それが、たとえ禁忌でも「開かれたエデンへの扉」







ティエリアは夢をみていた。
夢の中で、少女の姿をした天使が繰り返すのだ。
「三日間だけ、奇跡を起こしてあげる。でも、忘れないで。三日間だけよ。それ以上は無理なの。三日間を過ぎると、あの人の魂は消えてしまうわ。だから、三日間だけ」
「どういう意味なんだ?」
ティエリアが少女の姿をした天使に問いかける。
「薄々、もう気づいているでしょう?あなたの願いを、三日間だけかなえてあげるといったの。あなたの願いは一つだけ。最愛の人と、もう一度会うこと。違う?」
天使の言葉に、ティエリアは絶句した。
確かに、何度も会いたいと願った。
だが、現実には不可能なのだ、そんなことは。
天使が笑う。
「地上の天使。あなたは、私たちと同類なのよ、本当は。こうなる前に、迎えにいけばよかった。でも、あなたは人間として生きる道を選んだ。あなたのことはずっと見ていたの。その悲しみも、寂しさも、私には感じる。あなたの唄は、大切な人をなくしてからさらに綺麗になった。まるで、レクイエム」
少女が歩く。
「あなたの唄は、ずっとあなたの大切な人に届いていたわ。いつもいつも。私も、あなたの唄に惚れてしまった。
そして、私は禁忌であるエデンへの扉を開けてしまった。あなたはイヴよ。禁忌の木の実はないけれど、アダムと仲良く限られた時間を過ごしなさい。エデンへの扉は、私たちが三日間だけ開き続けているから。エデンへの扉を開かないと、あなたの願いはかなえられない。さぁ、時間がどんどん減ってしまうわ。目覚めて」
幼い少女の姿が、いきなり成長した。
白い衣装に身を包み、背に六枚の翼を持っている。石榴色の瞳をして、ドッペルゲンガーではないが、その非の打ち所のない美貌は、どこかティエリアに似ていた。
「地上の天使。目覚めるのだ。また、綺麗な歌声を聞かせてくれ」
綺麗な声だった。少女のように美しいが、着ている服は体のラインを浮き彫りにするような服だった。繊細な金糸銀糸の刺繍が施されている。その体に、胸はなかった。
六枚の翼をもつのは、天使の階級でも一番上に位置するセラフィムだと、ティエリアは思い出した。
自分の機体のガンダムであるセラヴィは、天使のテラフィムからつけられたものだ。
「さぁ、早く目覚めるのだ、イヴよ。アダムが待っている」


うっすらと、目を開ける。
ティエリアは、部屋を見回した。
どこかで見たことのある部屋だ。そして、何枚も毛布にくるまれた自分が裸であることに気づき、頬を紅くしてティエリアはまた毛布にくるまった。

そうだ。
思い出した。
ここは、ロックオンは生まれた実家だった。
人が生活している匂いがする。
キッチンからは、シチューを似るコトコトという音がかすかに耳に届いた。
ティエリアは、頭痛のする頭に手をやった。
死んだにしては、やけにリアルだ。
天国とは、こういう場所なのだろうか。いや、それとも地獄か?
ロックオンの墓の前で、雪に埋もれたまま凍死したはずであった。
それなのに、なぜロックオンの実家にいるのだ。
手に握り締められていた鍵はそのままだ。

ティエリアは、夢を思い出した。もう断片的なものになっていて、全部を思い出すことができない。
ただ、声だけを覚えていた。
三日だけという言葉と、エデンへの扉は開かれたという言葉だけ覚えている。
何が、三日だけで、エデンの扉が開かれたというのだろうか。
よく分からなかった。
壊れて狂ってしまったにしては、やけにリアルだ。死に損なったのか。
そんなことを考えているうちに、毛布をするりと脱いで、ティエリアは自分の胸の鼓動を確かめた。トクン、トクンとそこは鼓動を刻んでいる。

「はははははは」
ティエリアは笑った。
笑いながら、涙を溢れさせた。
自分は、生きている。
また、あの人の元にいけなかった。
せっかく、今度こそ死ねると思ったのに。

