「絶望した」 紅茶を飲みながら、食堂でティエリアがそう言った。 隣にいた刹那が、顔を輝かせてティエリアの飲んでいた紅茶を横取りして勝手に飲む。 それに、ティエリアはなんの反感も抱かない。 「ティエリア・アーデ、もう一回言ってくれ。いつもの絶望先生ボイスで」 「絶望した」 刹那にねだられて、ティエリアは繰り返した。 綺麗なボーイソプラノではなく、声変わりした低い少年の声で、絶望したとしきりに繰り返す。 それに、刹那がときめいていた。 刹那は、CBきっての絶望先生マニアだ。原作コミックからCD、イメージサントラ、アニメDVDに到って、同人誌まで持っている。 フィギュアに声優のサインに・・・・もう、ここまでくれば止まることができないところまできていた。 俗・絶望先生のアニメは毎週かかさず見ている。無論、録画も忘れない。 絶望先生の漫画の作者がかいた、前のコミックスも無論全巻もっている。勝手に改造とかそんな題名だったなと、ティエリアは思い出した。 刹那の部屋の本棚には、同人誌ばかり並んだ本棚と、絶望先生の作者のコミックを並べた本棚の二つがあった。絶望先生には綺麗にカバーがされており、何度も読んでいるというのに本当に新品そのものであった。同じように作者の前のコミックも綺麗にカバーがされて並んでいた。 暇でどうしようもないときは、ティエリアは刹那の部屋のベッドに背を預けて、絶望先生を読んだり、刹那が通販で買いあさった同人誌を読んだりしていた。 21歳になった刹那は、もう18禁の同人誌を堂々と読むことができる。 絶望先生意外に、ガンダムOOの同人誌がところせましと本棚に並べられていた。ボーイズラブだって平気で読む。むしろ、本棚に並べられている同人誌の半数がボーイズラブであった。 昔のように絵やストーリーの良し悪しに関係なく同人誌を買いあさっていた刹那であったが、ティエリアの注意により、良い本を出すサークルの本か、無名でも通販でサンプルページを1,2ページ読んで気になった本や、よい評価を得られている本を買うようになった。 その点では、刹那は成長した。 だが、ボーイズラブでも平気でかう刹那をどう表現すればいいのだろう。 婦女子ならぬ腐男子である、刹那は。クールでかっこよいのに、こんなところで自分の評価を落としている。同じように、無性の中性体であるティエリアも平気でボーイズラブの本を読む。2次元の世界だと簡単に割り切ってしまっているティエリアは、ある意味刹那より大人だ。 ティエリアも、カテゴリに分類すれば刹那と同じ腐男子だろう。 そして、ティエリアは個人同人誌を出すくらいに絵が上手く、小説も書ける。絵も綺麗でストーリーも卓越しており、王道ジャンルの中では大手のサークルになっていた。主に、ティエリアは個人同人誌を自分の意思で出すことはしない。相方ともいえる、ミス・スメラギの命令に従って出している。 ミス・スメラギは同人誌で得られた金を、ブランドものを買いあさって消費していた。 ガンダムマイスターのように、王留美の口座をもたぬミス・スメラギには収入がなかった。 そこで、自分の絵の才能を生かし、同人誌を発行しだした。王道ジャンルで絵もストーリーも良いと評判になり、すぐに大手サークルになれた。相方はティエリアで、ティエリアに締め切りが近いときは漫画を描くこと手伝ってもらい、あるいかカットをかいてページを埋めたり、小説を依頼して書いてもらってはそれを同人誌の中に収録する。完全に、ティエリア個人に漫画を任すこともあった。ティエリアが描く絵はミス・スメラギが描く絵とは少し違ったが、画風はよく似ている。 特に表紙のカラーは全てティエリアに任せていた。ティエリアは、そのもっている能力を最大限に生かし、綺麗なCGをかき上げた。背景だって全部自分で描くし、その点ではミス・スメラギよりも上だ。ミス・スメラギはカラーのCGが苦手であった。手描きのカラーインクやコピックによる着色は得意であったし、出来栄えもイラストレーターで通るほどに綺麗であるが、何分時間がかかる。 締め切りとの格闘であるミス・スメラギには、そのカラーに費やす時間が惜しいのだ。 ティエリアも、生まれもっての才能で絵を描くことに卓越しており、カラー着色を得意としていたので、手描きのカラーも全てティエリアに任せていた。 戦術予報士としての右腕だけでなく、ティエリアは同じサークルの相方としてミス・スメラギにはなくてはならない存在だった。 ミス・スメラギが描く同人誌は、恋愛ものがほとんどで、ボーイズラブが大半をしめている。ギャグ漫画も無論かく。反対に、ティエリアが描く漫画は男女恋愛の漫画であった。ギャグ漫画も得意としている。 ミス・スメラギとティエリアのサークルは、主にボーイズラブとギャグ漫画が売りであった。男女恋愛のストーリーを描きたくなったときは、ミス・スメラギはティエリアに依頼していた。 ティエリアの描く漫画は、切なくシリアスなストーリーで、ミス・スメラギが読んでも涙をこぼしてしまうものが多かった。ほのぼのや甘甘といったジャンルのものも描ける。ただ、ティエリアは男女同士が睦み会うエッチシーンは描かなかった。小説も同じである。 内容的に入れたくなった場合は、変わりにミス・スメラギが代筆した。 ティエリアの小説の作風も分かり、ブランクがあるとはいえ、3年以上は相方をしているだけあって、ティエリアの絵とミス・スメラギの絵はとても似通った作風になっていた。絵柄は最初は違ったが、ティエリアが意図してミス・スメラギの絵柄に似せるように描き出してから、代筆でも困ることはなかった。 