次の朝、ロックオンの部屋からティエリアの姿はなくなっていた。 多分、自室に戻ったんだなとロックオンは思った。 冷えてしまった温もりの後を、なぞるように手を動かす。 扉の叩く音が聞こえた。 「ロックオン、起きて、ロックオン!ティエリアが大変なんだ!」 珍しく、アレルヤの慌てた声がした。 ティエリアに何かあったのだろうか。 ロックオンは、部屋の扉のロックを解除した。 すぐに、部屋の中にアレルヤが飛び込んでくる。目には、涙まで浮かべていた。銀色の瞳に浮かんだ大粒の涙は、ポロポロと零れ落ちた。 片目の金色は、緑がかった黒髪に隠されていて見えない。 端正に整った顔が、悲しみに歪む。 「ティエリアが、ティエリアが!!」 「落ち着け、アレルヤ」 繰り返すアレルヤの頭を撫でて、涙を拭ってやった。 すると、アレルヤは涙を零す目をこすりながら、ロックオンの近くにやってきた。 ロックオンは、ティエリアにするように、優しくアレルヤを抱き寄せた。 ロックオンは、ティエリアだけでなく誰にでも平等に優しい。特に、ガンダムマイスターたちであるティエリア、刹那、アレルヤに対する態度は、他人から見れば甘やかしすぎたと怒られても仕方のない部分がある。 「ティエリアがどうしたんだ?」 アレルヤは泣き止み、そして落ち着いた。 だが、いまだに動悸は激しいし、取り乱しそうだ。 「ティエリアが倒れたのか?」 ティエリアが時折、生命回路が切れたように意識を飛ばした。 戦闘が終わった時、緊張から解放されるかのように時折意識を飛ばした。 起きたときは、決まってヴェーダとアクセスできるシステムルームにこもった。 そのヴェーダは、今はティエリアとアクセスできない。 ロックオンは、ティエリアが誰かと喧嘩したのだろうと思っていた。 アレルヤは心優しいので、ティエリアと刹那が殴りあいの喧嘩になると、言葉で止めることができず、かといって暴力で仲裁もできず、大人なのに泣いてロックオンに助けを求めた。 そこがまた、アレルヤのかわいいところでもある。 「ティエリアが大変なんだ!血を流して倒れたんだ!」 その言葉の内容に、ロックオンが立ち上がった。 「ティエリアはどこだ?」 「今、自室に閉じこもってる。一応、フェルトが一緒だよ」 「フェルトが?」 「うん。どうしてなのかわからない。でも、フェルトがこれは私にまかせてほしいって」 ロックオンは、アレルヤを連れてティエリアの部屋に向かった。 ティエリアの部屋は、かたくロックがかかっており、扉は自動では開かなかった。 「ティエリア、いるんだろう、ティエリア。部屋を開けてくれ。大丈夫なのか?」 ロックオンの言葉にティエリアの悲鳴が響いた。 「こないでください!僕は壊れている!!」 悲痛な叫び声だった。 嗚咽が聞こえる。 「ティエリア、しっかりして、ティエリア。説明したでしょう?これは、自然現象なの」 「僕にはいらない、こんなもの!!いらない!!うわあああぁぁぁぁぁーー!!」 泣き叫ぶ声が耳に痛い。 尋常ではないほどに取り乱している。 それを、フェルトが説得しようとしているようだった。 「あああぁぁぁぁぁぁ・・・・・・」 絶望の声に、ロックオンが知っていたティエリアの部屋の暗号を使って、ロックを強制的に解除した。 ただ事ではない。 何か、ありえないことがティエリアの身におきているのか。アレルヤは血を流して倒れたといっていた。もしかしたら、どこか怪我をしているのかもしれない。 ロックオンが、扉をあけてみた光景は、壮絶なものだった。いつも綺麗に整理されているティエリアの部屋がぐちゃぐちゃだ。 まるで、強盗が入ったかのような有様だ。 乱れたベッドシーツ、散乱した衣服、開けられたままのクローゼット、床に転がった日用品、倒れた本棚、部屋中に散乱した数え切れない専門書や小説。 ティエリアの鳴き声は、シャワールームから聞こえていた。 ザァザァと、シャワーの音が聞こえる。 「あ、ロックオン」 シャワールームの前で、フェルトが立っていた。 フェルトは泣いていた。あまりに取り乱したティエリアに、説得するとはっきりいった自分が恥ずかしい。どんなに声をかけても、ティエリアは泣き叫ぶだけで、自分の声さえ届いていないようだった。 ティエリアが、シャワールームの中でペタンと蹲っていた。 ザァザァと流れる湯は、シャワーから降ってくるものだ。 ティエリアは、その長く磨かれた、凶器ともいえるような爪で頬を引っ掻いていた。 いくつもの引っ掻き傷ができて、血が流れている。 