンが愛したティエリア・アーデは別に存在するから。
「ひっく、ひっく、愛してる、愛してるのに。こんなに愛してるのに、僕じゃだめなんだ。僕は、目覚めたくなかった。眠ったままでいたかった。いやだ、いやだ・・・・」
「ほんとにごめん、な」
ロックオンは、精神的ショックで気絶したティエリアを抱き上げると、ドクター・モレノの診察室に急いで連れていった。

「こうなる予感はしていたんだ。ティエリアは強く見えて、精神的に脆いからな」
ドクター・モレノはティエリアを治療カプセルに入れた。
「お前がいないままだと、立ち直れないだろう。以前の記憶を消去する。本当に人間じゃないんだな、ティエリアは。記憶の共有とか消去とか。人間のいいように扱われて・・・・かわいそうに」
ドクター・モレノは治療カプセルの中で、眠りにつくティエリアを見つめる。
「ティエリア、ほら、お前の好きなジャボテンダーさんだぞ。・・・・・まさか、それももっていくつもりか?」
ドクター・モレノは気づいていた。ロックオンが、このまま新しいティエリアとトレミーでやっていく気がないことに。愛しい相手の下に戻るであろうことに。
「・・・・・・いや、このジャボテンダーは置いていく。新しいのを買うつもりだ」
「そうしてやってくれ。以前の記憶を消すといっても、ヴェーダが与えた記憶をだ。ヴェーダは「愛」という感情を重要視してこのティエリアに記憶を与えていた。それを消すんだ。まっさらになるわけじゃあない。ジャボテンダーが好きなことには変わりないし、ロックオンと仲が良かったという記憶も残るだろう。刹那とアレルヤや他のクルーのことも、無論ガンダムの操縦の仕方だって覚えているはずだ」
「ごめんな、ティエリア。愛してるよ。お前さんが・・・まっさらだったら、こんな哀しいことにならなかったのに。愛してるよ。愛って残酷だな。俺はお前さんを選べないんだ。ごめんな」
治療カプセルにはりついて、ロックオンは眠り続けるティエリアに何度も謝った。

愛とは──
愛とはなんだ?
愛とは無限ではないのか────
何故、こんな愛が存在する。
何故、ここまで残酷な愛がある。

人は愛する感情を手に入れた──けれど、必ずしも幸せにはならない。
どうか、この小鳥のように傷つき、ロックオンが自分からその翼を手折った天使が、もう一度羽ばたかんことを。その翼が散ってしまっていないことを、祈ろう。

愛とは──悲哀と憎悪と紙一重の存在である。


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