ボーイズラブの漫画をティエリアに依頼すれば、ほぼ完璧にしあがった原稿ができあがる。ただ、完全のエッチシーンがない。ティエリアには描けないのだ。男女であれ、ボーイズラブであれ、そういったシーンを描くことがとても苦手で、無理に描かせる素晴らしく面白い、まるで反対の利き腕で描いたような絵を長時間かけてのらりくらりと描いていく。なので、ミス・スメラギも無理にティエリアにそういったシーンを描かせない。 絵柄がとても似ているので、変わりにミス・スメラギが描いた。 ボーイズラブを描いているといっても、ヤりまくっているだけの、いわゆるやまなし意味なしオチなしの漫画はなく、ミス・スメラギの描く漫画も切ないものが多く、またはギャグであったり、ほのぼのであったりとまぁ、一般的に受けるだろうといった内容を計算して描く。 ここらへんは、戦術予報士の腕が響いているのかもしれない。 なんという、無駄な能力の使い方であろうか。 だが、二人のサークルは大手であり、その新刊を待ち望む読者も多いし、アンソロジーに呼ばれたりは何度もあって、書き下ろしを何度もかいた。プロにならないかという誘いだってあった。 ミス・スメラギはCBにいる以上、プロにはなれなかった。同じように、ティエリアも。 ただ、ティエリアは別に同人誌で食べているわけでもなく、ただの暇つぶしであるので、依頼されて小説の挿絵を描いたり、CGを描いたり、雑誌にCGの描き方やカラーイラストの描き方を提供したり、CG集を編集者側の手によって発行したりで、ある意味プロのイラストレーターに近かった。 漫画は描かないが、小説でなら過去に2、3冊ほどオリジナルで書いたことはあった。 無論、挿絵も表紙も全てティエリアが描いた。 イラストレーターと小説書きを兼ねて、プロにならないかという誘いは何度もあった。それはしつこいほどに。ティエリアの書いた小説が、思いのほか何十万部と売れてしまったからだ。 流石にアニメ化やOVA化はなかったが、作者であるティエリアの手で漫画化してほしいという意見はあった。その頃は、CBのガンダムマイスターはティエリアだけどなっており、相方であったミス・スメラギも行方不明となっていた。ティエリアは描くことも書くこともやめ、結局プロになる話は宙に浮いた上体で消えてしまった。 元々プロになる気はなかった。 ミス・スメラギはトレミーを降りた地上で、カタギリの家に同棲しながら隠れて同人誌を描いていた。お金がないからであった。生活のために同人誌を描き、CBからほぼ抜けた状態になり、未来もなにもないミス・スメラギはプロにならないかという誘いにのって、イラストレーターとして活躍した。 どうにも、オリジナルの漫画を描こうにもストーリーが浮かばなかった。 原作者つきで漫画は何冊かかいて、発行した。 ミス・スメラギという名前ではなく、プロとしての名前は「クジョウ」であった。 本名の一部だ。 プロとして活躍していたが、それほどたくさんの仕事をこなすわけでもなかった。未来を失ったミス・スメラギにはやる気というものは欠けており、ただお金をえたいために仕事をこなしていた。 カタギリの収入はたかがしれている。 大好きなブランドものを買いあされない。 連載をかかえるわけでもなく、不定期にかきおろしで原作者つきのコミックを描いた。絵が綺麗ということで、それなりに売れはしたが、原作者の話があまりよくなかったのでヒットを飛ばすことはなかった。 収入の大半は、同人誌であった。 ソロで活動するミス・スメラギに、相方の方はどうしたのですか?という質問はよくきた。そのたびに、ミス・スメラギは同人誌を止めたのだと語った。 相方の方の絵と小説がとても好きでした、戻ってきて欲しいですという声は大きかった。 その頃のミス・スメラギには、ティエリアが生きているのか死んでいるのかさえ分からなかった。 コミケなどのイベントに出ては、曖昧に笑うしかなかった。 今、相方のティエリアが傍にいる。 再びCBの中で活動を開始したミス・スメラギにもう迷いはなかった。 プロの誘いは蹴り、再び大手サークルとして二人で活動する。 ティエリアも復帰した。個人サークルとして同人誌を頼めば出してくれた。その売り上げの全てがミス・スメラギの手に渡った。ティエリアにはどうでもよかった。お金には困っていない。 ただの膨大な時間を潰すための暇つぶしという考えしか、ティエリアにはなかった。 ミス・スメラギは生活がかかっている。必死だった。 締め切りにおわれ、睡魔と闘いながら原稿を仕上げた。 「絶望した」 ティエリアが、刹那に飲まれてからになった紅茶のカップをひっくりかえし、無料の自販機の前にいってホワイトメロンソーダを入れた。 もってくると、刹那の手に奪われて、半分飲まれてしまった。 ティエリアは気にしない。 間接キスを何度もしていることになるが、それさえも日常の当たり前の風景になっていて、ティエリアはただでさえ紅茶のカップという少ない容量しか飲むことのできないカップに入れられ、半分になってしまったホワイトメロンソーダを飲んだ。 ティエリアが絶望している原因は、ミス・スメラギに依頼されて描いたボーイズブの原稿に、オロナミンCをこぼしてしまったからだ。 原稿は濡れ、黄色く染まってもう使い物にならなくなってしまった。 描きなおすしかない。どれだけの時間を費やして描いただろうか。とても苦労したのに。 描き終わった後、われながら渾身の出来栄えだと思っていたティエリアには、だって、絶望するしかないじゃないかという状態だった。 NEXT |