アレルヤのいった血とは、このことだろうか? それにしても、様子がおかしい。尋常ではない。あきらかに精神的に錯乱している。 ティエリアは、緑のワイシャツ姿一枚で、シャワーから降る熱い湯を全身に浴びていた。 湯気でくもる視界の中、ティエリアの体のラインが浮き彫りになっている。 すいこまれていく排水溝に、血が混じっていた。 ロックオンは、まずそれに気づいた。 「ティエリア、しっかりしろ、ティエリア!どこか怪我してるのか!」 声をかけるが、その目は虚ろだった。 「いやあああぁぁぁぁぁぁ!!!!」 金切り声が、シャワールームにこだました。 ティエリアの喉から、いつも出る綺麗なポーイソプラノは出ず、女性の悲鳴声だけが響く。その悲鳴声を耳にしながら、ロックオンが自分の頬をかきむしって、自分で自分に傷をつけるティエリアの行動をやめさせるべく、ティエリアの両腕を掴んだ。 「どうして、どうして、どうして!!僕は無性なのに、どうして!!ヴェーダはこうなる確立は0%だと言っていた!なのにどうして!!」 石榴色の瞳から溢れた涙が、シャワーにまじって滴り落ちる。 ロックオンの声さえ、耳に届いていないようだった。 ロックオンが、はっと顔をあげる。 無残にいくつもの傷ができたティエリアの顔を見る。 そして、排水溝にのまれていく真紅を見る。 ティエリアが血を流している場所は、下肢だ。緑のシャツが下肢を隠していたが、その場所が真っ赤に染まっていた。ティエリアの蹲った足の奥から、血は流れ出ていた。 これは。 これは・・・・・。 誰かに乱暴された形跡はない。 ティエリアが、自らそんな場所を傷つけるなんてまずありえないはずだ。 これは。 フェルトが、どうして自分で説得すると言い出したのか分かった。 女性には当たり前の現象が、ティエリアの身におきているのだ。 おきるはずのない現象が、ティエリアにおきているのだ。そのせいで、ティエリアは半狂乱になって叫び、泣いているのだ。 「はいはい、どいてどいて。通るよ〜」 ドクターモレノの声が聞こえた。手には、注射器を持っている。 「いやだああああぁぁぁぁぁ!!僕は壊れているんだあああぁぁぁ!! ドクターモレノは、腕まくりをして、暴れるティエリアを押さえつける。ティエリアが、余計に暴れる。それを痛ましく見ながら、ロックオンも暴れるティエリアの体を無理やり押さえつけた。 「はい、すぐ楽になるからね」 注射器をティエリアの腕にさし、中身を注入する。 ものの数分もしないうちに、暴れ、半狂乱に騒いでいたティエリアの全身から力が抜けた。鎮静剤で強制的に大人くさせられたティエリアは、呆然とした表情をしていた。虚空を見ている。 「フェルト、すまないけど担架もってくるようにクルーに言ってくれないか。それからー、ああ、ロックオン、君は一緒についてきて。アレルヤ、君はティエリアの体を担架に乗せるの手伝って。それから」 ぐるりと見渡して、ロックオンを見る。 「ロックオン、ティエリアの体が運ばれていく間、他のクルーに見えないように、部屋の毛布をティエリアにかぶせてやってくれ。それから、濡れた衣服を脱がすのも手伝って欲しい」 「分かった」 「ロックオン。僕は、壊れてしまいました。それでも、まだ愛してくれますか?」 完全に四肢から力を抜いたティエリアが、シャワールームの壁に背を預けながら、ロックオンを仰ぎ見た。 「あははははは。私、壊れてしまった。だから、ヴェーダにも捨てられたんだ。私、私、ガンダムマイスターなのに。壊れてしまっては、ガンダムマイスターに相応しくない。失格だ」 ぶつぶつと呟くティエリアの、傷にまみれた頬を挟んで、ロックオンは唇を重ねた。 「あー、お熱いことで」 おなか一杯ですという表情で、ドクターモレノがロックオンとティエリアを見ていた。 自分の患者となったティエリアを、これ以上錯乱させるようであれば、止めなければならないが、ティエリアは鎮静剤のせいか大分落ち着いている。 言っている言葉は支離滅裂で、ティエリアの混乱ぶりが伝わってくる。 ロックオンは、虚ろなティエリアの石榴の瞳をのぞきこんだ。 「ばかいってるんじゃねぇ。お前さんは立派なガンダムマイスターだ。どこも壊れてやしないさ。愛してるよ、ティエリア」 ロックオンが、また唇を重ねる。 「ロックオン・・・・」 ぎゅっと、背中を握ってくる力が弱弱しい。 この儚い存在を、どうすれば嫌いになどなれるだろう。 ただ、狂おしいほどに愛しい。 ティエリアは、ロックオンの背に腕を回したまま、意識を失った。 NEXT |