雪月の花に散りたもうA







「何をしているんだい、菜春、お客様がおまちだよ」
「あ、はいお父様!」
がらりと襖をあけて入ってきた廓の主人は、そこにいたもう一人の花魁の姿に声をなくしてから、青ざめた。
「白桜(ハクオウ)!!!どうしたんだね、その格好は!だ、誰か無礼な客でもお前に触れたのかね?」
白桜と呼ばれた花魁は、乱れてはだけた絹の衣服の胸元をそのままに、静かに首を振る。
「ああ、別にそうじゃないさ、おとっさん。寝ていただけだ」
「そ、そうか。それはよかった。お前にもしものことがあったら、この「明月」を失うのと同じことだからね」
廓の主人は、心底ほっとした表情で、菜春を促して去っていった。

「私・・・・ときどきわからなくなる。どうして、あなたが花魁なの?こんなに美人なら・・・・・すぐに落籍されて、どこかの王族かなんかの妾になると思うのに。私が落籍されるのはずっと後だってお父様言ってた。花魁になったんだがら、稼いでもらわなければ困るって。今までかけてきた銭が戻ってこないって。それに法王のお気に入りだからって。でもあなたは違うでしょう?私、あなたが客をとっている場面ほとんど見たこともない。本当に、同じ苦界にいる花魁なの?」
「さぁ、どうだか。花魁は花魁さ。ただし――知っての通りだろう」
「あっ」
白桜は、紅色の唇で、菜春の手に口付けた。

「そうね。あなたは・・・・特別だもの」

特別。
その言葉に、白桜は眉を顰めた。

「知ってるわ。鈴慶法王がなんで私みたいな小娘に夢中なのか。それは、あなたがここにいるから。この明月の廓にいるから。私を買って泊まったふりをして、朝から昼にかけてあなたを買うのよ。あのじいさん」
「菜春、もういい。今日の君の客は俺が相手するから。疲れてるんだろう。最近客をとってばかりじゃないか。もう休みなさい」
「そんなことは・・・・綺麗な手ね。私の手より綺麗」
ポタポタと、白粉で綺麗に化粧された菜春の頬を涙が伝う。
廓一番の花魁といわれているのに、影に彼がいるせいで、本当の一番にはなれない。彼に勝つことはきっと永遠にできない。
だって、白桜は。

白桜は、花街にいてはいけない存在なのだから。
二十歳前後の白桜。
本来ならすでに客をとっているのが当たり前なのに、白桜を指名することは普通できない。
白桜は、色子であり遊女であり、そのどれでもない、両性であった。

花街にその存在が確認されれば、すぐに王侯貴族などが保護のためだとか嘯いて、その身を落籍していく。そもそも、最近になって、やっと発布された法令がある。

太陽神の子たる者、中性、すなわち両性具有を花街で商うこと、これを堅く禁ずる。

この法令のせいで、今まで貴族が中性ほしさに、人買いをすることも少なくなった。将来、中性を売買することは完全に禁止されるだろう。かの大国、太陽国と名高い真国では、その后が中性で、生まれた子の中にも中性がいると聞く。
国王は、国中に、中性の人身売買を禁止する法律を作った。
奴隷売買を嫌う真国らしい法律だ。后が中性、両性具有であれば、同じような特殊に生まれた中性たちの身を案じることもあるだろう。まして、后だけでなくその姫君も中性だ。子にまで中性が生まれれば、両性具有の保護を強くするのは仕方のないことだろう。

后の生まれ国は、両性具有が生まれれば、その国に送られるのがほぼ慣例とされている冠羅(カンラ)。冠羅では中性を大切にし、国をあげて保護している。国家によっては異端と見なされる中性を率先して保護している。冠羅では、他の国よりも高確率で中性が生まれる。中性は、子を産めば、もしくは子を成せばその子まで中性になる確立が高く、それに極めて美しい者ばかりそろっている。中性ほしさに人買いをして、中性を手に入れた王族貴族などは、子をつくって生まれた中性の子を、他の貴族や王族皇族に城が建つような高額で売る。まるで血統書つきの犬や猫を繁殖させるように。
そんな時代も終わりが見え始めている。
真国の王の后が中性であるせいだろう。外交問題に発展しかけない中性の、上流階級での人身売買をおそれて、真国と交易のある国は次々と、中性の人身売買を禁止していた。

そんな時代の渦の中、まるで取り残されたかのように、花街にぽつりと現れた白桜。

綺麗な白い桜のように、薄紅色も取り残した真っ白な肌。中性の証である青みを帯びた銀色や最上とされる水色の髪、水色の瞳を持っていれば、すぐに中性とばれて、冠羅に保護されるだろうに。
白桜の髪も、そして瞳の色も、まるで桜のような薄紅色。
桜がそこに咲いているかのような色。
瞳だけが少し紅が濃く、時折太陽の色によっては真紅に近いように真っ赤に見える。
生まれつき、色素が少ない中性たちは人がもつべきではない色を持っている。そして、人がもつべきでないほどの美を。
白桜も同じだった。人とは遠いような麗しい容姿。異端ともいえる中性にあるまじき色を持っているとはいえ、水色どころか青みがかった銀色の髪も瞳もないその色は、まるで本当にそこに桜が咲いているように人を酔わせる。

それが白桜という名の由来だそうだ。

シャランシャラン。
白桜の髪を彩る簪から、音が踊って風に流れていく。

白桜は、菜春をなだめ、そして床をしいて寝かすと、廓の主を呼びつけて、菜春の客の相手は自分がすると言い出した。
そんなわがままを、普通の廓の主人は通さないだろう。だが、白桜だから通る。
幻の、花街にいてはいけない両性具有、中性の花魁。皆は、彼のことを男娼、すなわち色子だと思っている。廓の主人も最初色子と信じて疑わなかった。

「おとっさん、客の名前は?」
「真国からの留学生、貴族の方だそうだが、何もお前が相手しなくても。他の遊女をつけるのに」
「いいんだよ、おとっさん。少しは奉公しなくちゃ、銭ばかりかかる俺を引き取ってくれた面目がなぁ」
「白桜、無理はしなくていいんだよ」
「ありがとう、おとっさん」

白桜は、白粉など塗らず、唇と目元に紅をさしただけであった。長い髪は結い上げることをせずに、背に流したまま。
白い薄い絹の衣装を着て、見た目は客を引く色子のようだ。
ただ、装飾品は値をはるようなものばかりで、このただの色子のような白桜が、ただの色子ではないと物語っている。そして、その装飾品さえ色あせる美貌。
「いってきますよ、おとっさん」

全ての準備を整えて、客が待っている間に、白桜は向かった。


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