ティエリアは、自分を助けた相手に文句を言おうと決心した。
「どこにいるんですか。どうして、僕をあのまま死なせてくれなかったんですか。いるんでしょう、ライル?」
家は静まりかえっていた。
「僕に構うなとあれほど言ったはずです。あなたには、あなたの幸福がある。僕に関わって、不幸になる必要はありません。今からでも遅くはない、僕を一人にしてくれませんか」
ふわりと、暖かな懐かしい温もりに包まれた。
無性の体を隠すように、毛布にくるまれる。
「ライル!」
泣きながら振り返った先にあったのは、優しいエメラルドの瞳だった。
どんなに、その瞳をもう一度みたいと願っただろう。
何年間も求め続けた、エメラルドの瞳。
優しい、優しい、どこまでも包み込んでくるように、とても優しい。
ティエリアは嗚咽を漏らした。
「ロックオンの真似は止めてください。もう、これ以上僕を傷つけないでください。ロックオンと僕の思い出を、汚すような真似は止めてください。あなたらしくないです、ライル」
手が伸びて、ティエリアの頬を包み込んだ。
そのまま、狂おしいほどに胸に抱き抱かれる。
涙が、溢れて止まらない。

ピロリロ〜。
ティエリアの携帯がなった。ティエリアは抱き込んでくる相手を無視して、携帯の画面を見る。
ライルからのメールだった。
(大丈夫か?アイルランドに行くって聞いたけど、心配だ。今からでも、アイルランドにむけて出発することにする。ティエリアを一人にしたくない。まだ、俺はティエリアを愛している)
涙が溢れた。
ついに、自分は壊れて狂ってしまったのだ。
ライルから今メールが届いたということは、ライルはまだ住んでいるスイスにいるのだろう。
自分を抱きこんできた相手は、メールを打ってはいなかった。
ティエリアは、携帯にメールを打ち込んだ。
(一人にしてください。僕はもういいんです)
その文章を打つのが精一杯だった。

「ははは、あはははは。僕は、俺は、私は、ついに壊れてしまった。狂ってしまった」

嗚咽を漏らしながら、次々と涙を溢れさせる。
なんてリアルな幻影なのだろうか。愛しい人の姿が、すぐ近くにある。
くしゃりと、頭を撫でられた。
その大きい手は、ティエリアが流す涙を拭う。拭っても拭っても、涙は溢れてくる。
「そんなに泣きなさんな。こっちまで哀しくなる」
「もう、幻影でもかまわない。ロックオン、愛しています。ずっと、会いたかった」
「ああ、俺もだ。ずっと、ティエリアに触りたかった」
二人は抱きしめあった。
ロックオンの存在を確かめるように、ティエリアの長い桜色の爪をもった綺麗な手が、ロックオンの輪郭を確かめる。
「そのチョーカー、まだ身につけててくれたんだな。俺が買ったやつだ。ティエリアの目は、刹那のような真紅のルビーではなく、ガーネットだ。だから、ガーネットのついたチョーカーを買った。誕生日には、ガーネットそのものを贈ったな」
懐かしいように、思い出す。
「ロックオン?」
ティエリアは、涙を浮かべたまま首を傾げた。
ライルが、そんなことを知っているはずはない。では、目の前にいるのはロックオン、つまりはニール・ディランディそのもであるというのか。
そう思ったが、すぐにかき消した。
そんなはずはない。彼は、もう四年以上も前に死んでしまったのだから。
これは、夢だ。夢なら、永遠に覚めないで欲しい。このまま、時間が凍り付いてしまえばいいのに。
ティエリアは、体中の水分がなくなるかというほどに泣いた。
「ロックオン、愛しています。あなただだけを、ずっと愛しています」
「俺も、ティエリアだけを愛している。一人にしてすまなかった」
輪郭を、確かめる。
そして、自分の手に尖った爪を突き刺した。
「痛い。血が出てくる。どうして?」
夢なのに、なぜこんなに痛いのだろうか。溢れてくる血を、ロックオンが舐めとった。
そして、唇を重ねた。
その口付けは、確かにロックオンのものだった。
「夢じゃねぇよ。三日間だけ、ある天使が奇跡をくれたんだ。神様に逆らってまで、エデンへの扉を開いてくれた。エデンに眠っていた俺の肉体ごと、蘇らせてくれた」
「エデンへの扉は開かれた・・・夢の中で、天使がそう言っていた。これは、奇跡?本当の奇跡?」

エデンへの扉は開かれた。
天使の力によって。
生命の理を無視するように、開かれたエデンへの扉から、ティエリアの最愛の人は蘇った。
三日間だけ。
奇跡は、三日間だけだ。ティエリアは酷く体温が低くなって、体力も消耗していた。
ティエリアの服を脱がし、裸で毛布にくるまって抱きしめた。
いとおしい命が、戻ってくるようにと。
ティエリアは丸一日眠っていた。
開かれたエデンの扉は、少しずつ扉を閉ざしている。
約束の刻限まであと二日だった。



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