茨の眠り姫は、そのまま夏樹家に帰宅した。目が覚めた今、もう入院の必要性はない。 記憶障害は、どんなリハビリでも治すことは困難だ。 「あきら・・・・夜流君がきてるわよ・・・・」 「うん」 あきらはにっこり笑って、夜流を出迎える。 「おかえり、なさい。夜流」 正式に、夜流は両親と相談し、夏樹家で暮らすことが決まった。 あきらを放っておけない。 母親の瑞希は夏樹コンツェルンの経営であきらに構ってやれないときがある。 あきらはもう、高校もいけないだろう。無論、大学も。 語っていた夢は全て、夢のまた夢となるしかない。 夜流は、最初は打ちひしがれていたけれど、でもそこで終わらない。 ここで終わって、なるものか。 ここで絶望して終わってなるものか。 あきらは、また俺を見てくれている。言葉をかけてくれる。あきらはちゃんと、精一杯生きているんだ。 あきらが思い出してくれないのなら、覚えてくれればい。また、最初から。 「おかえり・・・・なさ・・・・えっと・・・」 あきらは視線を彷徨わせる。 母親とマナのことは覚えているけれど、その他の人物のことはほとんど覚えていないのだ。 「えっと・・・・」 名前が出てこない。 さっき呼んだばかりなのに。 「誰だっけ?」 にっこりと微笑んで、ツインテールの長い髪を揺らして聞いてくるあきらに、夜流は優しく自分の名前を教える。 「俺は如月夜流。あきら、お前の恋人でナイトだよ」 「ん・・・よく、わかんない・・・・」 「わからなくてもいい。もう一度、歩いていこう。一緒に」 「うん・・・・」 あきらは、ベッドにごろんとねっころがると、絵本を読み出した。 完全に知能が低下して、10歳以下程度の知能しかないという。 それでも。 瑞希さんもがんばっている。 夜流は、あきらに自分の着ていたセーターを着せた。 「んー。これ読んで」 「いいよ」 タイトルは、茨の眠り姫。 「お姫様は茨に囲まれ、眠っていました。そこに、王子様がやってきました」 絵本を読んでやると、あきらはすごく懐いてくれる。 あきらの顎に手をかけて、触れるだけのキスをしてみるけれど、抵抗はなかった。 そのまま頭を撫でて、一緒に同じベッドで眠る。 満開だった桜の花は全て散ってしまった。 あきらは覚醒と引き換えに、ナイトの夜流のことをほとんど忘れてしまった。でも、夜流はそんなあきらでも愛し続ける。 ひたむきなまでに真っ直ぐに、見ていて心が痛いくらいに・・・。 「ん・・・・あなた、だあれ?」 ふと夜中に起きて、あきらが首を傾げる。 それに夜流は微笑見返す。 「お前のナイトだよ。夜流っていうんだ」 「へぇ。じゃあ、俺は王子様?」 昔、こんな会話をしたな、そういえば。 夜流の中の大切な思い出。 「俺・・・・誰かと、こんな話したことあるよ。誰、だっけ?」 あきらも覚えているようだ。 「俺だよ。俺と、会話したんだ。あきらが王子様で俺がナイトだって」 「へぇ・・・・俺の、ナイト?夜流だっけ・・・・はじめまして」 「はじめまして」 お互いに自己紹介をする。 「俺、夏樹あきら。ねぇ・・・・・夏祭りの金魚は元気?マナって名づけた金魚!」 あきらの思考は、くるくるかわる。 「元気だよ。二匹とも」 「よかった〜。あの夏祭り楽しかったね!俺・・・誰といったんだけ?」 「俺とだよ」 「あなたと?」 「そう。俺と、二人で。夏祭りにでかけて、花火を見てキスをして・・・」 夜流は、ゆっくり何度もあきらに教える。 あきらはしゃべり疲れたのか、また眠ってしまった。 そんなあきらを胸に抱きこんで、夜流は一筋だけ涙を零した。 「あきら・・・・ごめんな。お前を守れなかった・・・・俺を許してくれなんていえない。でも、お前の側に・・・いたいんだ」 朝がくる。 夜流は通学のために、家を出かけなければならない。 「ねぇ、また帰ってくる?このおうちに」 「ああ。帰ってくるよ」 「うん、待ってるから!」 元気に手を振った次には、また首をかしげて大きなアーモンド型の茶色の瞳で夜流を見上げる。 「あなた、だあれ?」 「俺はね・・・・」 同じ言葉を繰り返す。 やがて、母親瑞希は仕事が忙しくなってほとんど自宅に帰らなくなった。 半ば、あきらとの同棲生活。 夜流はいつでもあきらを見ていた。 あきらは、夜流にいつも夏祭りの金魚は元気?と尋ねてから、また覚えたばかりの夜流の名前を忘れて彼に無邪気に問いかけるのだ。 「あなたは、だあれ?」 NEXT |