雪月の花に散りたもう@







しゃらんしゃらん。

すれ違うたびに、娼婦たちの中でも位の高い花魁の髪に飾られた、髪飾りが綺麗な音を立てて、地面にこぼれていく。

しゃらんしゃらん。

花街「雪月の花里」ではそんな光景は、当たり前のようで、花魁の数は少ないために、音を聞くことができるのは、花魁の上客か、それか身の世話を任された女中や見習いの者、花魁がいる廓の主人や関係者くらいのものだろうか。

しゃらんしゃらん。
音は硬くなく、だからといって柔らかすぎるものでもない。

「雪月の花里」という花町があるその国の名は、鈴国(レイコク)。
西に位置する大国として名高い真国(シンコク)からさらに西に位置する、西域と呼ばれる地域にある国だ。決して小さくはなく、そして大きくもない。
この国が繁栄している理由は、この国に法王が存在し、枢機卿を目指す各国の王族や皇族、貴族などの若者が留学してくるせいか。
金をたくさんばら撒く上流階級の人間たちと、それを囲むようにできたたくさんの商いの町。そんなものでなりたっている。
鈴国には、鈴国の王族も貴族も存在しない。
この国は5年に1回、選挙を行って、そこで代表者が決まり、議会ができあがってこの国を統治している。西域でもまだ王侯貴族が闊歩しているこの時代には珍しい、先進国であった。

太陽暦の時代がやがて未来へと歩んでいくにつれ、こういった王族皇族貴族を廃止する国家も珍しくなくなってくるが、まだそれは遠い未来の話だ。

鈴国に現在存在する法王は、20代目にあたり高齢で、齢にして80に近い。次の法王はあの方だ、いやあのお方だと、そんな噂話が絶えない昨今。
高齢といっても法王はまだ現役で、とても健康である。法王の名は鈴慶(レイケイ)。20代目鈴慶法王。法王となった者は、歴代みな即位と共に名を「鈴慶」と改める慣わしがあった。
その鈴慶法王、この国で一番偉い人間に、頭をたれない人間は、存在しないといわれている。だが、ただ一人高貴なる法王に頭を垂れるどころか、水を頭から被せた人間がいた。
その名を知っている者の数は少ないどころか有名である。
歴代の法王も皆、色を好み、20代目鈴慶法王とてそれは例外ではなかった。枢機卿となった者や、近隣諸国のみならず、遠い国から留学してきた王族や皇族、貴族の者を連れての廓通いも珍しくはない。

80に近い高齢とはいえ、まだ艶ごとに秀でているというツワモノの法王。
その鈴慶法王が誰よりも愛しているのは、実の娘やその妻でもなく、この国で一番栄えている花街、「雪月の花里」一番の廓「明月」の花魁であった。
まだ17かそこらで花魁まで上り詰めた少女であった。
法王の目に留まってしまったせいで、親に売り飛ばされたばかりで、まだ見習いの女中として、遊女になることなく、客をとる苦界に入るのもまだ先と思っていたのに、少女は花街で一番の花魁になってしまった。その心境やいかばかりか。
法王に最初は水をかけてやったが、罪に問われることはなかった。下手すれば死罪に値する不敬罪である。鈴国に王族はいないが、鈴慶法王は、事実上、鈴国に存在する唯一の王ともいえる。
大陸で一番崇拝されている、太陽宗教の法王。

その鈴慶法王が愛する少女は、花魁となって法王だけでなく枢機卿など身分の高い者を客として迎え、すでに苦界に身を浸からせるようになって半年ばかりか。
少女の名は菜春(サイシュン)。
目鼻立ちがすっきりとした、だがどこかまだあどけない容貌の美しい美少女であった。

「菜春、客がお見えだよ」
「はい、お父様」
菜春だけでなく、苦界にいる遊女や男娼はみな、廓の主人とその妻を、父、母と呼ぶ風習があるのは、どこの花街でも同じだろうか。
名のあるたくさんの花街の中でも、花魁という特殊な制度があるこの花街は少し変わっているかもしれない。
花魁となれるのは、売れただけでは無理だ。芸事にも学にも秀でていなければならない。
菜春は芸事を半年の間に叩き込まれたうえ、それを水のように吸収してしまった。それに文字が読める。最低の「学」を持っている。

「今日のお客は、真国から留学にきた貴族だよ」
「はい」

貴族。お金をたくさんばら撒いてくれる。
年季までこの苦界にいなければならない身にとって、上客が身分があり金があるということは救いでもある。
花魁になんてなりたくなかったけれど、なれたお陰で、普通の遊女や男娼のように、一日に何人も客をとらなくていい。嫌だったら断ることもできる。
花魁になれなくても売れっ子になれば、客は選べるようにはなるが、完全に断ることはできない。花魁はその点、選ぶ自由が高い。気に入らなければその客を、二度と廓にあがらせない。それが花魁だ。
花街の中の高嶺の花。

名高い廓の「明月」にはもう一人花魁がいた。
菜春と同じ時期に、この廓に売られてきた、菜春なんか足元にも及ばない美しい人。花魁はなにも、女性だけがなれるものではない。男娼でも花魁になることは可能だった。
もう一人の花魁は、夢のような人。本当にそこに生きているのかとさえ疑ってしまうほどに、美しい人。
東にある男娼だけを抱える廓から、さらに売り飛ばされてこの廓にきたのだと、彼はいった。
前の廓で、店の主人に従わなかったせいで売り飛ばされたらしい。普通は廓の主人に抗えば、折檻される。それが苦界といわれる一つの特徴。
だが、前の廓の主人は、その男娼のあまりの美しさに、折檻するなど神を冒涜するようなものだと言い放ち、この「明月」の廓に売ったのだ。

「いつ見ても綺麗だな、菜春」
しどけない姿で、部屋に現れた彼はそういって、菜春の髪に、自分の長い髪を彩っていた金銀細工の翡翠がたくさんついた簪をそっとさして、ため息をついた。
「俺、菜春がいてくれてよかった。他の誰も俺と話してくれないもの」
「それは・・・・」

出かかった言葉を菜春は飲み込んだ。
だって、あなたは神の子のように美しすぎるから。


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