青春白書1







「刹那。起きてるか?」
同じ家の同居人に、ティエリアは声をかける。
刹那はというと、椅子に座って机にノートと科学の教科書を開いたまま、その上から手を置いて寝ていた。
「刹那、刹那」
声をかけるが、起きる気配はない。
「全く、仕方ないな」
ティエリアは自分が着ていたストールを刹那の肩にかける。

今日の宿題に出された科学の教科書を開くと、ティエリアは5分もしないうちに終えてしまった。
学校内でもIQ180をこえる知能の天才として名高いティエリアは将来が有望視されている。
難関の大学に進むだろうと、進路指導の先生も楽しみにしているようだ。実際に、進路志望で提出した大学の名前は国内でもTOPの大学だ。
だが、ティエリアにとってそれはあくまでも、周囲を納得させるための「答え」だった。
実際に行く大学とは違う。そのうち、進路指導の先生と相談することになるだろう。周囲は納得しないかもしれないが、どこの大学にいくのもティエリアの自由だ。刹那と同じ大学に行こうと思っている。
まぁ、まだ先の話だ。

ティエリアと刹那は寮に入らなかった。
ティエリアには実の両親はいない。刹那にはいる。刹那は高校に入って親の元を離れて一人暮らしをはじめるはずだった。遅かれ早かれ、大学に進めば一人暮らしをして独立することが決まっていた。
ティエリアは、居候だ。もう一人、居候がいる。アレルヤという名の、二十歳になる大学生だ。ティエリアの遠い親戚にあたる。
ティエリアは施設暮らしをしていたわけでもない。従兄弟にあたるリジェネの両親に育てられた。一緒に育ったリジェネも、同じ高校に進んでいる。
リジェネを溺愛していた両親は、リジェネよりも出来のよいティエリアを疎んだ。実際、虐待されていた。ネグレクトが基本だったが、身体的虐待もあった。リジェネがいつも庇ってくれた。
父親は、ティエリアを異常な目で見ていた。主に虐待するのは母親で、父親はそれを放置していた。父親が、異性としてティエリアのことを見ているとリジェネから告げられた時、寒気を感じた。強姦されそうになった中学2年の春、とうとうティエリアは家を飛び出した。
幼い頃はただ愛されたいと必死になっていた。虐待されるのも、全部自分が悪いのだと思っていた。中学に入った頃から、父親の異常な視線に気づきはじめた。その頃から、ティエリアはしょっちゅう家出を繰り返すようになっていた。不良グループの仲間に入り、学校にもいかなくなった。容姿のよいティエリアを彼女にしたがる男は多かった。

ティエリアは、やがてアレルヤという名の一人暮らしをしていた遠い親戚に引き取られた。他に血縁者はいたが、ティエリアはリジェネと親友の刹那以外、誰も信用できなくなっていた。
「今日から、僕と一緒に住もうね」
優しくさし伸ばされた手を、今でも忘れたことはない。
とても優しい微笑み。頭を撫でられ、抱きしめられた。

ティエリアを前にした親戚は、なんの感情も浮かべぬティエリアにどう接すればいいのか分からず、また虐待されていたということを知っていたせいでまるで腫れ物にでも触るように扱ってきた。
どうでもよかった。一人で生きていく力が欲しいと思った。親戚の中で引き取りたいと声を出す者は、ティエリアがIQ180を持っているということを知った後で声を出してきた。
ただのティエリア・アーデを愛してくれる者なんていない。そう思っていた。
アレルヤに出会うまでは。

アレルヤは本当に、父親のようだった。年齢は3つとそんなに離れてはいなかったが、兄というよりはティエリアにとっては父親だった。理想の父親。
抱きしめられた時も、最初はその頬を叩いた。それでも、アレルヤは怯まなかった。
不良グループの仲間にいたせいで、暴力を振るうことに対してなんの抵抗感もなくなっていた。不良グループのリーダーは女性だった。ティエリアを気に入り、またその容姿のせいで異性から無理やりを強制されるだろうと恐れ、庇護下に置いた。そして、リーダーだった彼女は財閥の令嬢でもあった。ティエリアは、彼女から自分の身を守る方法というものを教わった。ティエリアは水のように吸収していく。護身術を身につけたティエリアは、もう母親から身体的に虐待されることはなくなった。父親から強姦されそうになったときも、彼女から教わった護身術で身を守れた。
でも、同時にもうこの家にはいられないと思った。だから家を飛び出して、不良グループの仲間の家を点々として、学校にも完全に通わなくなった。

無論、世間体というものを気にする両親は無理やり連れ帰ろうとするが、その度に同じ不良グループの者が匿ってくれた。
だが、このままでいいはずもなし。まだ中学生という少女が、不良グループの男性の家に寝泊りするのを許す者などいない。不良グループの皆は、ティエリアを実の家族のように扱ってくれた。交際を申し込まれた時もあったが、断ってもまるで実の妹に接するようにしてきてくれて、ティエリアにとっての家族は大きく歪んだ形となっていた。
警察に保護されたとき、ああもう終わりなんだなと思った。

そしてアレルヤと出会う。
何度頬をぶっても、アレルヤは優しく抱きしめてくれた。
そして、ティエリアは本当に、心の底から泣いた。子供のように震えて泣き叫んだ。
アレルヤはずっと抱きしめていてくれた。
ティエリアが、アレルヤと一緒に住むことを決めたのは、その澄んだ瞳を見た時だった。
不良グループの仲間も決して悪くはなかったが、やっぱり他者に対して暴力をふるうという行為はティエリアにとっては相容れないものだった。虐待を受けてきながらも、ティエリアは決して他者に暴力を無意味に振るうことはなかった。あくまで自分を守るためだけの力だった。

「あなたは、僕を愛してくれますか。みんなみんな、見た目だけで僕を判断する。IQがいいからと、それだけで判断する。母親は最低だ。父親はもっと最低だ。でも、不良グループのみんなは確かにその存在は最低かもしれないけれど、両親とは雲泥の差だった。僕は、自分の容姿を武器にしていた。もう、そんな必要はない?ねぇ、ねぇ・・・・」
泣きながら尋ねるティエリアを抱きしめながら、アレルヤという遠い親戚な泣いていた。
「もう大丈夫だから。だから、少しづつ変わっていこう。僕と一緒に暮らしながら。愛するとも。誰よりも、君を愛するよ」

愛されたかった。
ティエリアの虚勢は、ただ愛されたかったゆえに成り立っていた。
それが崩れていく。中学2年の冬。ティエリアは、ただの少女に戻った。

不良グループから抜けた。手紙でのやり取りもあるし、携帯電話で話たり、会って笑いあって帰ることだってある。完全に、抜けたというわけではない。だって、それまでティエリアをずっと守ってくれた彼ら。友人だと思っている。今までのように、誰かの家に寝泊りしたり夜を遊び歩いたりすることはなくなった。
する必要がなくなった。不良グループの皆は、ティエリアが事情を説明すると、自分のことのように泣いてティエリアを抱きしめ、いつでも会えるからと、泣きあった後に最後は笑顔で別れを告げた。
 



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